黄金色の面影を探して 10
学校から緑間が家に向かうのとは別方向に進んだ先にある神社。それが黒子の家が管理し、火神が守っている神社だった。
二人の邪魔をするつもりはないからと黒子とは家の前で別れ、火神と緑間で神社まで戻ってきた。場所は違うが、ここも神のいる神社というだけあって雰囲気は緑間の所と似ている。鳥居を潜って真っ直ぐに進むと本殿の前で足を止める。
「火神、お帰り。どこ行ってたの?」
「もう起きたのか。ちょっと黒子の所にな」
先に高尾と話をしてくるからと火神は一人で本殿に入った。まだ寝ているかもしれないと思ったが、既に目は覚めていたようだ。オレ体力ある方だし?と笑っているが、まだ疲労は残っているようだ。あれだけボロボロの状態で来たのだから、そう簡単に回復とはいかないだろう。それでも、ここに来た時に比べれば大分良くなった。当然、休養はまだ必要だけれども。
「上手くやってるんだ」
「そりゃーな。お前だって上手くやってるだろ?」
「んー、オレはいつも通り。急に押しかけちゃってごめんね」
そんなことは全く気にしていない。どこかで一人倒れられるよりも、頼って貰った方が火神の方も安心だ。どうしてそう思うのかといえば、昔そのようなことがあったからだ。別に高尾に限ったことではないのだが、困った時には助け合うのも大事だろう。自分達は仲間なのだから。
軽く雑談をしながら、火神はここを出る前に張っておいた結界を解除した。この状態の高尾を一人にして何かあっては困るからと用意したのだが、火神が戻ってきたのだから不要となった。結界を片付け終われば、あと火神がやらなければいけないことは一つだけだ。
「高尾、オレまだ黒子に用が残ってるから。何かあったら呼べよ」
「心配しなくても平気だって。火神ってそんな心配性だったっけ?」
「そんだけ元気なら大丈夫そうだな。あと、お前に客来てるから」
客、という単語に嫌な予感がして誰なのかと聞き返そうとしたが、それじゃあと言って火神は出て行ってしまった。用があると言っていたから仕方がないけれど、こんな時間にこの場所へ。しかも高尾を訪ねてくる人となればかなり限られている。自分達と同じようにこの近くを守っている神か、火神と接点はないが高尾の近くにいる人間か。
答えは、彼が本殿に入ってきたことですぐに知ることとなった。
「しんちゃん、何でこんなとこに?」
「火神がお前のことを知らせにきたのだよ」
教えるなとは一言も言わなかった。けれど、緑間に知られるとは一ミリも思っていなかった。仲間内で誰がどの地を守り、そこの神社を守る家が何というのかぐらいは知っている。知っているけれど、それまでなのだ。互いに関わり合うことはないし、名前を知っている程度で終わり。
だから、どうあっても見つからないだろうと思って高尾は火神を訪ねた。同じ神という存在であり、同い年だからという理由もあるが、一番の理由は緑間に会わない為だったのだ。まさか、こんなことになるとは予想外すぎる。
「和成、大丈夫か」
もう会わないと決めていたのにまた会ってしまった。どうしようかとぐるぐる考えていたのだが、緑間の声を聞いたらそんな思考も中断した。
その声が、表情が、心配の色に染まっていると気が付いた。そっと伸ばされた手は、輪郭をなぞるように優しく触れた。
いつかと同じ感情が胸を渦巻く。心配を掛けて、また辛い思いをさせてしまったのだと。優しい彼はまたこんな自分のことを気に掛けていたのだと。気付いてしまえば、先程までの思考は全て消え去った。
「オレは平気だよ。ごめんね、真ちゃん」
「なぜ謝るのだ」
「だって、真ちゃんは心配してくれたんでしょ? それにオレのことを庇ったせいで怪我させちゃったから」
怪我の方は高尾がもう治してしまったが、怪我をさせてしまったということに変わりはないのだ。だからこうして謝っている。他にも、謝る理由なら幾つでもある。
けれど、緑間は高尾が謝罪するのを間違っていると言う。それは謝ることではないと。
「大体、それは謝るのではなくお礼を言うことではないのか」
「お礼? ごめんじゃなくて、ありがとう?」
尋ねると緑間は頷いた。高尾の中では謝るべきことだと思ったけれど、これはお礼を言うべきことらしい。謝りたいことは沢山あれど、お礼をする機会というのはあまりないのだ。それ故の間違いなのだが、訂正したのはお礼を言って欲しいのではなく言葉の使い方を指摘しただけだ。
心配をしてくれたこと。助けてくれたこと。それらは謝罪ではなくお礼を述べるべきものだ。逆の立場だったのなら、緑間は謝罪よりも感謝を口にする。素直に言うかは別問題だが、こういう場合に使うのは感謝の方だ。
「それに、謝らなければいけないのはオレの方なのだよ。お前の力を暴走させてしまったのだから」
