黄金色の面影を探して 11
あの事件から早二年。緑間は大学に進学し、新たな生活を送っていた。
二年前。土地開発をしようとしている連中が緑間の住む村に目を付けて、彼の守っている神社で争いが起こった。その争いの中で負傷した者は多かったが、致命傷になるような怪我は一切なく奇跡的に全員無事に終わった。こんな事件が起こった為、神社を取り壊す計画は白紙に戻されたものの全てが元通りになったわけではない。数百年という長い間、ずっと村を守ってきた神様はあの事件を境に姿を消した。
どこか別の神社に行ったわけでもなく、本当にいなくなってしまった。同じ神である火神に話を聞いたところ、彼は二度目の暴走をさせてしまった為にそれ相応の処置がなされたのだと言っていた。具体的なことは火神も知らないようで、それ以上は情報を得られなかった。
(アイツは今、どうしているんだろうか)
この二年で出来ることは全てやった。思い当たる場所から、それっぽい場所まで空いた時間で探した。それで見つからないのが現状だ。たとえ会うことが叶わなくとも、どこかで元気にやっているのだとすればそれでも良いと思っているのは本心である。
そんなことを考えながら、緑間は神社へと足を運ぶ。神様がいなくなってしまったとはいえ、それを知るのは緑間だけだ。お祭りも例年行われているし、この場所の管理も続けている。緑間がこの場所を訪れるのはその二回と、彼が消えてしまった日の三回。いないと分かっていても、どこかにあの神様の姿を探してしまう。
(もう、アイツと会うことは叶わないのだろうか)
探すことを諦めてはいない。けれど、もう会えないのかもしれないと考えたことがないといえば嘘になる。信じていればいつか会えると、それを教えてくれた人を思い出す。今まで、何度もそうして出会いを繰り返してきたのだ。会いたいと願う気持ちこそが大切なのだと笑っていた。だから緑間は諦めない。それを叶えていた人こそいなくなってしまったが、いつかその日が来ると信じている。
神社までの階段を上り終えると、緑間は足を止めた。いくら人があまり来ない神社とはいえ、参拝客はゼロではない。人がいるのは珍しいで片付けられることは多いが、今回はそれで片付けることは出来なかった。頭で考えるよりも先に体は動き、その姿を捉えるなり反射的に手を伸ばした。
「えっと……オレに何か用?」
いきなり腕を掴まれれば誰だって驚く。ビクッと肩を揺らしながら振り返り、どうすればよいのかと迷いながら当然の質問を投げ掛けられた。
だが、その質問は緑間には届いていなかった。どうして、何で、と様々な疑問が頭の中で生まれる。
「お前、名前は?」
「高尾和成だけど……」
質問に質問を返されながらも、その男は律儀の名前を教えてくれた。これこそが緑間がこの男を引き留めてしまった理由である。男は、彼にそっくりだったのだ。見た目もそうだが、どうやら名前も同じらしい。
というより、この男は彼と別人なのだろうか。テレビでもそっくりさん登場なんていう番組をやっているように、他人の空似というのは有り得ないことではない。今回の場合は見た目も名前も同じだからこそ、別人なのかという疑問が生じる。
「そういうお前は、って。緑間真太郎か?」
「どうして知っているのだよ」
「知らない方が珍しくね? キセキの世代No.1シューターだろ。オレもバスケやってたし」
緑間が通っていた学校はバスケの強豪校であり、緑間を含めたレギュラー陣はキセキの世代と呼ばれるほどの天才プレイヤーが集まっていた。その名は全国にも知れており、バスケをやっている人なら勿論。あまり詳しくない人ですらその名を知っていることもある。男――高尾もバスケをやっていたというのだから、知っているのも納得だ。
それにしても、この男と彼はあまりにも似ているのだが緑間のことを知らないならば、やはり別人なのだろうか。バスケで名前を知っている以外には特に知らないようだし、嘘を吐いているようにも見えない。偶然に偶然が重なった他人の空似なのか。
「バスケはもうやらねーの?」
「時々仲間とやるが、その道に進むつもりはない」
あんなにバスケが上手いのに勿体ないなと高尾は話す。仲間はキセキの奴等なのかと聞いたり、そうだと分かれば見てみたいなんて言っている。コイツもアイツと同じでよく喋る奴だと緑間は思った。こちらが話さなくも一人で勝手に話を進めてくれる。初対面だというのにここまで話せるのは純粋に凄いと感じる。
「お前はやらないのか」
「バスケ? そりゃ好きだけど、オレも将来バスケやるつもりはねーから」
好きだからでそれを仕事に出来る人というのはほんの一握りだ。なりたい職業に向けて努力はしていくけれど、それとこれとでは話が別だ。好きで部活に入りやっていたとしても、それがプロにまで繋げるのは難しい。彼等のような場合、スポーツ推薦で高校に進んだり中には大学にも推薦を貰う者もいるだろうが、プロにまで続けている者はそう多くない。
