5.



「…………遅い」


 ぽつりと呟かれた声に反応して二人が振り向く。そのまま「一人だから大変なんだろう」「ガキじゃねぇんだからじきに帰ってくるだろ」と言われてしまう。まるで次に出てくる言葉が分かっていたようだ。というより、分かっていたのだろう。伊達に長年付き合っている訳じゃない。
 何してんだよいつまで待たせる気だと続く筈だったのだが、それらは溜め息を一緒に吐き出された。先にそう言われてしまっては言葉にすることも叶わない。幼馴染が良いんだか悪いんだか。まぁ、悪いと思ったことなど一度もないのだけれど。

 海風に肌寒さを感じながら仲間の帰りを待つ三人。船の中で待ってても良いのだが、口では色々言えど仲間のことが気になっているのだ。危険な仕事を任せたのではないからその点は心配要らないだろうが、それでも普段より帰りが遅ければ少なからず心配する。
 仲間の帰りを待つこと数時間。漸く姿を見せた男に遅いぞと文句を言おうとして直前で止めた。暗くてはっきりとは分からないけれど、いつもと様子が違うことを理解するのはそう難しくなかった。


「あれ、先輩達どうしたんですか?」

「すみません、コイツ引き取って貰えますか」


 どういう状況なのかはさっぱり分からないが、とりあえず分かったのは高尾が珍しく酒に酔ったらしいこと。それから、その高尾をなぜか緑間が連れてきてくれたということの二つ。
 聞きたいことはあるけれどまずは高尾を引き取るのが先か。いや、緑間にも残ってもらわなければ話を聞くことが出来ない。一先ず高尾は部屋に連れて行くとして、いつまでも海風に晒されているのも辛いので緑間にも中に入ってもらうことにする。

 高尾をベッドに寝かせてから四人は一つのテーブルを囲んだ。木村が用意してくれた飲み物を口にしながら、最初に口を開いたのは大坪だった。


「高尾が迷惑を掛けたようだな」

「いえ、オレも飲み過ぎていた高尾を止められませんでしたから」

「別にお前のせいじゃねーだろ。アイツ、酒に強いからあまり顔にも出ないしな」


 決して緑間のせいではないのだが自分にも非があったと話す辺り、真面目なその性格がよく分かる。二人が一緒に居た理由はさておき、高尾が酔ったのは緑間のせいではないと宮地がはっきり否定をする。酒に強いだけあって、高尾はかなりの酒が入っても殆ど顔に出ない。よくそんなに飲めるなと仲間内にもよく言われるくらい飲むのだが、酒に酔ってしまうことは滅多にない。
 何がそんなに高尾に酒を飲ませたのか。この答えは高尾以外の誰にも分からないだろう。下手をしたら本人すら無意識かもしれない。そうなったら答えは闇の中に消えたままになるだろう。
 まぁ、今ここで解のない話し合いをすることは無意味だ。緑間のことを引き留めているのだから順を追って質問をしていくことにしよう。


「まず何でお前は高尾と居たんだ? 確か帝都に向かうって話だったよな」

「そのつもりでしたが天気も悪かったので様子を見ていました。夕方になって高尾に会ったのは偶然です」


 緑間の話におかしな点はない。ということは、そういうことなんだろう。宮地達も天気が悪くなると読んだから港町に停泊することにしたのだ。実際、あれから雨も降ったから海上に出ていたなら波も凄かったのではないだろうか。
 この様子からすると酒を飲むことになったのは大方高尾の方から声を掛けたと考えられそうだ。どんな話をしてああいう状態になったのかは気になるが、この辺りは纏めて高尾に聞いた方が良いかもしれない。それならば他に話すことというと、おそらく高尾が引き留めてしまったことに関してだろう。


「じゃあ、明日にはここを発つのか? アイツが迷惑掛けたし、近くまで良ければ送るけど」


 帝都方面に行く予定はなかったけれど具体的な目的地がある訳でもない。そちらの方角に進むことになってもなんら問題はないのだ。無理強いをするつもりはないがここから帝都まではそれなりの距離もある。足があるに越したことはないだろう。
 そう思って提案したのだが、緑間はそれをやんわりと拒否した。他に出来ることといえば今日の寝床を提供することと食事を振る舞うことぐらいだろうか。世話になった分は何かしら返すべきだろうと考えたのだが、緑間に全て断られてしまった。それだと何も出来なさそうだが何もしなくて良いらしい。それもどうかと思ったが、そう言われているのに何かをしようとすることの方が迷惑だろう。

 今回のことはこれで終わりにしようと話に終止符を打つと、夜も遅いからとお開きになるムードが漂う。高尾には朝起きてから吐かせてやるなんて宮地が話している隣で程々にしてやれよと大坪が苦笑いを零す。
 気兼ねなく何でも言い合う三人はやはり付き合いが長いのだろうか。問えば、三人は始めからこの船で旅をしているメンバーらしい。他にも何人かはずっと共に船に乗っている仲間で、それ以外のメンバーは道中で巡り合ったという話だ。高尾も途中で出会った仲間の一人だった。


