23.



「やはりここを出ることを選んだのか」


 海軍本部に乗り込んでいるのだ。会わない訳がないとは思っていたが、いざ対峙するとその辺の兵士とは比べ物にならない強さを肌で感じる。
 立ち止まって向き合う。一対一なら厳しくとも二対一ならば勝機はあるかもしれない。右と左、それぞれの手にある剣を握り直して視界に赤を捉える。


「赤司…………!」

「久し振りだね、高尾。それに真太郎」

「赤司、やはりオレは海軍のやり方には付き合っていられない。お前とやり合うことになったとしても、オレは戻る気などないのだよ」


 何度も言ってきた。それでも緑間が海軍を離れることはなかった。理由は幾つかある。その理由があったからこそ海軍に居たけれど、今はもうそれらの理由に縛られることもない。
 ただ漠然としていた道に光が照らされた。未来へと進む道は何個も分岐点があり、内の一つが放つ光に惹かれた。自分にとっての光、いつだってこの世界を照らしてくれる太陽のような存在。
 強い意志を灯した二つの瞳。彼等にとっての光はお互いでしかない。どちらにとってもまた、大切なその人こそが己を導いてくれる光なのだ。


「優秀なお前が軍に逆らうとはね」


 ごく自然な手つきで剣を取る。戦いは避けては通れない。それでも、これを選んだのは自分達。その先に何が待っていようともお互いを信じて進むだけ。
 甲高い金属音。激しくぶつかり合う音と音。キンという音にすぐ別のキンという音が重なって廊下中に響き渡る。他に邪魔が入らないのは赤司の差し金だろう。

 二対一。それならば勝機も見出せると思っていた。
 だが、赤司征十郎は強い。二人掛かりでも厳しい戦いを強いられた。幼い頃からずっと海軍の中で育ち、そのトップに立つ男。この世界でも上位に入るであろう実力者。
 それでも諦めたりはしない。信じていればきっと何とかなる。ただお互いを信じて剣を振るう。


「お前達では僕に勝てない。それでもまだ続けるのかい?」

「勝てないとは決まっていないのだよ」


 揺るぎのない瞳が赤を真っ直ぐに見つめる。作戦会議も何もしていないだろうに、これだけの連携を咄嗟にこなすのは流石というべきか。師を持たずに自分達で剣を覚えていった二人の動きはなかなか予想し辛い。自己流の戦い方をする連中はみんなそうだが、個人ではなく二人を相手にするというのは滅多にあることではない。
 とはいえ、赤司はこれを勝てない試合ではないと見ていた。一人で二人を相手にするというのは楽なことではないけれど、赤司は緑間のことをよく知っている。負けるなんて欠片も思っていなかった。


「くっ……!」

「勝負はあったみたいだね」


 首元に剣の先が触れる。叫ぶように名を呼ぶ声が響く。
 だが、これで試合は終了だ。


「さて、どうする? 命まで取るつもりはない。いっそのこと二人で海軍に入れば良い」

「っざけんな! 誰が軍なんかに入るかよ!」

「残念だね。真太郎、お前はどうだ」


 赤司征十郎という男がどういう奴なのかは緑間も良く知っている。少なくとも、赤司が緑間のことを知っているのと同じくらいに。二人で軍に入れば良いというのも本気で言っているのだろう。高尾が否定したそれを今度は緑間に尋ねる。双方の意見が同じとは限らないから。
 色素の薄い瞳と深紅の瞳が同時に緑間に向けられる。目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。何も言わない二人の目を見ているとその声が聞こえてくる気がする。戻るなと言いたげな瞳と、どうするのだと真実を見極めようとする瞳と。
 正しい答えなんて知らない。答えなんて幾通りもあるのだ。その中から自分が正しいと思った答えを見つけ出すだけ。彼等の言葉に答えるように、翡翠の瞳に二人を映すとはっきりとした言葉で告げる。


「初めに言っただろう。オレは戻らない」


 お前とは敵同士だ。
 ここを出た後で海賊になるならない関係なしに海軍を辞めるのではなく抜け出す。軍はそうやって姿を消したものを追うだろう。探して、見つけたとして、その時はもう仲間ではない。各々の正義と信念を持って向かい合うのだ。


「気持ちは変わらないか」

「その程度の気持ちなら今ここでお前に剣を向けてはいない」


 何の覚悟もなしにこんなところに居ない。それらは全て、海軍に戻ることを止めたその日から。海軍よりも大切なモノを見つけたから。
 あの日、あの瞬間から惹かれていた。
 そもそも同じ天秤で考えること自体が間違っている。比べられるようなことではないのだ。オレはとっくの昔から…………。


