黄金色の面影を探して 6
事件というのは前触れなく突然やってくるものだ。
いつも通りの日常。何ら変わりのない生活の中に振ってきた一つの災い。
「真太郎、お前の家も神社の管理していたな」
「それがどうしたというのだよ」
放課後になりこれから部活という時に、クラスメイト兼チームメイトである友人に呼び止められた。まだ最後の大会を残しているというこの時期に、練習の時間を削ってまでも彼が話をするなんて珍しい。しかも出てきたのは部活には全く関係のない話。いきなりどうしたんだと思う半面で、彼がこんなことを言い出すということに嫌な予感が胸をよぎる。
嫌な予感というのは何故か当たってしまうものらしい。その先に続いた話を聞いて、言葉を失ってしまった。何故そんなことを知っているのかという疑問より、早く行かなければならないという衝動が生まれてくる。
「どうやら知らなかったようだね」
「赤司、すまないが」
「分かっている。早く行け」
この時期に部活を休むなど考えられない。けれど、それ程までに大事なことなのだ。主将である彼も事情を知っているからか、あっさりと許可を出してくれた。その言葉を聞き終わると同時に鞄を持って学校を飛び出した。
向かう先はただ一つ。緑間の家がずっと管理をしてきた神社。幼き頃に偶然出会った神様がいるはずの場所に足を踏み入れる。祭りの日に出歩いている様子からして、この場所にいるのかは分からない。だけど、きっとこの場所にいると信じて本殿の前で立ち止まる。
「和成、事情が変わった。お前と話がしたい」
あれから約二年。まだあの時の正しい答えは見つけられていない。本当はそれを見つけてからまた訪れるつもりだった。だが、そんな日を待つことが出来ない状況になってしまったのだ。彼はあの日の言葉通り、会わないと答えるだろう。それでも、どうしても二人で話をしなければいけないのだ。どちらか一人の問題ではない、二人にとって重要な問題だから。
返答がないのはこの場にいないからなのか、居留守をしているのかは分からない。それとも会う以前に言葉を交わすことも許してはくれないのか。例えそうだとしても、こちらの声は届いているはずだ。祭りの日の祈り以外に神社でお願いしたことも、ここの神様は大抵叶えてくれている。それはつまり、願いを聞いているということなのだから。
「どこかの偉い人達がこの地を開拓しようとしているらしい。その計画の中には、この神社を取り壊すというものも入っていると聞いた」
バスケ部は冬のWCを前にして厳しい練習をこなしている最中だが、それよりも優先するべきこととして神社にやって来た。どこから仕入れた情報かは分からないが、主将の赤司が手に入れてきた情報は正確なものだろう。確信がないことを彼はあんな風に話したりはしない。
部活は大切だ。しかし、それ以上に家の務めは大切だった。本家の長男としてその役割を引き継いだから。何より、この地を守ってくれている神様のことが大切だから。水面下で進められているという計画を阻止しなければいけない。古くより神に守られてきたこの土地を守る義務が緑間にはある。
「オレはそんなことをさせるつもりはない。だが、一人ではどうすることも出来ない。だから、力を貸して欲しい」
一人で解決出来ることなら解決する。けれど、役割を引き継いだばかりで未熟な自分は知らないことが多い。神社のことも、彼のことも。この地を守る為には、彼の力を借りなければ計画を阻止するなんてことは不可能。
この地を守りたい。今願うのはただそれだけ。
「頼む、和成。このまま連中の好きにさせる訳にはいかないのだよ」
「…………それが天の定めた運命なら、受け入れなければいけないこともある」
漸く聞こえてきた声は、前に聞いた時よりも随分と弱弱しい。最後に話した時にも彼の中に諦めの心があることは知っていた。けれど、ここまで諦めてしまっているのは彼らしくない気がする。これが本当の彼なのか。いや、違う。何かきっかけがあったならまだしも、彼が初めから諦めたりするはずがない。