「アイツのことが気になるのか?」

「気になるというほどでもないですが、少しは」

「見て分かる通り、騒がしくて明るいヤツだな」

「喧しい時もあるけどな。でも空気を読むのは上手いか」

「壊すのもな」


 それは矛盾しているのではないか。しかしそんなことはないと三人は言う。とはいえ、空気が読むのと空気を壊すのはどう考えても正反対の位置にある。どうやったらそれを一緒に備え持つことが出来るのか。出来ないと言い切れることでもないが、天然気質でも持ち合わせているのだろうか。もしこれを声に出していたのなら「アイツが天然とかねぇよ」と即否定されたことだろう。
 対極にある二つを挙げられた理由は至って単純だ。高尾和成という男は空気を読むのが上手い。それ故にコミュニケーション能力も高く、誰とでもすぐに打ち解けられるような人物だ。いつどんな時でも空気を悟って上手いことやってくれるから周りにとっても高尾の存在はありがたい。人の踏み込まれたくない領域には触れないし小さなことでもすぐに気が付く。高尾相手に口で勝つのは不可能に近い。
 一方で、高尾和成という男は人よりも笑いのツボが浅い。お前の笑いのツボはどこにあるんだよ、と呆れられるほど浅い。くだらないことでも吹き出して五月蝿いだのいつまで笑っているんだの怒られるのは日常茶飯事だ。空気を壊すことも多いというのはつまりそういうことだ。
 笑うなとは言わないけれど、少しは状況を考えろということがある。結果的に、基本的には空気を読むのが上手いけれど空気を壊すことも多々あるといった評価になったのだ。


「あーでも、高尾はクルーの中でも断トツで分からねぇな」

「そうだったのか? でも宮地、高尾と結構仲良いだろ」

「それはアイツがオレに寄ってくるだけだっつーの。何考えてんのかは全然分からねぇよ」


 おそらくこれはクルー達に聞いても肯定されるより否定されることの方が多いと思われる意見だ。高尾は表情がコロコロ変わって喜怒哀楽が分かりやすい。アイツほど分かりやすいヤツは居ないと答えるクルーが大半だろう。緑間でさえ高尾の表情の変化は見ていて分かりやすいと思ったし、宮地だって高尾が周りからそう見られていることは納得出来る。
 それならどうしてそう思うのか。人当たりの良い性格を誰も疑いはしないのだけれど、それこそが高尾の思惑通りなのだ。ああ見えて本当のことは話さないタイプである。内に溜め込むタイプといった方が分かりやすいかもしれない。高尾と長く付き合えば自然とそういう面が見えてくる。といっても、気のせいかもしれないと思う程度だが。
 宮地がはっきりとこう言えるのは、偶然だが高尾の弱い部分を見たことがあるからだ。それがなければ、時折見せる表情に若干の違和感を抱く程度だっただろう。


「まぁ悪いヤツではねぇよ。ウゼェけど」

「褒めてるのか貶してるんだか分からないな」

「褒めてはねぇだろ。けど、一緒に居りゃ嫌でも分かるぜ」

「高尾が聞いたらどういう意味だと言いそうだな」


 そういうお前等こそなんだとオレは言いたいけどな、と宮地は幼馴染達に視線を向けた。大体聞かれてるのはオレだけじゃないんだからお前等も答えたらどうなんだよと。でもお前が話してくれた通りだからなどと言われてしまい、宮地は顔を顰めながらチッと小さく舌打ちを零した。
 だが、このメンバーの中では宮地が一番高尾と親しいのだ。好きでそうなったんじゃないと本人は言うかもしれないが、口ではそう言っても素直そうで素直ではない仲間を気にかけていることくらい二人は知っている。高尾と一番親しいのは宮地であるが、同じくらい大坪や木村とも親しい関係を築いている。違いといえば、例の偶然な出来事があってからは以前よりほんの少しだけ宮地に頼るようになったことだろうか。

 まぁ、頼るってほどのことは言われねぇけど。

 それでも前に比べれば進歩だろう。別に深入りするつもりはないし、話したくなれば自分から話すのだろうからと放っておいている。その距離が高尾には丁度良いのだろう。
 だからなのか。例の一件以来、高尾は宮地に懐いているのだ。懐いているといっても傍から見ればそこまで大きな変化はない。宮地や大坪から見て少し変わったなと思うくらいの変化。それでも、良い変化であることに違いはない。


「それより緑間、これからどうするんだ。夜が明けたら帝都に向かうのか?」


 なんだか話が別の方向に進んでいる。この辺りで軌道修正をしようと宮地は緑間に話を振った。答えの分かりきった問いではあったが、このままでは話の終わりが見えない。
 それだけの話題転換だったのだが、返ってくる筈の答えがなかなか返ってこない。どうしたのかと三人が顔を見合わせると、唐突に「キャプテン」と名前を呼ばれた。疑問を抱きながらも大坪は「何だ」と聞き返す。すると、翠の瞳が真っ直ぐに大坪に向けられた。


