4.



 次の日、宮地は近いうちに海が荒れそうだとクルーに話した。今すぐということではないらしい。港町も大分近いから、上手くいけば何事もなく港町に着くことが出来るようだ。その場合は天候が回復するまでの間、港町に停泊することになるだろう。無理に海に出たって何も良いことはないのだから賢明な判断である。

 案の定休んでいた分も働けよと言われた高尾は、朝から船の中を動き回っていた。緑間はこれといってやることもなく、高尾に部屋は自由に使って良いと言われていたので適当に過ごさせて貰うことにした。
 天気が荒れることなく終わった一日の最後。昨夜と同じように揉めだした二人だったが、同じことになると本人達も悟ったようで寝ようかというその言葉と共に二人で一緒にベッドに入った。おやすみ、なんて挨拶をするのもこれが最後だろうと心の奥で思いながらそっと瞼を下ろした。


「流石宮地サン。どんぴしゃですね」


 なんとか天気が荒れる前に港町まで着いたが、海は今にも荒れそうな状態である。甲板から空を見上げて言えば、良いからさっさと降りろとどやされた。天気が回復したら出発するんだから早くやることをやれとのことだ。ついでにあれも任せるからと仕事も押し付けられた。ここで文句を言ったところで仕事を増やされるだけだろうと判断すると高尾は緑間と一緒に港町に降りた。


「これから陸路で帝都に行くのか?」

「そうなるだろうな」


 使えるものは使うけれど基本的には陸路を行くことになるだろう。行き先が帝都であれば向かう手段は幾らでもありそうだ。どうにでもなるだろう。
 分かっていたことだが緑間とはここでお別れだ。二人が出会ったのもほんの偶然で共に過ごしたのもたかが数日だけ。けれど、こんなに近くに人が居たのは久し振りだったからか別れるのはちょっと寂しい。余計なことを言って困らせるつもりなんて毛頭ない。ただ、傍に人が居たことを懐かしく感じただけだ。何も言わずに見送りすることを許してくれた仲間に感謝しながら、高尾は笑顔を浮かべた。


「世話になったな」

「気を付けて行けよ。元気でな」

「お前もな」


 短い挨拶を数回交わして緑間は高尾に背を向けた。別れは名残惜しいが、そんなことばかり言ってはいられない。緑間の姿が見えなくなるまで見送ってから、高尾は自分の仕事をやるべく町の中へと消えていった。

 港町というだけあってそれなりに栄えてはいるけれど、この町はそれほど大きくない。他のクルー達は今頃食料調達をしたり情報収集でもしているのだろう。
 本来ならここで仲間と合流するつもりだったが、船を降りる直前に宮地に仕事を言いつけられている。とはいえ、そう言われるだろうことは予想出来ていたから必要な物は持ち合わせている。とりあえずやることをやって船に戻ろうと決めると、町中でも一際大きな家に視線を向けた。


(この町を仕切ってる資産家、か)


 聞いたところによれば、住民達からやたら高い税金を取っているらしい。港の実権もその資産家が握っているとか。そのせいで他の住民は厳しい生活を送っているという話だ。


(一人で任されたのは信頼されているからかな……)


 ここが小さな町だからというのもあるだろうけれど、それなりに信頼もされているのだろう。こんなことを考えるのはらしくないなと思い、さっさと仕事をすることにした。
 仕事といっても大したことはない。この資産家の家に潜り込んで市民から巻き上げた物を回収するだけだ。  え?そんなことをしたら泥棒じゃないかって?
 否定はしない。でも泥棒ではないとだけは言っておこう。それなら何なんだと思うかもしれないが、そこはあまり気にしない方向でお願いしたい。職業柄――職業と言っていいのかも分からないが――目立つようなことは避けたいのだ。


(これで今回の仕事は終わりだな)


 やることを済ませたら早いところ退散する。長居したところであるのはデメリットくらいなものだ。仕事が終わったらここに居る理由などない。
 資産家の家を後にしてからはぶらぶらと町を歩いて行く。情報収集はあっちでやってくれているだろうから、ここで高尾がするのは先程の仕事の続きだ。適当に歩きながら町を一周して、やることを全て終えた頃には日が暮れる時刻になっていた。今日の空は雲でいっぱいになっているから太陽は見えないけれど、大体そのくらいの時間だろう。