きっかけ。彼が人々と関わるのを止めてしまったのもきっかけがあったからだ。辛い思いをすることもあるけれど、楽しい時間を人々と過ごすことが好きだったというのに。一人きりになることを選んだのはきっかけがあったから。それがなかったなら、どちらが良いのかと悩みながらもここまではっきりと線引きをしたりはしなかっただろう。
「和成、もう遅かったのか……?」
何もする前から諦めるなんて珍しい。それは何もしていないのではなく、既にきっかけとなることがあったのではないだろうか。緑間はつい数時間前にこのことを知ったばかりだが、この計画がいつから企てられていたかは知らない。もしかしたら、自分は気付くのが遅すぎたのかもしれないと今になって理解する。
無言は肯定。そんなルールを決めたのは誰なのだろうか。けれど、正しいそれは己の言葉が当たっていることを教えてくれていた。本殿の扉を背に、ずるずると崩れ落ちるとしゃがみこんだ。
「この神社を取り壊してまでも開拓することが村の繁栄になるのなら、オレはそれを受け入れるべきなのかもしれない」
扉を挟んですぐ傍から声が聞こえる。これまで気付かなかったが、彼はずっとここにいたらしい。ポツポツと語りだした彼にいつものような明るさはなかった。
たった木の板一枚を挟んだ距離。たかが木の板、けれどもその一枚は鉄板のように分厚く硬い。目に見えない二人の間に存在する壁は、簡単に破ることは出来ない。
「オレにもここで守ってきたものがある。だから守るつもりだった。けど、オレにはそれが出来なかったんだ。古いだけの建物なんてもう必要ないのかもしれない」
時代はゆっくりと進んでいる。昔は確かに必要とされていたけれど、今の時代にはそこまで必要とされていないのかもしれない。農作物を多く作っているこの村には重要なのだろうが、村よりも大きな範囲で見たならこのような言い伝えの残る神社にどれほどの価値があるかといえば殆どないだろう。
言い伝えが残っているからこそ意味がある。しかし、なければないで誰も困ったりはしない。神を必ずしも欲している者など今時いないに違いない。
「村の為、これが未来につながるというのなら。オレの役目は終わりだ。神社がどうなるにしても、オレはこの神社と共に在り続ける」
高尾はこの神社と共に生きてきた。この神社の神なのだから当たり前だ。何百年も前から、ずっとここから村を見守ってきた。それが高尾の役目だった。
だから、これから先。神社がどのような運命に置かれたとしても、高尾はこの場所を離れるつもりはない。神社が在るのならここで見守っていく。神社がなくなるというのなら共に終わりを迎える。これは、この神社に最後の時が訪れるまで決して変わらない。
「…………お前は、本当にそう思っているのか」
「思ってる。この地を守りたいとも思ってるけど、終わりならそれでも良いと」
終わりを望んでいる訳ではない。けれども、終わりを切望していないといえば嘘になる。
神という存在が不死身かは知らないが、人間とは比べ物にならない域で寿命はおそらくある。自ら命を捨てようとしたことはない。前に話した時、試しにやってみるかと尋ねたのは冗談だったけれど、仮に緑間が頷いていたなら間違いなく試した。生きている以上、殺そうと思えば死ぬだろう。怪我だってすることがあるのだから、冷静に考えれば不死身ではないという結論なんてとっくに出ている。
だからといって終わりにしようとは思わないが、終わりがくるなら終わってしまいたいとも思う。守り続けたいと考えている半面で、失っていくものの多さに辛くなってしまうことがあるのだ。
「和成、オレは何もしてやれないのか」
「真ちゃん?」
「オレはお前を救いたい。その答えを見つけてからお前に会うつもりだった。お前の抱えているものはオレの想像しているよりも遥かに大きいだろう。何も理解していないオレには手を伸ばすことすら出来ない。だが、今起こっていることから目を逸らして大切なものを失いたくない」
