面影て 9




 ぼんやりとした頭で辺りを見回す。すっかりと暗くなった山の中、唯一の明かりは空に浮かぶ月だ。
 一体、今まで何をしていたのだろうか。まだ碌に働かない頭をなんとか動かして、これまでのことを思い出す。徐々に記憶がはっきりしてくると、慌てて辺りを確認した。場所は記憶が途切れる前と変わらない神社。今日やって来た連中の姿は見当たらない。それどころか、何かが起こった形跡など一つも残ってはいない。
 あれは夢だったのか。そう考えてすぐに頭を振る。あれは夢などではない。しかし、あるはずのものが何も残っていないのはどういうことなのか。そう思ったところで、絶対にあるはずの姿もないことに気が付いた。


「和成……?」


 ここは緑間が守っている神社だ。この場所には古くから神様がいる。普段は姿を見せないけれど、彼は緑間の前からは隠れたりしなくなった。
 けれど、今はその彼がどこにもいないのだ。神社の敷地内にも、本殿の中も探したけれど見つからなかった。もしかしたらと山にも入ってみたが結果は変わらず。絶対にこの地にいるはずの神様がどこにもいない。可能性のある場所は全部探したというのに見つからない。


「和成、どこにいる」


 声に出したところで返事なんてない。ずっと彼が守ってきたはずの場所に、守っていた彼だけがなくなってしまった。
 どうして。なんで。疑問は尽きることがないが、相手がいないのなら問うことすら出来ない。

 あの時、見境のなくなった彼は緑間にも牙を向けた。このままだとやられるのかもしれないと思いながら、せめて彼が自分を責めないようにと神である彼に願った。ここで死ぬのは構わないから、自分を責めることだけはしないでくれと。
 しかし、現実は想像とは違っていた。緑間は生きていて、高尾は姿を消した。死ぬどころかその前にしたはずの怪我さえなくなっていた。まるで何事もなかったかのようにこの場所はいつも通りだ。


「おい。お前が緑間か?」


 一人しかいないと思っていた中、後ろから声が聞こえて振り返る。背の高いその男は、昼にやってきた連中とは別の人物だった。だが、知り合いでもなければどこかで見かけた覚えもない。神社に人が訪ねてくるのなら普通だが、声を掛けてきた様子からして緑間に用があるのだろう。


「そうだが、お前は誰なのだよ」

「あーオレは……」

「こんばんは、緑間君」


 名前を尋ねたところで今度は別の声が聞こえてくる。男の後ろから現れたその声の主は、緑間も良く知っている人物。同じ学校のクラスメイトでありチームメイト、黒子テツヤ。どうやらこの男は黒子の知り合いのようだ。


「黒子、こんな時間に一体何の用だ」

「ボクは特に用はないですが、火神君が君に用があるそうなのでここまで案内しました」


 言われて火神と呼ばれた男に視線を向ける。こんな時間に何の為にこの場所を訪ねてきたのだろうか。理由は分からないが、用があるというのならとりあえず話を聞かなければ始まらない。緑間も忙しいのだからくだらないことに時間を割きたくはないのだ。
 用があるのなら早くしろと話を促せば、火神はじっと緑間のことを見た。その目がやけに真剣で、これから話すことが大事なことだと悟る。暫くその目を見つめてから、火神は漸く口を開いた。


「お前がこの場所を管理してるんだよな。何があったんだ?」

「何が、とは何なのだよ」

「なんでも、火神君のところに緑間君の神社を守っている神様が来ているそうです」

「は? どういうことだ」


 話が飛び過ぎていて内容が掴めない。いきなり何があったのかと聞かれても、見た目は何ともないこの神社で何があったのかと答えるのは無理な話だ。何についてと聞かれたならまだしも、漠然と尋ねられてもどう答えるべきなのか分からない。
 だが、火神の言葉に補足をするように説明をした黒子の言葉には意外な単語が含まれていた。その神社は当然この場所のことなのだろうが、その神様がこの男の元にいるとはどういうことなのか。話に出ている神は高尾のことだろうけれど、何故それを二人が知っているのか。


「言い忘れていましたが、火神君はボクの家が管理している神社の神様なんです。そこに緑間君のところの神様が来ているようなので、そのことを伝えに来ました」

「アイツは無事なのか!?」

「そのことで火神君は君と話をしたいそうです」


 黒子の家も緑間と同じく神社を管理する家なのだ。二人は同じ高校に通っているのだが、両者共に自分の村を出て別の町の高校に通っている。村を出ているとはいえ、どちらの家からも高校までは普通に通える距離なのだ。ちなみに、緑間に今回の事件に関わることを教えてくれた赤司を含め、チームメイトには同じような家柄の友人が何人かいる。とはいえ、それぞれの土地を訪ねたこともなければその神との面識もない。
 二人をはじめとする彼等に学校という場での繋がりがあるように、神には神の繋がりというものがあるらしい。高尾と火神も二人のように友人関係にあるのだ。緑間達と同じでそれぞれを守っている当主との面識はないし、互いの地を行き来することも殆どない。
 だが、今回火神は緑間を訪ねた。高尾に何かあったとなれば必然的にその地に何かあったと考えるのが妥当である。だからこそ、夜でも構わずにここまでやって来たのだ。