あれだけ世間を騒がした天才プレイヤーも同じ。意外な気もするけれど、彼等にだって将来の夢はある。どんな天才でもそれは他の人達と何ら変わりはないのだ。
「あ、そういえばオレに何の用だったの?」
バスケの話で盛り上がってしまってすっかり最初の疑問が忘れ去られていた。ここにきて漸く初めの話に戻る。
けれども、何の用かと聞かれたところで緑間にはその答えがない。知り合いに似ていたから、というのもどうなのか。だが、ただ何となく呼び止めたというよりはマシだろう。他にもっとまともな答えはないものかと考えるが、初対面の人相手に出せる答えなど限られている。
どうしようかと考えていると、ポツリと冷たいものが頬に当たる。どちらともなく視線を空に向ければ、青空が見えている中でポツポツと雫が降ってくる。
「またお天気雨だな」
また、と言ってしまうくらいには最近天気雨が多い。天気なんてものは操れるものではないのだから、ただの偶然が重なっているだけだろう。太陽が出ているにも関わらずどんどん雨が降ってくる。天気雨なのであまり勢いはないものの、このまま立ち話をしていたら雨に濡れてしまうだろう。
「高尾、とりあえず屋根のある所に移動するぞ」
じっと空を見ている高尾に緑間はそう声を掛けた。天気雨でも濡れるものは濡れるのだ。そう長くは続かないだろうが、このまま外にいれば濡れて風邪の原因にもなりかねない。早いところ屋根のある場所へと移動するのが得策だ。
しかし、高尾はその場を離れようとしなかった。それどころか、行っていいよと言い出す始末。まさか、この雨の中にずっといるつもりなのか。いくらさっき会ったばかりとはいえ、この場に居合わせている以上は放っておくことなんて出来ない。
「馬鹿なことを言うな。風邪を引いたらどうするのだよ」
「オレは丈夫だから平気。緑間は早く屋根のあるとこに行った方が良いぜ」
何を根拠に平気だというのか。体が丈夫だからとかいう問題ではないだろう。いくら先に行って良いと言われても、この状況で高尾を置いて行く気にはなれない。一体高尾は何を考えているのか。
とりあえず今は雨に濡れない場所に移るのが先だ。早くしろと言っても駄目。一緒にいる相手を置いていけないだろと言っても気にするなと返ってくる。雨に濡れたって良いことなんてないというのに、どうして自ら濡れようとするのか。何を言っても聞かない相手にそう言い放つと、さっきまですぐに返答されていたのがピタリと止まった。
それからどれくらい経ったのか。実際には数秒程度しか経っていないのだろう時間を置いて、高尾は空を見上げたままゆっくりと口を開いた。
「分からない。けど、何かに呼ばれてる気がするんだ」
おかしな話だろ、と高尾は笑う。それが何かは分からないけれど、天気雨が降ると何故か胸が苦しくなる。同時に、何かが自分のことを呼んでいるような気がする。これまで生きてきた記憶はちゃんとあるというのに、どこか空虚さを感じている。その答えの鍵になっているのがこの雨なのではないかと高尾は考えている。どれもが曖昧な想像でしかないけれど、何かが足りないことは間違いないのだ。
そこまで話したところで「ごめん、お前まで付き合わせるつもりはないから」と静かな声が告げた。だが、緑間はこの場を動かない。なぜなら、緑間はその声を知っているから。知っているというより、漸く見つけたといった方が正しいかもしれない。
この男は、やはり緑間が探していた彼なのだ。
「…………お前は、こんな所にいたのだな」
思わず口から零れた言葉だったのだが、向こうにも聞こえてしまったらしい。きょとんとした表情で「緑間?」と彼からは聞き慣れない名で呼ばれる。
こんなに近くにいるのに、また触れ合うことの出来ない距離がある。どうしていつも二人の間には壁があるのだろうか。
「オレにはずっと探していた人がいる」
「探していた、ってことは見つかったのか?」
「いや、まだ半分といったところだ」
過去形で話していることから見つかったと理解するのは簡単だ。けれど、確認するように尋ねたところで返ってきたのは不思議な答えだった。
半分。探していた人を見つけた結果に半分なんてものがあるだろうか。高尾はそう考えるが、これは現実で彼自身に起こっていることである。探し人は見つかったけれど、そこにあるはずの記憶がない。これでは、見つかっても見つかったとは言い切れない。
「狐の嫁入り」
たった一言。それがこの天気を示しているということは分かる。天気雨の別名は狐の嫁入りなのだから。けれど、何が言いたいのかまでは分からなかった。
その答えは、次の緑間の言葉で明らかになる。
「オレが探しているのは狐だ」
「狐……?」
「ああ。お前と同じ目をしている狐を探している」
優しい声色で話しながら、そっと手を伸ばして柔らかな頬に触れる。顔をこちらに向けて、その瞳を真っ直ぐに見つめる。
二つの色が混ざり合う。瞬間、一筋の雫が頬を伝った。