そう話した緑間を高尾はすぐに否定した。力を暴走させてしまったのは決して緑間のせいではない。制御することの出来なかった高尾の力不足だ。緑間に謝られることは何もないのだ。それを言うのなら、高尾は緑間に謝らなければいけないことが沢山ある。
勝手にいなくなってごめん。あの場に置いて行ってごめん。何も出来なくてごめん。力になれなくてごめん。巻き込んでごめん。挙げればキリがないくらいに、謝罪をする理由が思いつく。
「力が暴走したのはオレのせい。お前は何も悪くないから。てか、この話は終わり! このままだと懺悔大会になるからな」
冗談交じりに言いながら、とりあえずこの話はここまでにする。やろうと思えば本当に懺悔大会が出来そうな勢いなのだから困ったものだ。
高尾は緑間に謝罪したいことが多すぎる。だから全部を言葉には出来ないけれど、せっかく近付けたのにもう会えなくなるからごめんな、とだけ最後に心の中で告げる。これで謝罪をするのは終了だ。とはいえ、謝罪の殆どが内心だけで繰り広げられていたものだけれど。
「……和成、お前はやっぱり人と関わりたくないのか」
「えっと、急にどうしたの?」
「オレにはお前が分からない。火神と話していた時のお前は素だったのだろう? それと、ここに来るまでの間にお前の話を聞いた」
初めて会った時の彼。再び会った時の彼。それから火神と話している時の彼。そのどれもが高尾和成という男だ。
再会してからこれまでの彼は、おそらく無意識の内に状況に合わせて言い回しを変えている。距離を置いて淡々と話す時とそうでない時。話している時の声でもなんとなくそれは分かる。
どれもそこまでの違いもなければ、本人が意図的にやっているとも考え難いものでもある。少なくとも、距離を取っている時とそうでない時の違いぐらいは本人にも自覚はあるだろうけれども。
「あー……とりあえず全部オレだけどな。使い分けてる時もあるけど、他はそうでもないぜ。火神と話してる時は、特に気にすることもないから確かに素だとは思う。でも、お前と話してる時が素に一番近いだろうな」
途中までは予想通りの答えだったが、最後は意外な答えだった。そんな緑間の心中が高尾にも分かったのだろう。小さく笑みを浮かべて続きを話す。
「そう感じるのも無理はねーよ、オレもお前と比べれば長生きしてるし? 無意識のとこもあると思うんだけどさ、真ちゃんには色々と見せてるぜ。まぁ、一番素なのは初めて会った時かな」
祭りの夜に森の中で出会った時。何を隠す必要もなく、純粋に子どもとして話せば良いだけ。数少ない人と触れ合うことの出来る時間は、一番素が出ているのだろう。生きていく上でポーカーフェイスを始め色んなものを身に付けたが、取り繕わない時でも一歩下がって話をすることはある。それをしなくて良いのが幼い子どもの姿をしている時なのだ。
だが、結局はどれも高尾自身である。時と場合によっては使い分けたりもするけれど、心を許している相手に見せているのは大体素だ。火神に対しても、緑間に対しても。その中でも、緑間は高尾にとって特別なのだ。友人には見せたことのない部分も見せている。それを緑間が知る術はないけれど、今高尾の周りにいる人の中では緑間が最も自然体で接することの出来る人物だ。
「あん時はオレが真ちゃんにまた会いたいって言ったのに、いざ別れたら逆なんだもんな。あ、オレも真ちゃんに会いたかったけど」
「あれはお前が悪いのだよ」
「ひっでー。オレは何もしてないのに。会えなかったのにも理由があったからだって言ったじゃん」
「それだってお前が勝手に決めたことだ」
「何か今日の真ちゃん厳しいな。ホントはオレが消えたこと怒ってるっしょ?」
心配していたのも事実。けれど、どうして一人で勝手にと思ったのも事実。何でお前はいつもそうなのだと怒っていたのも確かだ。それも全部、いなくなってしまった高尾が見つかったからこそ思えることではあるけれども。言えば調子に乗るだろうことは分かっているから口にはしない。
「……真ちゃん、気にしてるなら言えば良かったのに。こんなのすぐ直せるんだから」
直すというよりは気を付けるという話だが、言ってすぐに直るものでないことくらい緑間には分かっている。今でこそすぐに直せたのだろうが、ちょっと前だったらどうなっていたか分からない。ここまで互いの距離が近付いたからこそ、こうして話すことが出来るのだ。
声の色が変わったのを感じながら、確かにこれは初めて会った時が素の姿だったのだろうと緑間は納得した。初対面の時にはよく喋る奴だという印象を持ったのだった。ついでにコイツが神ではないだろうと失礼なことまで考えたりしたのだが、再開してからの彼は神と呼ばれるのにも頷ける態度だった。本来の格好で落ち着いた物言いだったから余計にそう感じたのだろう。
