20.



「大切な人達に自分も入ってるって、なんで分からねーかな……」


 翡翠の輝きを放つネックレスを月の光に当てながら眺める。これは前に見つけたお宝の一つ。どうしてそれを持っているかといえば、片付け忘れたのをそのままにしていたから。どうせ売る物だから次に自分が質屋に行く時にでも一緒に持っていけば良いやと思って置きっぱなしになっていた物だ。
 あれから一週間。
 緑間に付けられた怪我も殆ど治っていた。元々傷の浅い怪我だったのだ。ちゃんと治療をして安静にしていればすぐに治る。高尾はやけに広く感じるベッドの上でネックレスをぎゅっと握りしめた。


(無事で良かった。けど、お前は今どうしてるんだよ)


 あの日以来、どこで何をしているのかも分からなかった。生きているのかさえも定かではなかった。だから無事だったんだと知って安心した。
 だが、今はどうなのだろうか。無事で居てくれれば良いけれど海軍が海軍と対立するというのはよろしくないことだろう。だとしたら、今は無事かどうかなんて分からない。

 どうして信じてやれなかったのか。疑ってしまったのか。いきなりあんなことを言われればお前じゃなくても動揺し混乱すると誰もが言ってくれるだろう。でも、信頼していたのならなぜあの場でも信じられなかったのか。文字通り、後悔している。
 だけど後悔してばかりでも何も変わらない。自分がこれからどうするのかが重要だ。過去は変えられなくても未来は変えられる。だから、前を向いて歩いて行くんだと決めた。


「でもさ、アイツが海軍だったなんて驚きだよな」

「海軍って国の組織だろ。そんなヤツと一緒に居たとか」


 きっと、緑間はこうなることが分かっていたんだろう。高尾にもよく分かる。
 今まで騙していたのか。自分達の情報を海軍に流していたのかもしれない。そもそもどういうつもりで軍に所属している奴が海賊の仲間になったのか。
 挙げ出したらキリがない。よくまぁそうポンポンと出てくるものだ。本人が居ないから余計に好き放題言えるのだろう。お前等に何が分かるんだとは思えど、高尾自身にも全ては分からない。けれど、大切な人のことをそんな風に言われて黙ってもいられない。

 ここで喧嘩を起こすのは簡単だ。何も知らないくせに好き勝手なこと言ってんじゃねぇと。強く握った拳も一緒に出てしまうだろう。
 ギリ、と歯が音を立てる。何も出来ないのが悔しい。だけど自分が出ていくつもりはない。喧嘩をする為にここに来たのではないのだから。他の奴等がどう思っているのか、それが知りたかっただけだ。


「どこに行くつもりだよ」


 幾億千万の星の下で声を掛けられる。どうしてこう、この人はいつもこういうタイミングで現れるのか。図っている訳でもないだろうになぜか鉢合わせてしまう。


「宮地さん、すみません。オレ、どうしてもアイツに会いたいんです」


 自分がヘマをしたせいで多くの人に迷惑を掛けた。宮地をはじめ大坪や木村、他のクルー達、それから緑間にも。みんな自分を助ける為に海軍本部にまで乗り込んでくれた。
 助けてくれたことには感謝している。みんなが居なければ今ここに立っては居られなかった。みんなが仲間を助けようとしてくれたからここに居られる。
 でも、助けられてこれからもみんなと仲良くやっていこうとはなれなかった。この言い方では誤解を招くかもしれないが、この船と仲間達のことは好きだ。けれど、ここの仲間達以上に大切な人が居る。その人を見つけてしまったから、ここに居るという選択肢を取れない。助けてくれた仲間を捨てることになるとしても、高尾はたった一人の友を助けたい。


「アイツはそれを望んでないとしても、か?」

「オレだってこんなの望んでないですから」


 緑間は、高尾をこの場所に連れ戻す為に戦った。ここが高尾の居場所だからと。
 確かにここは高尾にとって大切な場所だ。自分の居場所はここにあるとも思っている。けど、誰かを犠牲にして得られるそれに何の意味があるのか。

 そこまで考えてはっと気付く。あれはそういう意味だったんだと。一人で何かをするなとはいつのことを指しているのかと思ったが、あの時のことを言っていたのかと思い出した。となると、その後の謝罪もあの時のことを言っていたのかもしれない。
 あの時のことは後悔している。でも、それは緑間も同じだったんだと知った。負い目を感じることはないと言われたけれど、それは緑間にしても同じこと。自分達に何が足りなかったのかというと、ちゃんと言葉にして伝えることだろう。


