6.
窓から暖かな光が差し込む。その光に当てられて、眩しさにゆっくりと瞼を持ち上げた。
「あれ、オレ…………」
「起きたか」
ぼんやりとしていた意識が聞こえてきた自分以外の声ではっきりとしていく。
ああそうだ。昨日の夕方、緑間に会ってからオレ達は近くの酒場に入ったんだ。そこで適当に酒を飲みながら話をして、それから……。
「起きたなら宮地さんのところへ行って来い。お前に話があると言っていたのだよ」
少しずつ昨日のことを思い出していたところで緑間のこの発言だ。どう考えてもその話というのは昨日のことだろう。十中八九怒られるんだろうなと思うと行く気にはならなかったけれど、ここで行かなければ宮地の方から高尾に会いに来てくれるに違いない。どのみち同じ船に乗っているのだから顔を合わせるのは必然だ。
昨夜のことを思い出していくと緑間にも謝らなければいけないとは思うが、とりあえずは宮地の元へ行った方が良いのだろう。昨日は迷惑を掛けてゴメンと一言だけ謝罪をすると、高尾は宮地のところへ向かった。
「失礼しまーす……」
数回ノックしてから恐る恐るドアを開くと、そこには当たり前だが宮地が居た。宮地は高尾の姿を見るなりすぐそばまでやってくると、そのままヘッドロックをかまされた。それからお前昨日は何してたんだよ、とそれは笑顔で尋ねてくれる。
質問に答えるにもこの体勢では答えるに答えられない。宮地サン苦しいですギブですと必死で声を上げるとなんとか解放してくれた。漸く苦しみから解放されたかと思えば「で、どうなんだよ」と宮地はさっさと言えと話を促す。自分が悪いだけに何とも言えないが、少しは時間をくださいと内心で思いながらも高尾はゆっくりと口を開く。
「昨日は迷惑を掛けてすみませんでした」
「あーはいはい。謝るのはいいから何してたのか答えろ。お前が酔い潰れるなんて珍しいだろ」
「えっと……まぁ、それはそうっすね」
おかしなことなど何も言っていない筈だが、高尾の答えはなんだか歯切れが悪い。更には若干視線も逸らされたような気がする。何か変なことを言ったかと思い返してみるが、思い返すほどまだ話はしていない。この数回のやり取りの中に気まずくなるような要素でもあったのだろうか。
この部屋に高尾が来てまともに話を始めたのはついさっき。そんなに答え辛いことでもあるのだろうか。いや、だがそれなら文脈が少しおかしい。ならば、どこに高尾は反応したのか。
「……お前、まさかとは思うけど」
昨夜あった出来事がそれほど話すのを躊躇するような内容なのかは分からない。けれど、ここまでの会話から推理すると問題点はそこではなくその後。もしかしたら、もしかしたらだけど、可能性としてはむしろその方が高いのも事実で。
宮地の疑うような視線に高尾は苦笑いを零す。高尾が滅多に酔わない、というのは宮地も勿論知っている。だから酔い潰れるなんて珍しいと思ったのだが。
「なんで酔い潰れたフリなんてすんだよ」
「別に酔ったフリをしてたワケじゃないですよ。酒はそれなりに入ってたから酔いは回ってましたし」
酔ってはいた。けれど酔い潰れてはいなかったのだろう。それは結局、泥酔したフリをしていたということではないのかと再度問えば、高尾も諦めたようで「そういうことになります」とばつが悪そうにしながらも自分の行動を認めた。
どうしてまたそんなことをしたのか。大体、酔ったフリなんてしたところで何にもならない。しいて言うなら周りが酔っ払い相手に苦労するくらいだろうか。昨晩、緑間が高尾をここまで連れて来たように。まぁ、その後はベッドに寝かせただけだったから苦労という苦労も緑間以外には殆どなかったけれど。
それにしても、一体何の為に酔ったフリなんてしたのか宮地にはさっぱり分からない。そんなことをしたくらいなのだから何かしらの目的はあるのだろう。だが、そうまでしないといけない目的とは何だ。
やっぱりコイツのことは分からないなと思いながら、順を追ってその話を聞いていくことにする。元々ここに呼んだのも昨夜の話をする為だ。聞くことが一つや二つ増えたところでやることは変わらない。
「ったく、とりあえず一つずついくぞ。お前が緑間に会ったのは夕方だって聞いたけど、仕事はその前に終わらせたのか?」
「それは大丈夫ですよ。自分の仕事は責任もってやるんで」
ここで仕事も途中なんて言われたらどうしてやろうかと思ったが、流石にそれは大丈夫だったようだ。自分の仕事はきちんとこなす奴だと思っているからその点は心配ないとは思っていたけれど。緑間と会ったことについても特に触れられなかったということは、仕事が終わった後で偶然会ったと考えてよさそうだ。
「じゃあ次。何があってそんなに酒飲んだんだよ、って聞くつもりだったんだけど」
「あー……酒の量は話しながらいつもより少しハイペースなくらいっすね。アイツにオレ達のこと言ってなかったんですけどバレちゃって。オレ達のこととか軍のこととか話してました」
自分達が海賊をやっていること、海軍に連絡をするのか、そういったことを話していた。横道に逸れて海軍がどうこうという話になったりもしたけれど、主な内容はこんなところだろう。
話の内容は大方理解した。自分達が海賊であることは隠していようがバレる時はバレるのだから別に話しても構わない。元より宮地は隠しているつもりもなかったので大してどうこう思わなかった。そこから海軍の話に繋がるというのもおかしくはない。