己の役割を全うする為、冷静に話をしている時には大人びている。だが、その実は初対面の時に見た姿こそが本来の彼が持っていたものなのだ。
「今まで見てきたどのお前もお前自身であることは分かっていた。だから言わなかっただけだ」
「でも今言ったよね。まあ、いいけどさ」
言い回しや声音が違うのに気付きながら、全部高尾であるとも認めていた。それならなぜ今こんな話をしたのか。それは、火神と高尾が話している様子を見て丁度良かったからだ。
緑間が結果的に言いたかったのは、自分の前で取り繕ったりはするなということ。変に気を遣ったりする必要もない、そのままの姿でいれば良いということを伝えたかっただけ。それが高尾にしっかり伝わっているかは分からないが、最後の言葉からしておおよそは理解してくれたのだろう。
「オレが人と関わりたくないのかって聞いたけど、前に話した通りだぜ。今だって真ちゃん以外とは関わるつもりはない」
周りに沢山の人がいた頃は楽しかった。けれど、力を暴走させてしまってからは人が近寄らなくなった。人と一緒にいたとしても寿命の違いから辛い思いをするだけ、一人でいるのも寂しいと感じたりするけれど人を傷つけないだけそっちの方が良い。きっかけを境に人との関わりと絶ったのは、人々の為でもあり高尾自身の為でもあった。
関わりたくないとは思っていない。だが、関わってはいけないと思っている。今でこそ緑間ともこうやって話しているが、ついこの間まではそれすら叶わなかった。そこまできっちりと線引きしているのだから、今後も人と関わるつもりなどないのだ。緑間だけが高尾にとっての特別で、数百年振りに気を許して近くにいる人間なのだ。
「そんなことは気にしなくても、オレが人と関わることなんてもうないだろうけどな。火神にオレのこと聞いたんだろ? 間違いなくもう神ではいられないから」
「まだ、決まってはいないのだろう」
「決まってなくても、現時点で半分は妖の域にいるようなモンだからな。妖まで落ちたら真ちゃんの守護霊にでもなろっか?」
妖と霊は違うけれど、守るという意味で傍にいようか。普段の姿で一緒にはいられないけれど、力が戻ったのだから変化だっていくらでも使える。今は消耗している為に何も出来ないけれど、体力が回復すれば火神のように今の姿のまま人間の形に化けることだって可能だ。周りの人間に怪しまれない姿に変化することなんて容易い。
明るく話すようにしているけれど、内容はそんなに軽いものではない。緑間の表情を見ながら、いつかと同じようになっているなと高尾は思う。こういう時くらい騙されてくれても良いのに、真剣に考えているのだろう。
「これからのことなんて分からないけど、オレが選んだことだから。今度こそオレのことなんて忘れろよ」
「和成、オレは――――」
人差し指が唇に触れる。それ以上は言うなと。
今度こそなんて言ったけれど、前に忘れろと言った時のことを緑間は知らない。直接は会っていないし、彼が帰った後でポツリと零れた言葉なのだから。
本当は分かっている。その先の言葉を止めたのは、聞いてしまえば別れがより一層辛くなってしまうから。
本当は気付いている。忘れろと口にしながらも、忘れて欲しくないと思っていることくらい。
「オレはお前の成長を見守るだけで幸せだった。傍にいられて嬉しかった。叶うのならこの先も共に、真ちゃんと一緒にいたかった」
未来は未知だというのに、緑間と高尾が二人で一緒にいられないということだけははっきりしている。離れ行く心がまた交わることなど、この先は決して有り得ないのだろう。
震える声を聞きながら、緑間は目の前の神様をそっと抱き寄せた。姿は同じ年頃の青年だというのに、今の彼はやけに小さく感じる。
「一緒にいられないと、決まっているわけではないのだよ」
高確率で無理だとは分かっているけれど、絶対に無理だとは決まっていない。僅かでも可能性があるというのなら、その可能性に賭けてみる価値はある。一度は離れることになるのだろうが、生きている限りは希望は残っているのだ。
村人達の願いを叶えてくれる神はいなくなる。また会いたいと願ったとしても、今後はそれを叶えようと努めてくれる神がいないのだ。勿論、他の土地にいけば神という存在はいるけれどそれでは意味がない。緑間にとっての神は高尾であり、逆もまたしかり。別の神に頼るつもりもなければ、他の神に頼って欲しくないと思っている。彼の願いを叶えるのは自分でありたいと。
「…………また会えた時は、一緒にいよう?」
「当然だ」
そっと触れ合った場所から互いの体温が混ざり合う。
外は先程まで見えていたはずの月が隠れ、ザーザーと雨が降り出した。
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