2.



「失礼します」


 夕飯になる前に緑間は高尾に連れ出されていた。というのも、他のクルーは夕飯時に顔合わせで良いけれどこの人達には先に挨拶をした方が良いということらしい。高尾がそう言うのならその方が良いのだろうと二人で部屋を出たのがついさっき。
 コンコンとノックをして扉を開けると地図を広げているのか机の前の椅子に腰かけている青年が一人。やや長めの茶髪で、座っているから分かりづらいがすらっとしているように見える。高尾が「宮地サン」と呼ぶと漸くこちらを振り向いた。


「やっと起きたのか。そういやさっきも言ってたな」

「まだ寝てた場合どうするつもりだったんすか」

「起きてたんだから良いだろ」


 そういう問題じゃない気がするんですけど、と言う高尾に気にするなと宮地は流す。どうやらあの時、高尾を読んだのは宮地だったらしい。
 不意に宮地は視線を高尾から緑間へと移した。じぃっと上から下まで眺めると彼は椅子から立ち上がった。立つとその細さがよく分かる。身長は百九十はあるだろうか。緑間よりも若干低いといったところだ。なんでみんなこんなにデカいのかな、とは高尾の心の声である。高尾とて低い訳ではないのだが、高身長二人に挟まれるとどうしても小さく感じてしまうのだ。


「オレは宮地清志、この船の航海士だ」

「緑間真太郎です」


 どちらも簡潔な自己紹介だけで済ませる。他にこれといって話すこともないのだからこうなるのも当然といえば当然だ。他にも何かないのかと隣で茶々を入れるとすぐにうるせぇぞと怒られた。
 そう言っている高尾も緑間の自己紹介もこれと大差のないレベルだったが、ここでそれを口にする必要もないかと緑間は思考を放り出した。言ったところで何になる訳でもないし、話が進まなくなるだけだろう。


「それより、近くの町くらいまでなら送って行ってやるけどどこに行けば良いんだ」

「あ、宮地サン。それは次の港町で大丈夫ということになりました」

「はぁ? そういうのは先に言えよ。轢くぞ」


 綺麗な顔をしているが発言は物騒である。だが、二人のやり取りを見ていれば冗談で言っているとすぐに理解出来た。オレだってさっき聞いたんですよと言い訳をしている高尾に軽く舌打ちを零して、じゃあ次の町までで良いんだなと緑間に直接確認をした。はいと頷くのを確認すると宮地は横目に窓の外を伺った。


「このまま順調にいけば明後日には着くだろ。それまでは高尾にでも世話になっとけ」

「高尾に、ですか」

「この船で他に空いてる部屋がなくてさ。悪いけどオレと一緒で頼むわ」


 そういうことだと言って宮地は椅子に腰を下ろした。それからまだ他にも挨拶に行くんだろと半ば追い出され気味に二人は部屋を出た。加えて邪魔だからさっさと行けと言われたのだから追い出されたというのも強ち間違っていないかもしれない。
 そんな宮地の様子に高尾は苦笑いをしながら「今仕事中だったっぽいな」と教えてくれた。確かに机の上には地図やコンパスが出されていた。邪魔をしてしまったのだろうかと尋ねれば、そんなことはないと思うと否定された。続けて物騒なことを言ったり怖いところもあるけれど優しい人だと説明をされた。物騒なのは先程の発言で知っているが、緑間を送っていくと言ってくれたり悪い人ではないことはなんとなく分かった。

 部屋の前で話をしていると「何をしているんだ」と別の方向から声を掛けられる。二人してそちらを見ると、そこには大柄な男性が立っていた。


「大坪サン! 丁度良かった。今から会いに行こうと思ってたんすよ」

「何か用でもあったのか? っと、もしかして君があの……」


 あの、と言われてもどういう意味なのかは不明だが自分のことを言われていることくらいは分かる。初めましてとお互いに名乗った後、高尾が間に立ってこの人がキャプテンなのだと説明をした。もう他の奴等には挨拶したのかと聞かれて、さっき宮地に挨拶をして追い出されたところだと話すと大坪も苦笑いを零した。この船に乗っているクルー達にとってはよくあることなのだ。
 しかし大坪はそんな宮地の行動を「今回は天気が悪くなりそうだとか言っていたからそれを調べていたんじゃないか?」とフォローした。そんなことを聞いていない高尾は「そうなんですか?」と疑問を浮かべたが、多分これから少し荒れる様な気がすると数時間ほど前に宮地が言っていたのだと伝えられた。だから空を気にしていたのかと先程の宮地の様子に納得する。