 こんな時間かとそろそろ踵を返して船に戻る。
 ……つもりだったのだが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。


「まさかこんなトコで会うとはな」


 気が付かなかったのは仕事に集中していたからか、単純に気配を探るのが下手だからか、はたまたその気配に慣れてしまっていたからか。人の気配にはどちらかといえば敏感な方だから、消去法で残るのは一番と三番のどちらかだ。そんなものどちらでも構わないけれど。


「もしかして勘付いてた?」

「どうだろうな。ただ、少し気になっただけだ」


 それは勘付いていたということではないのだろうか。まぁ細かいことは置いておこう。重要なのはそこではない。話の論点はまた別にあるのだ。
 立ち話を続けるのもなんだ。近くに酒場があることを思い出し、一先ず場所を移動させようと提案する。向こうも異論はないようで、二人はそのまま酒場へと移った。入って注文もせずに話すだけという訳にもいかないので酒が飲めるのかを確認してから適当に注文をする。数分待つと酒が出され、一口だけ口にしてから再び隣の男を見た。


「そんなに怪しかった?」

「いや。さっきも言ったが少し気になっただけなのだよ」

「ってことは、オレのことを気にしてくれたの?」

「どうしてそうなる」


 多少酒が入ったくらいでは酔うこともない。普段と変わらぬ態度で高尾は彼――緑間と話をしていた。
 今朝別れたはずの二人がまた夜に隣り合わせに座っているというのはおかしなことだ。別れた時にはどちらもこの状況を予想していなかっただろう。世の中何が起こるか分からないものである。


「お前達は義賊、なのか」


 単刀直入。遠回しもせず真っ直ぐに疑問を投げかけられた。まだお互いに相手の性格は掴みきれていないとはいえ、数日一緒に居れば多少くらいは分かるようになる。聞かれるのなら直球だろうなとは思っていた。
 本当に直球で、だけど少し予想とは違った問いに高尾は「そういうことになるのかな」と曖昧に話した。先に言っておくが、誤魔化すつもりはない。だから、その後に義賊というよりは海賊の方が近いと思うけどという言葉が加えられた。やっていることを考えれば義賊でも間違ってはいないだろうけれど。


「海軍にでも連絡する? そうすればすぐに捕まえられるかもしれないぜ。こっちも易々と捕まったりしないけどな」


 誰かに通報されたとしても素直に降伏したりはしない。こちらにもこちらの信念があるのだ。世間が自分達のことを悪だと言っても、高尾にとってはこれが正義だ。
 おそらく、一般的に考えるのなら軍こそ正義で賊は悪とされるのだろう。しかし、海軍の正義がイコールでこちらの正義に繋がる訳ではない。高尾は自分達のやっていることを悪だとは思っていないし、この正義を貫いて生きてきたのだ。早々に信念を曲げたりなどしない。

 だから問う。緑間、お前にとっての正義は何かと。
 誰だって己の正義くらい持っているだろう。それが世間からどう見えるかは別にしても自分にとって正しいと思うことはある筈だ。緑間にとっての正義とはなんなのか。


「そりゃ海軍が偉いのは知ってるよ。でもさ、軍が全て正しいかって言ったら違うと思う。金持ちが投資しているから絶対権力を持っているのもおかしいと思わない?」


 考え方は人それぞれ、十人十色だ。でも、少なくとも高尾はそう思っていた。
 軍の方針は全て正しいのか。どれも民の為にやっていることであって、彼等はその正義を全うしているだけだろう。それで大多数の平和は守れるかもしれないが、当然全世界の人々の平和など守れない。各地では争いが起こっている場所があり、裕福な町と困窮な町との差も大きければ世間には見せていない裏の世界もある。
 国の軍とて魔法使いではないのだから出来ることは限られていると理解していても、それはただの偽善じゃないかと陰で言われることもなくはない。
 地域差があり奥まった小さな村ほど手が届かないのは仕方がないのだと。努力はしているといわれているけれど。彼等の主張はそんなところだろうか。みんな分かっているさ。分かっているけど。