自分には彼を救ってやることは出来ない。彼の闇を知らないで勝手なことは言えないから。それでも、彼を一人のままにしたくない。あの日あの場所で出会ったことは、ただの偶然ではない。出会いには必ず意味があるのだ。二人が出会ったのも何かの縁があってこそ。
何も知らない自分は勝手なことを言えないけれど、だからといってこのまま何もせずに失っていくだけなんて嫌だ。手の付けられないようになってから後悔するのでは遅い。何もしないで終わるより、出来ることをして終わる方がよっぽどマシだ。
「それは、いけないことなのか」
正しい答えなんてものは知らないけれど、後悔先に立たずという。自分には何も出来ないのかとも思ったけれど、彼の話を聞けば聞くほどこのままではいけないと思った。多くのことを知り過ぎている彼は、物事をその場の最善と思える方向に自己解決してしまう。周りにとっては良い方向に、己にとっては悪い方向に。知り過ぎているが故に自分の決めたラインを決して超えない。それが自分にも他人にも一番良いことだと選び取る。
彼の選択が間違っているとはいわない。これまではそうやって守ってきたのだろうから。けれど、この神様は周りのことばかり気にしすぎて自分のことを厳かにしすぎなのだ。正解は分からなくとも、彼が一歩を踏み出せないというのならこちらから踏み出せば良い。
「お前に触れたいと思うのは、叶えられない願いなのか」
一枚の扉を挟んで背中越しに感じられる互いの存在に、複数の感情が混ざり合っていた心が落ち着きを取り戻してくる。本心を隠さずに素直に感情を口にするのは、二人の間では初めてのことかもしれない。
垣間見える本音、伝わってくる気持ち。言葉だけでは知り得ないことも感じられる。
「……真ちゃん、初めて会った時のこと覚えてる? あの頃からお前の優しさは変わってないな。オレはお前に出会えて、久し振りに時の流れを感じることが出来た。真ちゃんは、オレに沢山のものをくれた」
本当に感謝している。ただ漠然と流れていくだけの時間に、一寸の光を見つけた瞬間だった。
その光を追い続けて早十数年。直接関わったのは数回だけれど、間接的に関わりながら色々なものをくれた。とはいっても、くれたと思っているのは高尾の方だけで緑間には何の心当たりもない。勝手に貰っているのだからそれも当然だ。貰っているもの自体、目に見えるものではないのだから。
「何が正しいかはやっぱり分からない。それでもオレはこの地を守りたいと思ってる。それと、お前の願いを叶えてやりたいとも。オレに出来ることは少ないけれど」
ギィ、と木の板が動く音がする。ゆっくりと開かれた片方の扉から出てきたのは、いつか見た狐と同じ色の耳と尻尾を持つ青年。
「真ちゃんが辛い思いをしているのなんてやっぱり嫌だから。一緒に頑張ろ?」
諦めることを覚えたのはいつだったか。この地の為にも受け入れるべきなのかもしれない。つい先刻まではそう思っていた。一人だったなら確実にそれを選んでいた。
けれど、彼はここに来てくれた。話を聞きながら気持ちが揺れ、すぐ傍にある存在を感じると同時に板を通して伝わってきた彼の心。この願いばかりは叶えることは出来ないと思ったけれど、こんな彼を知ってしまってこのまま諦めるのはらしくないと思い直した。近くに在る彼が光を取り戻してくれた。
手を差し伸べたのは癖だからではなく、一緒に立ち上がることを決意したから。二つの瞳が真っ直ぐに交わる。その手が取られるのに時間は掛からなかった。
「ごめんな。一枚の板を破るのに何百年も掛かっちゃった」
「謝る必要などないのだよ」
漸く見せた笑みにつられるように微笑みを浮かべる。
こんなにも近いのに、手を伸ばすことは出来なかった。それも今日まで。自ら差し出された手を掴む日がやってきた。
やっと、二人の距離が縮まった。遮っていた壁はもう消えてなくなった。
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