黄金色の面影を探して 5
代々受け継がれている舞を踊る彼の姿はとても美しかった。本来は女性が躍るものなだけに衣装は女物なのだが、緑間は美人だから化粧をして着飾ってしまえば全く問題はなかった。身長は男性平均を余裕で超えていたが、それでも全体が整っているだけに違和感はない。
いつも通りその様子を高尾は遠くから眺めていた。舞が終わればお祭りも終了。一通りの片付けが終わると、神社に残っているのは二人だけ。
「わざわざあんなことをしなくても、この時間にお前に会うつもりだったんだぜ」
「今までずっと姿を見せなかった奴がよく言う」
「そりゃあ、人前に出れるような立場じゃないからしょうがないだろ」
本当に会うかどうかは祭りの最中も考えていたが、既に緑間には名乗ってしまっているのだ。それならば会ってみるのも有りではないかと考えていた。それはあまりよろしくないことだが、両者共に会いたいと願っているのなら一度くらいその機会を作るのも良いのではないかと。
どれだけ自分に甘いんだと思うかもしれないが、普段なら絶対に名乗らないのに彼には昔名前を教えてしまっていた。ついでにむこうも有名な家柄でどうしたって接点は出来てしまう。きっかけを作ってしまったのは高尾自身なのだから、それならきちんと終わらせなければいけない義務がある。その為にも、一度は会うべきだったのだ。きっかけとしては、初めて舞を踊ることになる今日が丁度良かったというわけだ。
それも、緑間の予想の斜め上をいく行動で予定とは違う形で再会することになってしまったけれど、初めから会うつもりだったのだからある意味良かったのかもしれない。
「オレに聞きたことがあるなら、答えられる範囲で答えるぜ」
「お前は年をとらないのか」
いきなり直球な質問を投げられて、まずそこから聞くのかと思ってしまった。やはり気になるところなのだろう。身長は変わらぬままで不思議に思うなという方が無理だ。話す機会を作れば必ず突っ込まれるとは思っていたが、何と答えれば良いのやら。答え方なら幾らかあるが、これは見せてしまった方が早いかもしれない。
そう決断すると右手の人差し指と中指を立てて印を結ぶと、ボンという音と共に高尾の姿が煙に包まれる。暫くして現れたその姿は、緑間と同じ年頃の青年。頭には二つの耳と、後ろには大きな尻尾。高尾が神という存在で、人とは違うということを緑間は初めて感じた。
「年はとるけど、お前等とは時間の流れが違うんだ。さっきまでは人間の姿に変化してただけ。この姿でもお前よりかなり年上だぜ」
「それでもオレより低いのだな」
「それはお前が高いだけ! オレだって人間でいう男子平均身長くらい超えてるんだからな」
百九十を超えている男より低い奴なんてこの世に幾らでもいるだろう。一般的に見れば高尾だってそれなりに身長はあるのだ。背はまだ伸びそうだと思っていたけれど、ここまで伸びるとは思ってなかった。
こればかりは成長の違いなのだから誰にもどうすることも出来ない。だが、健康に育ってくれたみたいで良かったと、親ではないながらもずっと見守ってだけにそんなことを思っていたりする。
「お前は今、何歳なんだ」
「さあ? そんなの覚えてねーよ。数えるのなんてとっくの昔に止めた」
これは言葉の通りだ。初めのうちは数えるのも良いのだが、段々と面倒になってくるのだ。人々は毎年誕生日を数えて祝っているけれど、それを同じようにやるとなると相当根気がいる。少なくても三桁は突入している数を毎年カウントする気は起きない。自分の年齢を知りたくない、というのも理由の一つだ。
どうして自分の年齢を知りたくないのか。別に知っても特に意味はなさないのだが、周りの人達は自分よりも早くにいなくなってしまう。その中で一人だけ年を重ねていくことは意外と辛いのだ。神様なんていわれていても、心を持った人なのだから。
「…………辛くないのか」
緑間が口にしたのはそれだけだったが、先ほどの言葉の裏に隠れていた意味に気付いてしまったのだろう。頭が良い奴っていうのはこういう時も鋭いから困る。話すと言っただけに高尾も隠さずに正直に話す。
「辛いか辛くないかっていえば辛い。でも、そう思ったところで何も変わらないだろ? オレは自分の役目を全うするだけ」
努めて明るく話してみるけれど、緑間の表情は曇ったままだ。明るく振る舞ったところで空元気であることぐらいバレているのだろう。
周りの人がいなくなってしまうのが辛かった。人間達との間に距離が出来たのは、意図的ではなかったものの好都合だったのかもしれない。人と関わらなければ辛い思いをせずに済む。その代わりに一人になり寂しさというものを知ってしまったけれど、慣れてしまえばそこまで苦でもない。周りに人がいた頃は賑やかで楽しかったけれど、何度も悲しさや辛さを乗り越えなければならなかった。
どちらの方が良いかなんて、今の高尾にも答えは見つけられない。悩まずとも、今は周りに人が集まることはないのだから答えを探す必要もないのだけれども。