「会えたとしてどうするんだ。緑間は海軍、お前は海賊。生きる世界が違うんだ」


 仮に会えたとしてもそれは敵としてであって仲間では有り得ない。生きる世界が違うのだから諦めるしかないのだ。諦められないとしても割り切るしかない。海軍と海賊という関係上、それしかないのだ。


「……海軍だから、何だっていうんですか。確かにオレは緑間を連れ戻したい。でも、それ以前にオレはアイツと話をしなくちゃいけないんです」


 出来ることなら友を助けたい。そういう心づもりで行く。だが、助けるとかいう以前に自分達はまず話をしなければいけない。お互い、話したかったことは言えていない。いや、緑間の方は別れ際に言いたいことだけは言ったのだろう。それでも、ちゃんと話そうとすればどちらも話したいことは山ほどある。少なくとも高尾には。
 だって、やっと見つけたんだ。ずっと探していた人を。それなのにまた手放してしまって、だけど手の届かない距離じゃないところに居る。海軍なんて手が届くような場所ではないと思うかもしれないけれど、どこに居るのか分からないよりもよっぽど近くて手が出せる距離なのだ。


「今まで沢山助けられて、散々迷惑かけてすみませんでした。オレのこと拾ってくれてありがとうございました。だけどオレのエゴでこれ以上迷惑はかけられないから、オレはここから出ていきます」


 ここの人達は優しい。だからもう迷惑を掛けないように自分が出ていく。一人なら誰かに迷惑を掛けるということもないから。自分のエゴに他人を巻き込めない。


「高尾は本当のことを知ったら何をするか分からない。だからアイツのことをよろしくお願いします」


 紡がれたその言葉が宮地のものでないというのはすぐに分かった。
 けれど、どうして。目を見張った高尾に宮地は続ける。


「勘違いしてんじゃねーよ。誰も迷惑をかけられたなんて思ってねぇ。それに、オレは緑間からお前のこと任されてんだよ」


 不本意だけど、頼まれたからには行かせる訳にはいかない。宮地がこの時間に甲板に居たのも怪我がほぼ完治した高尾が動くならそろそろだろうと思ったからだ。緑間に言われなくても高尾が緑間の行動に不満を覚えることは予想出来ていた。こんな風に助けたって高尾は喜ばないと。
 そう、それでも助けたいと話した緑間は海軍が一緒に居ては迷惑だろうと言っていた。高尾といい緑間といい、こちらは迷惑だと思っていないのに勝手に迷惑だと思っていてそれこそいい迷惑である。少しはこっちのことも信じろと言いたい。二人してお互いのことばかり、それだけ大切なだけだろうけれど。


「ここからお前を行かせるワケにはいかねぇ、けどお前はオレを倒してでも行くか?」

「……それしかないのなら、オレは剣を取ります」


 こんなところで戦ったとして得られるものはないだろう。相手を傷つけて自分も傷つく。そんな意味のない戦いを本気でやる必要はあるのか。やらなくて済むのならそうする。けれど、そうしなければいけないのなら腰にある剣を手に取る。各々の信念を掛けて。
 手合わせなら今まで何度もしてきた。高尾に戦いの基本を教えたのは宮地達である。自己流で型も何もない動きだとしても、何十回と剣を交えていれば相手の動きも予想出来る。その上で次の行動を選びキンという高い金属音が夜の海に鳴り響く。

 譲れないものがあるから本気で剣をぶつけ合う。手を抜けるような相手ではないし、手を抜いたりしたら失礼だ。本気でやりあわなければ何も通じない。
 どちらも実力者同士。時間が掛かるかもしれないと思われていた戦いは、案外早くに決着がついた。


「ッ!」

「終わりだ」


 高尾の持っていた剣を弾き飛ばして喉元に切っ先を向ける。勝負はついた。宮地の勝ちである。
 だが、戦いながら妙な違和感があった。何度も手合わせしているだけに相手のことはある程度分かっているのだが、いつも通りのようでそうではないような。最後、あの場面でこんな対応をしてくるのは予想外だった。
 戦いを終えた高尾はゆっくりと俯いた。約束というほどのことはしていないが、それでも宮地に負けたのだから緑間の元へは行けない。無視して行くという手段もない訳ではないけれど、宮地相手にそんな手段を高尾は取れなかった。いくら緑間が大切とはいえ、宮地やこの船の仲間のことも大切に思っているのだから。