天から降り注ぐ雫の中に紛れてすぐに落ちてしまったけれど、一度溢れ出した雨は簡単には収まらないらしい。次々と頬を流れていく雫に、高尾は漸く自分が泣いているということに気付いたらしい。
「あれ、なんでオレ、泣いてるんだろ」
零れ落ちる涙を手の甲で拭いながら小さく呟いた。雨に紛れながらもはっきりと泣いているのが分かるくらい、涙は止まらない。まるでそれに呼応するかのように、空から落ちてくる雫は激しさを増す。
狐が涙を流した。天気を操ることも出来る神が涙を流した時、外の世界にも雨が降り注ぐ。神というのは特別な存在で、その神と関わる人間もまた特別な存在で。
「っ……オレ、なんで。ごめんっ…ごめんね……」
嗚咽をあげながら、高尾はなんとか言葉を発していた。それが何に対しての謝罪なのか、緑間には分からなかった。この状況に付き合わせていることに対して謝っているのか、それとも別の何かに対して謝っているのか。
どちらにしても謝ることはないのだ。そう伝える代わりに、緑間は彼の背に腕を回してそっと抱き締めた。腕の中で涙を流した彼は、ごめんと繰り返しながら自然と緑間の後ろに回していた腕を強くした。
激しい雨が徐々に緩やかになっていく頃には、ずっと腕の中にいた高尾も落ち着きを取り戻してきたようだった。もう大丈夫だろうと離れられるように腕の力を緩めるが、回されている腕はぎゅっと抱き着いたまま。
「高尾?」
心配になって声を掛けるが返事はない。腕の力が強くなっているのだから、ちゃんと聞こえてはいるのだろう。もう一度名前を呼ぼうとした時、またごめんと謝罪が聞こえてきた。
「ごめん、本当にごめんな」
「別に謝る必要はないのだよ」
言えば、ふるふると高尾は首を横に振った。
違う、そうじゃないと。謝らなければいけないことがあるのだと。緑間に謝罪をしなければいけないのだと高尾は言う。
「オレはお前に酷いことしたんだ。やっと、やっと見つけたのに」
初めは違和感などなかったが、次の言葉はこの状況にはおかしい。二人が出会ったのは今日が初めて。実際に出会ったのは何年も前の話だが、記憶のない高尾にとっては今日が初対面みたいなものだ。
それなのに、彼は“やっと”と言った。記憶のない彼がそれを口にするわけがない。ここまでくれば、その言葉が意味することを理解するまでそうかからなかった。
「高尾、お前――――」
「大切な人を忘れるなんて最低だよな。ごめんね、真ちゃん」
彼だけの呼び名。それが高尾の記憶が戻ったことを証明していた。
気付いた時には再び強く抱きしめていた。二人の間にあった壁は、既に消えていた。
「謝るなと言っただろう。オレはお前がここにいるだけで十分なのだよ」
また会いたいと思っていた。ずっと探し続けていた。
記憶がなかったことと高尾が受けた処遇が関わっていることぐらい、本当に彼が高尾なのだと気付いた時から緑間には分かっていた。だから謝る必要なんてないのだ。それは高尾のせいではないのだから。
それよりもまた会えたという事実が嬉しい。会いたいと思いながらもその可能性は限りなく低かった。もう会えないかもしれないと思っていた。けれど、今その彼はここにいる。それ以上に幸せなことはないのだ。
緑間の言葉を聞きながら、高尾はそれでもと言いかけて止める。今言うべきなのは謝ることではないと気が付いて、代わりに別の言葉を口にした。
「…………ありがとう」
謝る必要はないと言われて、謝罪と感謝の使い方を教えられた。悪いことをしたと思う気持ちはあれど、そんな風に言ってくれる緑間に感謝の気持ちも抱いている。謝ることがいけないのなら、せめてその分もお礼の言葉に変えて伝える。
二人が再び出会えたことを高尾だって嬉しく思っている。少し前まで忘れていたとはいえ、思い出した瞬間から沢山の感情が心から溢れてきた。今は、一緒にいられるこの時間でさえ愛おしい。
「真ちゃん」
「何だ」
「また一緒にいさせてくれる?」
あの日、最後に二人が願ったこと。また会いたい、会えた時は一緒にいたい。誰に願うわけでもなく、二人の間でひっそりと願われた想い。質問の答えなどとっくに出ている。
緑間は肯定の代わりに唇にキスを落とした。今度こそは決して放したりしない。人間と神ではなく、同じ人間としてずっと共にいることを誓う。
「好きだ、和成」
「うん、オレも好きだよ」
初めて会った時から惹かれていた。けれど、気付かないフリをしていた。
人間と神。決して交わることのない世界を生きる人。許されない感情は心の奥底に隠した。だが、どちらも人間となった今はもう隠す必要などないのだ。世間体を考えれば結局問題は山積みなのだが、対等の立場になったことの方が大きくて他は気にするに値しなかった。
一緒にいられるのならそれで良いと。
二人はもう一度。さっきよりも深い口付けを交わした。
先程までの雨はもうすっかり止んで、空の上では太陽が笑っていた。
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