「暫くオレをこの船に置いてもらえませんか」


 予想外の言葉に三人は驚く。まさかここでこんな言葉が出てくるとは思わなかった。まず、どうしていきなりこんな話になったのか。分からないことが多すぎて、それは構わないがいきなりどうしたんだと大坪は問うた。緑間は少しだけ視線を彷徨わせてから再び大坪を見て、ちょっと船旅をしてみたくなったのだと答えた。
 だが、それでああそうなのかと納得は出来なかった。これが一日違ったなら納得していたかもしれない。理由は簡単、高尾が酔い潰れて帰ってきたからだ。それと緑間のこの発言がイコールで繋がるとは限らないが、その可能性は高い。高尾に何か言われたのなら気にすることはないと伝えるが、そうではないと否定されてしまった。

 仲間が増えるのは喜ばしいことだ。旅先で出会った人達が今ここで一つの船で楽しくやっている。断る理由もなければ一緒に行きたいと言ってくれるのは大歓迎だ。
 けれどもし、緑間が自分のやるべきことを投げ出して高尾の言葉を優先させるというのなら素直に迎え入れることが出来ない。いや、それでも緑間が選んだのなら良いのだ。そうでなかった場合、ここで頷くことは出来ない。尤も、その真相を知るには次の日まで待たなければいけないが。


「お前の気持ちは分かった。だが、一日待ってくれないか。高尾にも話を聞きたい」

「分かりました。ですが、高尾は関係ありません」

「ああ、分かっている。どっちにしろ高尾とも話をしておきたいからな」


 そういうことならと緑間も頷く。とりあえず今日は誰かの部屋に泊まって貰うことにしよう。空き部屋がない状態だから寝床一つにしても誰かと一緒になるのだ。どこも大差はないから自分の部屋でも使ってくれと大坪が提案しようとしたところで、先に緑間は大丈夫なので気にしないで下さいと断った。
 その代りという訳でもないが、本人には確認していないものの今日もこれまでと同じようにさせて貰っても良いかと尋ねる。それだとベッドは使えないだろうと言われたがその点は心配無用だ。人間、ベッドがなくても寝ることくらい出来る。流石にそれは口にせず、大丈夫だということだけ伝えた。この船に居る間は二人で一つの部屋を使っていたのだしと考えて、大坪は緑間の話を受け入れた。

 一つ礼をしてから部屋に戻る緑間を見送って、静かになった部屋で「良かったのか?」と呟く。特に返事は求めていなかったが、疑問形だったそれに「良いんじゃないのか」ときちんと答えられた。そういうお前こそどうなんだと尋ねられると、こちらも良いんじゃねぇのと答えるだけで終わる。
 ちゃんと考えているのかと確認してみると、考えてるに決まってるだろとどう聞いても適当に流しているようにしか思えない発言をされた。実際、流しているのだろう。ただし、キャプテンが決めたのならそれで良いという前提で。お前が決めたのならオレ達はそれに従うという信頼あってこその発言なのだ。
 とはいえ、そこまで理解していなければただ流しているともとれる。まぁ、理解していると分かっているからこその発言ではあるけれど。


「また一段と騒がしくなりそうだな」

「だな。人出が増える分にはこっちも楽になるけど」

「たまには素直に喜んだらどうだ?」

「……お前等、アイツから変な影響受けんなよ」

「そんなことはないぞ、なぁ?」

「おう。アイツのお蔭でお前の色んな表情が見れるのは楽しいけどな」


 だからなんでそうなるんだよ。
 宮地は「はぁ」と溜め息を吐きながら明日起きたらとりあえずアイツをシバこうと勝手に決める。拒否権はない。どっちみち今日のことを吐かせるのだから丁度良い。当人が聞いたら全然良くないと全力で否定されそうなものだが、元を辿ればどう考えても根源は彼なのだから仕方がないということにしておく。


「で、結局次はどこに行くんだよ。帝都か? それとも予定通りで良いのか?」

「予定通りで良いんじゃないか。そっちのことはお前に任せる」

「んじゃ、港出たら西に向かうか」


 船のことを決めるのはキャプテンである大坪なら、海路を決めるのは航海士の宮地。料理に関しては木村といった具合に全員それぞれの役割分担に口出しをするつもりはない。それだけお互いを信頼しているということである。心配することないと分かっているからアドバイスを求められない限りは大抵任せきりだ。
 さて、夜ももう遅い。大分話し込んでしまったが今度こそお開きにして休むことにしよう。睡眠はとれる時にしっかりとっておくべきだ。

 一面が雲で埋まっていた空もいつの間にか星が見えるようになっている。この様子なら明日の天気は心配ないだろう。
 多くの星が見守る下、静かに夜は更けていく。