「とりあえず高尾は無事だけど、力の使い過ぎであまり動ける状態じゃねぇんだ。それで、アイツの代わりにお前に話を聞こうと思って黒子に案内してもらった」


 いなくなってしまった高尾の無事が確認できたことに緑間は一先ず安堵する。しかし、力の使い過ぎというのはやはり昼の出来事のせいなのだろう。

 数時間前、突然やってきた友人に火神は驚きながらも神社に迎えた。一目見ただけでかなり力を消耗しているのが分かり、暫く休ませて欲しいと言った彼の頼みを聞き入れた。そのまま倒れるように眠ってしまった彼に事情を聞くことは叶わず、けれどこんな状態になるほどのことがあったのなら放ってもおけない。
 最近は風の噂で悪い話も耳にしていただけに、一応危険のないように準備をしてから黒子と一緒に緑間を探した。神の間では、どの家が各々の地を守っているかを名前だけは互いに知っていた。それで火神が黒子に協力を頼んだところ、意外なことに二人が友人だったお蔭ですんなりとここまで来ることが出来て今に至る。


「高尾に何があったんだ。アイツは元々力を持ってないから、普通ならあそこまで衰弱することはねぇんだけど」

「アイツに力がない?」

「あぁ、ゼロではないけどな。前に一度暴走させたことがあったから、大半は封じられてるって聞いてるぜ」


 力を暴走させたことがあるという話は緑間も聞いたことがある。それを境に高尾は人間とは極力関わらないように壁を作った。けれど、その時に彼の持つ力も封じられることになっていたのは初耳だ。
 そういえば、神の基準を自分にするなとも言っていたのを思い出す。高尾自身には大した力がないと言ったのもこういう理由があったからだったようだ。そうなると、人間に変化をする時に子どもにしかなれないのも同じ理由なのだろう。目の前にいる火神は、緑間や黒子とそう変わらない年頃の姿をしているのだから。


「今日あったことは、この土地を開拓しようとしている連中がやってきたことぐらいなのだよ。その連中と揉めて、気付いた時には全部元通りでアイツだけがいなくなっていた」

「色々大変だったんですね。全部元通りになったのは、やはり神様の力でしょうか」

「そんなことが出来るのはオレ達ぐらいだろうけど、アイツには無理なんだよな」


 緑間が話を簡潔に纏める。それを聞いた黒子は、そんなことが起こっていたとは知らず驚きの色を浮かべた。それから考える可能性を提示すれば、火神は肯定を返す。
 火神だけではなく、他の二人もこの状況については神の力だろうと同意見を出していた。だが、それは不可能なことだ。神が持てる力では可能なことながらも、神の力が封じられている高尾にそれは出来ない。


「もしかして、アイツの封印を解いたりしたか?」


 力が封じられている高尾に唯一考えられる可能性は、火神が言うように封印を解くしかない。そうすれば全ての辻褄が合う。
 けれど、ここで問題になってくるのは封印の解き方だ。その方法は火神も知らないらしい。当事者である高尾にも知らされてはいないだろう。本人が知っていたら好きに解除出来てしまうから。絶対に知っているのは彼等を纏めている神だが、封じた神が解いたりはしない。


「緑間君は何か聞いたことがないんですか? 彼はここの神様ですから」


 残る可能性は、この神社を管理している家に方法が伝えられていると考えるしかない。そういわれたところで、緑間には特に思い当たることはない。大体、あの場面で封印が解かれたのだとすれば解除の方法も限られている。高尾がもっと前から封印を解いていたなら話は別だが、それなら子どもの姿で連中と対峙したりはしない。緑間は封印のことを知らないのだから隠す必要もなく、この一件の中で封印が解かれたと考えるのが妥当だ。
 まず、封印が解かれたのはいつなのか。昼の事件の中でそのきっかけとなりそうなものがなかったかを思い返す。言葉だとすれば分からないが、封印を解除するのに関係のありそうな単語など口にした覚えはない。適当な単語を並べただけのものならお手上げだが、それでは解除をする時も大変だから可能性は低い。他にそれらしいことは――――。


「そういえば、怪我をしたのだよ」

「怪我ですか? でも、それらしいものは見当たらないですが」

「それも気付いたらなくなっていた。オレがアイツを庇った時に怪我をしたんだが、考えられるのはそれくらいだ。あとはアイツが危機にさらされたことくらいしか思いつかないのだよ」