「神という存在が不死身なのかは知らない。試したこともないし。そもそも、オレが神なんていう大層なものかも分からない。見ての通り、オレはこの神社を守ってる狐。ある時には神なんて拝まれるけど、一歩間違えば妖だって恐れられる」
その発言で、この村に伝えられていることの本当の意味を緑間は理解した。神社にいると言われている神も、神社で悪いことをすると制裁を下すべく現れる妖も。どちらもこの男一人のことを指していたのだ。神と妖は表裏一体の存在だった。
何故、神が妖とも恐れられてしまったのか。その時のことを高尾はあまり覚えていない。けれど、気付いた時の状況からやってしまったんだと理解するのは難しいことではなかった。何が切っ掛けかも分からない、だけど力を開放して暴走させてしまったのだと。
それが人間との間に壁を作った原因だ。元を辿れば自分のせいであり、ある意味では好都合だった。一人で生きていく。線引きをするのには丁度良かった。それを境に人間と関わらないようにしてきた。迷い込んだ子どもだけは道案内をしてきたけれど、それだけだ。あの時、緑間に名乗ってしまったのはその場の勢いだった。いつものように適当に誤魔化すことも出来たのだけれど、何故か彼には普通に名前を教えてしまった。
「何だったら試してみる? お前にならオレは――――」
「ふざけるな。オレは絶対にそんなことはしないのだよ。頼まれたって御免だ」
きっぱりと拒否をすれば、すぐに冗談だと笑い流される。知り合ってからは結構経つものの殆ど話したこともない相手だというのに、それが表面上だけの笑顔だということに緑間は気付いてしまった。そして、それが彼が生きていくうえで身に付けたものだということも容易に想像できた。昔出会った時には気になることはなかったけれど、あの時もこんな風に笑っていたことがあったのだろうか。
試したことはない。けれど試してみようかと彼は言った。辛いか辛くないかといえば、辛いと答えた。もしかしたら、本当は彼はそれを望んでいるのかもしれない。何年生きているかも分からない。彼の抱えるものを到底理解しきれないだろうし、ポーカーフェイスの下に隠れている表情も見きれない。それでも、先程の言葉に嘘や偽りはない。
「オレはお前に会いたいと思った。だから探していたのだよ」
そんなことをする為に会ったのではない。こうしてまた話してみたかったから探し続けていた。辛いと言うなら傍にいれば良い。そう言いたいのに簡単に口にしてはいけない言葉だというのが歯痒い。普通の人間関係だったら迷いなくそう言っただろう。けれど、人とは違う世界を生きている彼にそれを言うのは酷なだけだ。傍にいたとしても、先に年を重ねてしまうのは間違いなく自分なのだから。最後に置いていっては、また辛さを味わわせてしまう。
目の前にいるのに、こんなに近くにいるのに。二人の間に隔てられた壁は果てしなく大きい。手を伸ばせば届く筈なのに、その手を掴むことは許されない。このような世界が身近に存在するとは思わなかった。この世界の中では、決して触れ合うことの出来ない関係なのだ。
「ありがと。それだけでオレは十分だ。だから、お前と会うのはこれで最後」
「……それが、お前の出した結論なのか」
共に在りたいと思う。けれど、それが辛い結末を迎えることになることも知っている。偶然出会った二人がこうしてまた話をしているのにも意味はある。あの時名乗ったのは、おそらくは幼かった彼に惹かれるものがあったからだろう。あの時感じたものは誤りではなく、この瞬間の時間も意味のあるものだ。
この時間が続けば良いとは思う。それが叶わないことだと理解している。何が正しいかは分からない。現時点で出せる最善の結論がそれだっただけ。
そんな結論を出すなと言い切れない立場。何が正しいかも分からない世界で出来ることは、彼の出した答えを聞き入れることだけなのだろうか。もっと他の何かがあるのかもしれない。だけど、今はそれしか知らないから他の方法を選ぶことが出来ない。
「オレのことなんか忘れて、元気にやれよ」
「それは出来ないが、お前も元気にやるのだよ」
これが運命だというのならそれも良いだろう。けれど、これが百パーセント正しいとは思っていない。だから、己等は正解のない答えを探してもがき続ける。より良い未来を探して。いつの日か、本当に正解だと思える答えに辿り着けるように。
「じゃあね、真ちゃん」
「またな、和成」
最初で最後に名前を呼ぶ。小さかった二人が互いのことを呼んだその名を。
さよなら。もう直接会うことはない。正しい答えを探しながらも、長過ぎる年月を通して諦めを知ってしまった心。
また会う日まで。いつかまた出会えると信じている。正しい答えを探して、短い時間の中で光を探そうとする心。
二つの心が交差する。近くに在りながら決して触れることの出来ない心。離れ行く心が再び交差をする日は来るのだろうか。
一つはその日を願い、一つはその日を求めて。
別々の道に向かって足を踏み出す。
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