「お前、自分の動きに癖があるって気付いてるか」


 剣を向けたまま、宮地は静かに尋ねた。癖といってもすぐに見抜けるようなものではない。ほんの小さなもので、幾度と剣を交えたところで気付けるかは分からない。その程度の癖。
 本当、全てがその通りで驚くというかなんというか。似ているのも当然というべきだろう。


「一緒に剣を覚えたなら似てて当たり前だよな。息が合うのも納得だぜ」

「どういう意味ですか」

「体が覚えてたんだとよ。一番初めにお前と手合わせをした時、これがお前の癖だって」


 それが誰のことを言っていたのかは聞かずとも一人しか居ない。ここの仲間達とは何度か手合わせをしたことがあるが、一番初めから受け止めるでもなくかわすでもなく剣をはじいて終わらせた人物など一人だけだ。まず自己流の高尾の動きに宮地を含め初めはみんな苦戦したものだ。
 加えて高尾の癖に気付くなんてそれこそ緑間くらいだ。この船で誰かに指摘されたことはないし、高尾自身も癖というほど重要視はしていないそれ。ずっと昔にも癖があると言われた覚えがあるだけになんとも言い難い気分になる。


「癖って程じゃないっすよ。気付くのアイツぐらいだし」

「その割には思い出せなかったみたいだけどな」

「それは……忘れてたっていうか、結局は僅かな隙があるだけなんで気付く人も居るかって思ったというか。つーか、緑間から聞いたんですか」

「戦わざるを得ない状況になったらこうすればすぐだろうからってな」


 この情報がなかったとしても負ける気はしなかったが、早くに決着がつくならその方が良かったから戦術の一つとして使わせて貰っただけだ。どんな理由であれ、仲間同士で争いたくないから。
 はぁ、と溜め息が零れる。頭は良い筈なのにどいつもこいつも馬鹿ばっかだななんて思いながら剣を仕舞い、それからトンと額を小突く。


「オレは一応止めたからな。仲間を助けに行くんならキャプテンや副キャプテンに話をするのが筋じゃねーの?」


 口角を持ち上げて笑った宮地を高尾はぽかんと見つめた。何呆けてんだよと突っ込まれて、なんていうか意外だったからとだけ答えた。なんせついさっきまで対立していたのだ。それがいきなり真逆の状況になれば驚きもする。正直いまいち状況も理解も追いついていない。とりあえず、緑間の元へ行くことを止められる訳ではないということだけは分かったけれど。
 そんな高尾の様子に呆れながらも、だってアイツはオレ達の仲間だろと言ってやった。これでもう理解は出来ただろう。生意気だろうと何だろうと、高尾も緑間も宮地にとっては大切な仲間だ。この二人が一緒に旅をすることなどもうないと思っていたが、案の定高尾は緑間に会いに行くと言い出した。それに仲間として協力してやりたいと思うのは、間違ったことではないだろう。


「ほら、しゃんとしろ。緑間に会って話をするんだろ」


 いつだって引っ張ってくれるのはこの人だ。あの日以降、自分に手を差し伸べてくれたその日から生きていく道を示してくれる人。怖いところもあるけれど面倒見が良くてなんだかんだで優しい。そんなこの人にいつも助けられる。


「ありがとうございます、宮地さん。勝手してすみませんでした」

「分かれば良いんだよ。いい加減中に戻るぞ」


 海風にいつまで当たっているつもりなのか。話の続きは中でするぞと宮地はさっさと船内に戻る。その背中を高尾は黙って追い掛けた。

 あの日まで、ずっと隣に並んで一歩いていた友を助けに行く。
 辛いことや大変なことは沢山あったけれど、それでも楽しくて幸せだったのはいつだって隣で友が支えてくれたから。友と多くの仲間達が居てくれたお蔭で笑って居られた。お互い助け合いながら自分達の道を歩いていた。

 どちらも大切な人で、みんな大切な仲間で。
 その人達との日常を守る為なら、茨の道だって進んで行く。今度こそ、必ず守るから。