3.
夕飯を食べ終えると各々が部屋へと戻っていく。緑間と高尾も例外ではなく、特にやることもないので真っ直ぐに部屋へと向かった。ここに居る間は部屋の数の都合で高尾のところに居るように言われているから向かう先はどちらも一緒だ。
一緒なのだが…………。
「ここがお前の部屋だったのか」
そう。緑間が高尾に連れられてやってきたのは、今日一番最初に出た部屋だったのだ。要するに、初めから高尾の部屋で世話になっていたということである。
隠していた訳でもないが聞かれなかったので答えることもなかった。だから緑間は知らなかったが、何と言えば良いのか。笑って誤魔化した高尾に悪気はない。まぁ、文句を言う理由も何もないので黙って部屋に入ると適当に腰を下ろす。色んな人と会って話をしていたからか、やっと二人で話す時間が取れたような感じがする。
「半日で顔合わせと案内を終わらせちゃったけど平気? 具合悪くなったりしてない?」
「それは大丈夫なのだよ。そういえば礼がまだだったな。助けてくれたこと、一応感謝している」
取って付けられたような一応に思わず「一応かよ!」と突っ込んだ。そんな高尾を見て口元に小さく笑みを浮かべた緑間に高尾は一瞬驚いた。緑間のそんな表情は初めて見た。驚いたのは本当に一瞬で、すぐに高尾も微笑んだ。一応と言われたことなどもうどうでも良いかと思ってしまうくらいには、やっと見られた緑間の表情の変化が嬉しかった。
初めての場所だからかもしれないが、あまりにも表情の変化がない緑間のことが気になっていたのだ。助けたのは良いけれど、それは緑間にとって本当に良かったのか。もしかしたら迷惑だったのではないかなどと僅かに考えていた。結局それは杞憂に終わったようだ。
「なぁ、緑間。次の町までで良いって言ってたけどさ……」
そこまで言って不自然に言葉が途切れる。先を促すように「何だ」と問ったものの、結局高尾は「なんでもない」とそれ以上は何も言わなかった。中途半端に話を止めるなとは言いたいが、まだ二人は出会ったばかりでお互いのことなど殆ど何も知らない状態だ。どこまで聞いていいのかも分からず、緑間も追及をすることはしなかった。
次の町までで良いって言ったけど、その後はどうするのなんて。初対面も同然の相手に聞ける訳がない。聞いたところで十中八九帝都に向かうという答えが返ってくるだろう。何をしているのか、高尾が緑間を見つけた時何があったのか、聞きたいことはあっても聞く権利なんてない。
同じように緑間も高尾のことを深くまでは聞くことが出来ない。お互いに尋ねたいことはあるのにその先に踏み込むことは出来ない。結果、どちらも黙ってしまい部屋には沈黙がやってきた。
数分ほど沈黙が流れた後、先にそれを破ったのは高尾だった。
「何かあったら何でも言えよな。オレに遠慮することはないからさ」
欲しいものがあったら言ってくれれば出来る限りは用意する。分からないことは幾らだって教えるし、それが今の高尾の役目でもある。元を辿れば高尾が緑間を助けて自分が看病をすると言ったからである。大坪達だって仲間が人助けをしたことに対して何をしているんだなんて言わない。実際、緑間が意識を取り戻すまでは傍に居てやれと言われていたくらいだ。その分、明日からはあれこれ働かされるのだろうがいつものことでもある。
それから思い出したようにベッドは使って良いからと言われたのには緑間も反論した。なぜなら、この部屋にはベッドが一つしかないのだ。仮に緑間が使ったとして高尾はどうするつもりなのか。いや、まず緑間が意識を取り戻すまで高尾はどうしていたのだろうか。加えて自分はどれくらい眠っていたのかという疑問が続けて生まれる。
「オレがベッドを使ったらお前はどうするのだよ」
「適当にその辺で寝るからいーよ。気にしないで使って」
とりあえず一つずつ聞いていくしかないと最初の質問をすると、大方予想通りの答えを出された。
続けて二つ目の質問。緑間が寝ていた間、高尾はどこで寝ていたのか。その問いにも先程と同じく適当にその辺で寝てたけどという答えられる。さらに三つ目、緑間がどれくらい寝ていたのかという問いかけには二日間くらいだという返事だった。