「あれ、じゃあ後にした方が良かったのかな」

「話はしたんだろう? それなら大丈夫じゃないか」

「そういうものなんですか」

「んー……キャプテンがそう言うなら大丈夫だろ。ま、暫くは用がない限り近付かない方が良さそうだけど」


 忙しいと分かっているのに邪魔をするほど無神経ではない。天気についてははっきりしたら直接宮地から聞くことが出来るだろう。もしかしたら荒れるかもしれないということだけ今は頭の中に入れておくことにしよう。


「何か分からないことがあればいつでも聞いてくれ」

「ありがとうございます」


 流石はキャプテンというべきだろうか。やはりキャプテンと呼ばれるだけあってそれなりの貫禄がある。
 高尾が一緒なら心配はないかと続けられた辺り、高尾は他のクルー達にも信頼されているようだ。そもそも同じ船に乗っているのだから信頼関係がないとやっていけないかとも思ったが、どちらにしても信頼されているのだろう。
 その高尾はこれから船内を一通り案内するつもりだと話している。緑間を任されることになると最初から思っていたのかもしれない。だが考えてみれば、宮地に会った時にも高尾に世話になれと言われたし、部屋がないから高尾と同じ部屋を使うようにも言われている。おそらく緑間が意識を失っていた間にそういう話になっていたのだろう。


「さてと、オレは宮地に用があるから行くぞ」


 ひと段落ついたところで大坪は話を切り上げた。お疲れ様ですとその背を見送った後、そういえば言い忘れてたんだけどと宮地が副キャプテンであることを教えられた。キャプテンと航海士として話があるのかと思ったが、キャプテンと副キャプテンとしての話だったか。どちらにしても二人が大切な話をしているということに変わりはない。
 副キャプテンといっても、大坪がキャプテンとしてクルー達の前に立っているから宮地が副キャプテンとして隣に立つことは少ないらしい。航海士の方がメインで副キャプテンとは名前だけのようなものである。周りも宮地は航海士だというイメージが強い。だが、船上でみんなの前に出た時の後姿を見るとこの人は副キャプテンなんだと思う。それだけの器を持った人なのだ。

 大坪とも別れ、次に向かったのは厨房だった。どうやらここで最後らしい。失礼しますとお決まりの言葉と同時にドアを開けると、夕食の用意をしていたらしい青年がそこに立っていた。


「木村サン、ちょっと良いっすか?」

「おお、高尾か。そっちはあの……」

「緑間真太郎です。暫くお世話になります」


 本日四回目の自己紹介となれば手慣れたものである。木村も名乗ると自分はこの船で料理を担当していると話してくれた。つまるところ料理人である。他のクルーも料理が出来ない訳ではないけれど木村が中心に料理を作ることになっているらしい。勿論他のメンバーも手伝ったりしている。大人の男ばかりが乗っている船だから量もそれなりにあるのだ。昼に高尾が話していた料理人というのもこの人だろう。


「高尾がいきなり人を連れて来た時は驚いたもんだぜ」

「ちょ、木村サン! その話は良いじゃないっすか!」


 大坪といい木村といい、あの……なんて言われながらまじまじと見られたが漸く合点がいった。もしかしたら宮地が緑間のことをじぃと見ていたのもこれが理由だったのかもしれない。
 どうして見知らぬこの場所に居るのかはずっと謎だったのだが、高尾が緑間を助けたということで良さそうだ。聞こうと思いながらタイミングを逃していたからここでその話を聞けたのは好都合だった。少し意外な気もしたけれど、これまでの高尾の話を思い返してみれば不思議なことでもない。高尾に世話になれといった類の話も根本にはこれがあったからなのだろう。


「お前がオレを助けたのか」

「あー……うん、まぁそういうことになるのかな」

「何だよ、まだその話もしていなかったのか」

「話すタイミングがなかったんです!」


 本当かよと言われて本当ですよというやり取りを交わす二人。タイミングがなかったというのも嘘ではないだろう。緑間からも聞くタイミングを逃していたように、高尾もタイミングを逃していただけのこと。それ以上の理由は何もない。
 ちゃんとその辺のことは後で話すつもりなのでと強引に話を区切ると、そのまま船内を案内するからと言った高尾に手を引かれて緑間も厨房を出た。言葉には一切偽りなどないが、どうやらこのことに突っ込まれるのに耐えられなくなったようだ。


「高尾」

「何? あ、さっきの話はナシな。とりあえず船内歩こうぜ」


 今は触れないでおいて欲しいらしい。そういう話は後で聞くからと付け足され、今は大人しく船内を回ることにした。
 二人でぐるりと船内を見て回るのはあっという間だった。それほど広くもない船内だ。一通り案内を終えたところでタイミングよく夕食の時間になり、そのまま夕飯を食べに向かった。先に挨拶をした三人以外のクルー達にはそこで簡単な紹介だけをして、それからは騒がしいいつもの夕食の時間を過ごした。