 穏やかではないものの、途中までは話をしていただけなのだから特別変わったことはなかった。動いたのは両者が対峙した時からだ。考えられるのは、己が危機にさらされた時に力が解放されるということ。または誰かが危機にさらされた時、というのも似たようなものだ。この二つを除いた場合、緑間が怪我をしたというのも一つの出来事だ。挙げられる可能性はこれで全て。
 どれも封印を解くという方法としてはあまり難しいことではない。そう簡単に封印は解けないようになっていると思うのだが、意外とそうでもないのだろうか。けれどそれでは封印の意味がなくなってしまう。


「もしかして、怪我した時に出血したりしたか?」

「ナイフで掌を刺されたのだから、出血くらいしていたのではないか」


 どうして自分のことなのに曖昧なのかといえば、その時のことをはっきりと覚えていないからだ。あの時は、高尾に怪我をさせたくなくて無意識のうちに体が動いていた。手の痛みなど感じられないくらいには、連中の勝手すぎる行動に怒りを覚えたらしい。
 そこまで考えて、緑間は火神の言おうとしたことを理解した。同時に、緑間の者はこの地を守護する神の力を守っているというような話を幼い頃に聞いたと思い出す。緑間の血は、そういう意味でも特別なのだと。おそらく、封印を解く鍵となっているのは。


「アイツの封印は多分解けたと思うのだよ」

「それなら辻褄が合いますね」


 話の流れで封印の鍵は全員一致で特定された。具体的な方法は分からないが、封印が解けて高尾に力が戻っているということが分かれば十分だ。彼が衰弱しているのは昔と同じく力を解放したが故の反動。
 その力を封じたのは、また繰り返しては困るからだ。神と呼ばれる存在だけあって、その力は人とは違う域の特殊なもの。己が見守る土地の為に持っている力は、本来村人の祈りを聞き入れたり守護に使われる。それが暴走した時、周りへの被害は計り知れるものではない。
 実際、以前に力が暴走した時はかなり悲惨な状態だった。火神のような土地を守る神達の中でも人と触れ合うことの多かった彼が、一切それをやめて心を閉ざすほどに彼自身も変わってしまった。村にも妖の噂が流れ、他の神達も人間との付き合い方を改めて考えることになった。
 そんな彼がまた同じ過ちを繰り返した。少し前までは、黒子や緑間のような神に近い存在の人間ですら近付かせなかった彼が、だ。


「緑間、オレ達と一緒に来てくれないか? これからアイツがどうなるかは分からねぇけど、もう会えないかもしれねぇから」

「……どういう意味だ?」

「アイツ、これで二回目だろ。だからどうなるかも分からねぇし、わざわざオレのところに来たのはお前に会うつもりがないからじゃないのか」


 彼は分かっていたはずなのだ。戻った力をそのまま使った場合、その後どうなるのか。それでも力を使ったのは、どうしても使わずにはいられない状況だったからだ。更に言えば、そこまでしてでも助けたいと思う人をまた見つけられたということ。
 これは彼にとっては良い変化なのだ。ただ、タイミングが悪かった。どうしてこういう時に今回の件で関わったような連中が現れてしまったのか。終わってしまったことを悔いても仕方ないが、突然訪ねてきた友人が本当に望んでいることは分かっている。もう関わるつもりがないから後片付けを済ませてやってきたのだろうが、本心ではやっと見つけた心の通わせる相手と共にいたいと思っているのだろう。もとは人と関わるのが好きだった彼なのだから尚更。


「本人に許可は取ってねぇけど、オレが誰を呼んだって問題はないわけだし」


 若干強引な理由だが、こうでもしなければ高尾は会わないだろう。
 一回目の失態で力の殆どを失いながらも神としての地位を奪われなかったのは、高尾がそれだけ村のことを大切に思っていたからだ。そして、周りの友人達の口添えのお蔭でもある。力もなくなり人々との関わりも絶ったけれど、自分の守護する土地を守る気持ちだけは変わらなかった。神であり妖でもある存在になりながらも、残されていた力で彼はその役目をしっかりと果たし続けてきた。
 しかし、二回目となれば彼等を纏める神がどう決断を下すか分からない。只でさえ神の地位はギリギリ持っていたというレベルで、妖にも近い存在だったのだ。今度こそ神という立場を剥奪されるかもしれない。そうなった彼は妖まで身分が落ちるかもしれないし、もっと別の処遇が下るのかもしれない。少なくとも、緑間と一緒にいることは百パーセントに近い確率で無理だ。


「高尾に会いたいのなら、今しかないぜ」


 どうするんだと尋ねる。ここで決めなければ次の機会があるのかは不明だ。文字通り、今しかないのだ。
 それが分かっているのなら、緑間には答えを選ぶ必要なんてなかった。今しかないというのなら、今から会いに行く。元より、黒子や火神が来なければ高尾を探しにもっと別の場所へと言ってみるつもりだったのだから。迷う要素なんて何一つとしてない。


「さっさと案内するのだよ。時間がないのだろう」


 そんな緑間らしい答えを聞いて、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
 それから、三人揃って別の神社へと移動する。