「やはり、君には適わないようだね」


 呟くように零れた言葉に視線が集まる。その声はこの場に居る全員に届いていた。やけに静かな廊下で小さく微笑みを浮かべると、赤司はそっと剣を下ろした。


「真太郎が海軍に留まる理由は知っていた。事故にあったと聞いて心配したが、生きているなら戻って来ないと思っていた。まさか、昔の仲間の為に乗り込んでくるとは思わなかったよ」


 どうしてそれを知っているのか。尋ねるよりも前に赤司が教えてくれた。どこかで見たことがあると思って調べたのだと。一体海軍の資料はどうなっているのかと別の疑問が生まれたが、極秘の資料だから軍の中でも一部の者しか見られないらしい。その中から赤司が調べたのは緑間と自身が関わっている資料。
 そして見つけたのが一番最初。出会ったその時の資料だった。ただ文章だけで纏められているそれを読みながら、赤司は事の全てを理解した。仲間の為だけにここに居た緑間が戻ってきた理由、そこまでして助けようとした相手、そして今。その二人が一緒になって自分の前に居ること。全て分かった上で剣を向けた。


「しかし、どちらもよく生きていたな。悪運が強いのか、それとも…………」


 死ねなかったのか。大切な人の為に。
 緑間には直接話を聞き、高尾のことは資料で知った。聞いた限りでは死んでもおかしくないような状況だったというのに偶然が重なりこうして二人は巡り会った。偶然という名の奇跡。いや、運命と呼ぶべきだろうか。
 まぁそんなのはどちらでも良い。緑間のことは海軍の中では赤司が一番良く知っている。想像とは少し変わったが、こんな日が来るかもしれないとは前々から思っていた。緑間が過去を捨てきらない限り、いつかは対峙することになるのではないかと。


「僕に出来るのは三つ。この場で全てを終わらせるか、お前達二人を軍に迎え入れるか。それともここでお前達を見逃すか、だ」


 あの日海軍に緑間を引き抜いたのは他でもない、赤司だった。剣の腕もそうだったが、赤司が緑間を誘った理由はそれだけではない。
 海軍のやっていることが間違いだと思ったことはない。正しいと思っているからこそこのやり方に従っているだけ。あの時もただの気まぐれのようなものだった。自分と同じ年頃の子供が仲間を守る為に戦う、そんな姿に興味が湧いた。自分とは全く別の世界を見ているその目に、次いで出たのが海軍に入らないかという提案。この関係はただの興味から始まり、それから優秀な部下として自分の下についた彼を切り捨てなかったのは正しい選択だったといえる。

 緑間はどんな仕事もきちんとこなす有能な人材だった。腕も確かだが頭もキレる。時折意見を求めては的確なアドバイスをし、他愛のない雑談をしながらただ時間を過ごしたこともあった。共に仕事をし色々な話をしながらそれなりに相手のことを理解していたけれど、ただ一つ。軍に入る前のことだけは語ろうとしなかった。それでも、翠がどこか遠くを見ている時は今を見てはいないということくらいには気付いていた。
 ちらっと視線を横に流せば、そこには翠が探していた橙がある。それもまた翠を探していたのだろう。守れなかった、守りたいと思う大切な。


「真太郎、本当に大切ならもう手放すな」

「…………他人に言われるまでもないのだよ」


 剣を鞘に収めてくるりと背を向ける。あの日のことを謝ったりはしない。赤司自身は海軍として正しいことをしただけなのだから。みんながみんな、自分の正義を胸に抱いて生きている。赤司の正義は海軍と共にある。


「お前は自分で出て行くんだ。次に会った時は容赦しないよ」

「それはこちらも同じだ」

「そうか。楽しみにしているよ」


 軍のすることは間違っていない。けれどそれで友人が大切なモノを失い、それを探し求めているのなら。手助けなんてするつもりはないが、自分で見付けて手に入れたのなら。十数年間こちらに尽くしてくれた友人の好きにさせてやっても良いだろう。
 たとえそれがあんな交換条件から始まった関係であっても、上司と部下だけではない関係を自分達は確かに築いていた。本当の居場所を見つけたのなら友として送り出すだけ。


「高尾、行くのだよ」

「あ、待てよ!」


 他の連中に会っても面倒だ。さっさとここを出ようと先を行く緑間を慌てて追う。その直前、聞こえてきた声に振り返ると小さく笑みを浮かべる。
 ――真太郎のこと、頼んだよ。
 それこそ言われるまでもない。だから、次は負けないからとだけ口にして高尾も走り出した。そんな二人の後姿に微笑みを浮かべながら、また仕事が一段と大変になるかもしれないなと思うのだった。