そんなに寝ていたのかと自分に呆れながらも問題はその前の二つの回答の方だ。少なくとも高尾はこの二日間、まともな寝床で睡眠をとっていないということになる。何よりここは高尾の部屋なのだ。そんな奴を差し置いてベッドを借りることなど出来ない。
「ベッドはお前が使え。オレはもう十分休ませて貰ったのだよ」
「でも、まだ病み上がりだろ? ちゃんと休まないとダメだぜ」
「それを言うのならお前もだろう。自分の体を休めることも覚えろ」
どちらも一歩も引かない均衡状態。このままではどちらも譲らずに言い争いをして朝を迎える可能性がないとは言い切れない。いくらなんでもその前にどちらかが妥協するだろうけれど、現時点では両者共に譲る気はない。最悪の事態を考えられないほど馬鹿ではないものの相手を説得することしか考えていないのだ。
お前がベッドを使えという話を始めてから数十分は経っただろうか。二人が考えている最悪の事態になることだけは避けたい。しかし、避けるには妥協するしかない。けれど妥協をすることは出来ない、と無限ループに陥り始めている。
「あーもう! じゃあ間を取って二人でベッドを使う。これなら文句ねーだろ!」
相手の言い分を却下し続けたところでキリがない。かといって妥協も選べないときたら残る選択肢はこれしかない。ぶっちゃけ成人男子、しかも平均以上の身長を持つ男二人が普通のシングルベッドに一緒に寝るのは厳しいものがある。だが、他に打開案がないのならこれしかない。
狭いのだからお前が使えば良いだろうとあくまで譲る気のない緑間に、このままだと朝になるだろと高尾ははっきり告げた。緑間の方もその可能性を考えていただけに言葉に詰まると、そこにもう一度先程述べたばかりの妥協案を提案した。狭くても二人で一緒に寝るか、緑間が一人でベッドを使うかと。
こう言われてしまえば緑間もその選択肢を選ばざるを得ない。妥協案にしてもまさか二人してベッドを使わないなんて選択肢はなしだろうから、結果的に残るのはこれしかないのだ。
「……分かった。今日はそれで妥協しよう」
「決まりだな。つーか、町に着くまでオレ等ずっとこんな言い争いすんのかよ」
言い争いが嫌ならお前が諦めろ。言われれば当然否定する。それからそっちが諦めれば良いだけだと続けるのだ。本当、どちらも譲る気がないらしい。これはお互い似た者同士ということか。だが二人の性格は対照的のようにも見える。まだ会ったばかりだからどちらとも言い切れないといったところだろう。
話も纏まったところで、本日は消灯をすることにした。成人男性二人がシングルベッドに入るのは案の定狭かったけれど、ここで文句を言ったら言い争いが再発しそうなので止めておく。お互いに反対方向を向いて背中合わせで寝転がる。
「……………………」
寝るとなっただけにどちらも喋らないが、背中に相手の体温を感じるというのがなんだか慣れない。普段は一人で寝ているからだろう。加えて、あまり人肌に触れることがないから余計にそう感じるのかもしれない。寝る時、こんなにも近くに人が居るのはかなり久し振りだ。
だからだろうか。今までずっと使っていなかった言葉を思い出したのは。そして、思い出したら言わなければいけない気がして。
「…………緑間」
「……何だ」
起きていることは分かっていたから聞かなかった。数秒してから返ってきた声に、慣れていない言葉を言おうとしたからか言いよどんでしまう。
だが、今ここで言わなければ他に使う機会なんてない。声を掛けるだけで何も言わない高尾の名を緑間が呼んだのを機に、高尾はずっと口にしていなかったその言葉を紡いだ。
「おやすみ」
この距離でなければ聞こえなかったかもしれないほどの小さな声だった。けれど、お互いの体温を感じられるだけの距離に居る緑間にはしっかりと届いていた。
慣れない言葉なのは緑間も同じ。その言葉に内心で少し驚きながらも、すぐに同じ言葉を返した。
「ああ、おやすみ」
懐かしい就寝前の挨拶に口元に小さく笑みを作った。反対を向いているからどちらも相手の表情は見られないけれど、その声色が優しかったから気付かれているかもしれない。でも今は、この温かさを感じていたい。
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