どちらかといえば、高尾がいつもよりハイペースで飲んでいた理由の方が気になる。問えば気分だと返されて、それは分かるけどどういう気分だったのかという話である。そんなにバレたくなかったのかと尋ねるがそうではないらしい。なら本当にただの気分なのかと聞いてみると、気分は気分ですよと高尾は話した。
「そんな話してたらちょっと昔のこと思い出して。気付いたらいつもよりハイペースで飲んでました」
隣に居たのが緑間だったからか、それとも海軍の話になったからだろうか。昔、高尾がまだ故郷で暮らしていた頃のことを思い出した。宮地達に出会ったのは高尾が故郷を出て数ヶ月が経った頃だったと思う。
どうして故郷を出たのか。昔何があったのか。それはまだ誰にも話していない。緑間に聞かれた時もそうだが、人に話すような内容ではないのだ。だからずっと、それは高尾の胸の内だけに秘められている。
「昔のこと、か。まだ辛いか?」
「何年前の話だと思ってるんすか。今は宮地サン達と一緒に居るんだから大丈夫ですよ。ふと思い出して感傷的になってただけですから」
宮地はここで高尾に過去を追及する気はない。それは高尾自身が話す気になった時でいい。だからどんな過去を持っているかまでは知らないけれど、高尾にとっては辛い過去なのだろうとは思っている。故郷を失っている人間が持っている過去だ。それくらい想像するに容易い。
そういえば、出会った当初は随分と警戒されていたなと思い出す。ただし表には全く出すことなく、それだけでも高尾和成という人間がというヤツなのか分かりそうなものだ。大丈夫だと言って無理をすることも今は知っているけれど、この発言に嘘はないのだろう。過去を忘れた訳ではないのだろうが、それでもオレ達は前を見て進んでいる。この船に居るのも好きでそうしていることくらいは知っている。だから本人の言葉をそのまま受け取っておくことにする。
「なら良いけど、最後にもう一つ。酔ったフリをした理由は?」
「えっと、ほら。酔っ払いの言うことなら何言ってもそれなりに許されるかなと思って……」
「…………お前、緑間に何を言ったんだよ」
まだ緑間の名前は出していなかったが、高尾が酔って誰に迷惑を掛けたかといえば緑間だ。何より二人で飲んでいたのだから相手は緑間しか有り得ない。
そりゃあ酔っていればある程度は酔っ払いの戯言だと捉えられるだろう。だが、酔っ払いの言うことだからと流されることを前提にしてまで高尾は何を言ったのかが重要である。それは酔ったことにしないと言えないようなことなのか。
プライベートなことまで聞くつもりはないけれど、予想外の答えに宮地は思わず問い返してしまった。言ってからそう思っても仕方がなく、答えたくなければそれでも良いだろうと思っていたがどうやらこれは隠したいことでもなかったらしい。もう少しだけ緑間と一緒に居たかったのだと、高尾はそう言った。
それを聞いて宮地の中で昨日の緑間の発言が一致する。いきなり何を言い出すのかと思ったが、その前に高尾がこんなことを言っていたのかと。それで暫く船に置いて欲しいと言い出した、ということなら全て辻褄が合う。やっぱりかと思ったけれど、コイツは知らないのだろうから教えてやるべきなのだろう。その為に一日待ってくれと言ったのだから。
「その緑間だけどよ、昨日緑間が暫く船に置いて欲しいって言ってきたぞ」
言うと高尾は「え」と目を丸くした。酔っ払いの戯言だと流されると思っていたのだろう。わざわざ酔ったフリをしたくらいなのだから、その反面では本当に一緒に居たいと思っていての発言に違いない。高尾がそんなことを言い出すなんて珍しいが、考えてみればあんなに必死だったのも珍しかったかと思い出す。
それは高尾が緑間を助けた時のこと。人助けくらい高尾を含めクルーの誰でもするけれど、あの時はオレが看病するからとやけに真剣だった。誤解のないように補足しておくが、人助けをするのは困っている人を助けたいからであり、いつだって真剣にやっている。けれど、あの時はいつも以上に真剣だった。
高尾にとって、緑間は何か特別なのだろう。だからいつも以上に必死だったし、もう少しだけで良いから一緒に居たいと酔ったフリをしてまで告げた。どうしてなのかは高尾自身にも分かっていないけれど、ただ一ついえるのは緑間の隣は安心するということ。
「もしかしたらお前に何か言われたんじゃねぇかと思って一日待ってもらうことにしたけどな。アイツが本当にそうしたいならオレ達は構わないけど、どうするんだ」
「……ちょっと、緑間と話して来ても良いですか?」
「あぁ。だけど早めに終わらせろよ。話が纏まったら出発するからな」
分かりました、とだけ言って高尾は部屋を出る。だがその直前に「高尾」と呼び止められて振り返ると、宮地は真剣な表情で高尾を見た。
「本当に緑間と一緒に行きたいなら、思ったことはちゃんと話せよ」
「はい、分かってます」
そう話すと今度こそ高尾は部屋を後にした。
一人になった室内で宮地は小さく溜め息を零す。やっぱり高尾のことはよく分からないなと思いながら窓の外を眺めた。
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