「高尾、海軍と何かあったのか?」


 信用していない訳じゃかなった。世間と同じくらいの認識を持っていたとも思う。とはいえ、故郷は小さな村だったから軍が関与することも殆どなかった。静かなところで豊かでもなかったけれど、あの頃は毎日が楽しかった。今も良い仲間に巡り合えて楽しい日々を送っているけれど、何も知らなかったあの頃と今では違うものがある。
 頭の中でぼんやりと過去を思い浮かべ、まだ答えていなかった質問に「何もない」とだけ答えた。何もない訳ではないけれど人に話すようなことでもない。それに、こんな醜い感情を晒す気にもならない。それらを全部呑み込むように酒を飲み干した。


「もし海軍に引き渡すつもりならそれでも良いけど、オレだけにして。世話になった人達に迷惑は掛けたくないから」

「誰も連絡するとは言っていないだろう」


 それと飲みすぎるなと忠告しておく。酒には強いから大丈夫だと返されたが、それにしてもハイペースである。いつもこうなのかが分からないだけに何とも言いようがないが、本人がそう言うのなら放っておいても大丈夫だろうか。それでも一応は気を付けて見ておくことにする。

 それにしても、と緑間は高尾に視線を落とす。この数日でそれなりに話もしてきたけれど、こういった話をするのは初めてだ。まだ知らないことの方が多いのだがこんな一面もあるのかと場違いのことを考える。喧嘩まではいかない言い争いもしたけれどそれとはまた違う冷たさがある。その瞳は一体何を映しているのか。
 再会した状況が状況だったからか、高尾は海軍のことを気にしているようだけれど緑間は端からそのつもりはない。高尾を含め、あの船のメンバーが賊であることに驚きはあったけれどそれだけだ。このご時世は色々なことがあるのだ。いちいち気にしていたらやっていけない。
 とりあえず連絡はしないから安心しろとは告げておく。なんとなくだけれど、はっきり伝えておかなければいけない気がしたのだ。知り合って間もない関係なのだから所謂直感でしかないけれど、第六感を信じて悪いことはないだろう。


「緑間って他人の世話焼くタイプ?」

「そう見えるか?」

「……見えねーな」


 はっきりと答えられたそれも失礼な発言ではあるが、実際に世話を焼くタイプではないのでここはスルーをしておく。周りのせいで世話を焼くことがないとはいわないけれど、基本的には進んで他人の面倒を見たりはしない。


「どちらかといえばそれはお前だろう」

「そう見えんの?」


 立場を入れ替えて同じやり取りが行われる。こちらの問いには肯定が返された。たった数日とはいえ、一緒に居る間は常にあれこれやってくれる高尾の姿を見ていればそれ以外の答えにはならない。本人はそう見えるもんなんだなと適当に流していたけれど、第三者にこの質問をしても答えは緑間と変わらないだろう。


「なぁ、やっぱりここを発つんだよな」


 今日はもう遅いから早くても明日だろうけれど。この町を出て帝都を目指すというのは船を降りる前から話していたことだ。今更そんな話を持ち出してどうするのかと思われていることだろう。
 本当はこれとは異なる言葉を使うつもりだった。だが、数ある言葉から選んで口から出たのはこれだったのだ。聞きたくても聞けない、言いたくても言えない。数日前に思ったそれと全く同じ。それもそうだろう、あの時言えなかったことを言おうとしたのだから。結局、本当に言いたかったことは言えずに無難なことしか言えなかったけれど、今はこれが限界だった。

 そうだな、と緑間が頷く。そっか、と高尾も相槌を打つ。

 この先の言葉を言えのなら何かが変わるだろうか。いや、何も変わらないだろう。むしろ迷惑になるだけだと考えてしまえば、後は今朝と変わらない言葉を並べるだけになる。気を付けて、元気で、なんてありきたりな別れの言葉。他にもっとないのかと考えてみたところで、アルコールの入った頭はまともに働いてくれそうになかった。

 手元にあるグラスを傾け、カラカラと音を鳴らす氷を見つめながら今日は酒の味が分からないなとぼんやり考える。そしてまた新しいグラスに手を付けるのだ。
 もしかしたら、珍しく感傷的になっていたのかもしれない。全て酒と一緒に奥まで流し込むと、最後の一滴がぽたりと零れ落ちた。