面影て 3




 店に来てから数時間。
 そろそろお開きにするかというところで突然問題は起きた。


「コイツ、酒に弱かったか?」

「いや、むしろ強い方だったと思うけど」


 居酒屋なのだから酒くらい並んでいる。こういう席で酒が入るのはいつものことなのだが、どうやらいつもと違ったのが一人居たらしい。とはいえ、酒のペースが特別早かった訳でもなければ、今までだったらこの程度で酔ったりしない奴なのだ。
 さて、どうしようかと頭を抱えながら飲み過ぎたらしい友人に目を向ける。数十分前からずっと机に突っ伏していたが、酔い潰れていたからだとは誰も考えなかった。おそらく、人間になったことで体質か何かが変わったのだろう。今までは大丈夫だった量でも駄目になってしまったらしい。


「オレ達で連れて帰るにも、今どこで暮らしてるのかは知らないからな」

「せやな。誰か保護者にでも連絡出来へんのか」

「タイガは面識があるんだろ?」

「緑間とは高尾のことで少し話したことがある程度だぞ」


 保護者イコール緑間になっているのはこの際気にしてはいけない。高尾が神であった時に、その神社を守っていたのが緑間だからそう呼んでいるだけで深い意味はないのだ。保護者で通じてしまったのは、高尾と関わる人間が少ないからにすぎない。他の呼び方をしたとしても彼等の間では通じるだろう。
 どこかで一日くらい置いてやっても良いのだが、今の立場上それはあまりよろしくない。禁止事項ではないけれども、出来れば避けるに越したことはない。けれど、この状況ではそうするしかないだろうか。全員がそう思ったところで、突然出入り口の方から声が聞こえてきた。


「あれ、センパイ。こんなところで会うなんて珍しいっスね!」

「黄瀬!? 何でお前がここにいるんだ」


 この場にある筈のない声に驚いていると、続いて「黄瀬君、早く戻らないと赤司君に怒られますよ」という声も聞こえてくる。それが誰のものかにいち早く気付いた火神が「黒子、お前もいるのか!?」と声を上げれば、向こうも気付いたようで「外で会うなんて珍しいですね」と先程の黄瀬と同じ言葉を繰り返した。
 普段は神社で村を守護している神が外に出ることは少ないながらもある。時によってはそれぞれの家の者と一緒に外を歩くこともあるが、一人で出掛けることも当然あるのだ。けれど、別々に出掛けていて遭遇するのは今回が初めてである。火神達も黒子達も自分の相手しか知らない為、こうして別の家と関わりのある人と出会うのも初めてだ。二人が呼んだ名前で彼等がその家の人間なのだと知る。


「そうだ、黒子。お前、緑間と連絡取れねぇか?」


 偶然とはいえ、この場で会えたのは好都合だった。黒子が緑間と知り合いなのは火神も知っている。だから、上手く連絡を取ることが出来れば先程までの議題も解決出来る。
 いきなり友人の名前を出されて黒子は疑問符を浮かべる。だが、火神がそう言うのであれば連絡くらいは取るのは構わない。
 しかし、そんな黒子から出てきたのは意外な言葉だった。


「緑間君なら、ボク達と一緒にこの店に来ていますが」


 予想外の言葉に思わず「それ本当か!?」と聞き返すと黒子はすぐ頷いた。この店に来ているのなら話は早い。緑間をここに連れてきて欲しいと頼むと、分かりましたと言って黄瀬と共に緑間を呼びに行ってくれた。
 それから数分経たずで緑間はやってきた。事情を説明していなかっただけに、その目は明らかに何の用だと訴えている。それに答えたのは、この中で唯一面識のある火神だ。


「高尾が潰れたからお前に引き取って貰いたいんだけど」

「は? アイツもこの店に来ているのか」

「来てるっつーか、そこで潰れてる」


 そう言って奥にいる高尾を指させば、緑間は分かり易く溜め息を零した。何故こうなったのかという説明は、聞かれるよりも先に今吉が話した。顔は知らずとも高尾の友人であることは分かっている為、全てを聞き終えた緑間は律儀に「ご迷惑をおかけしました」と謝る。まさか謝罪をされるとは思わず、すぐに「こっちこそ急に悪いな」とこちらも謝った。
 互いに謝罪を済ませたところで、遠くからがやがやとした声が聞こえてくる。中には聞き覚えのある声が混ざっていて、それぞれがこの店に来ていたらしい人物を理解する。


「緑間っち、センパイ達は何の用だったんスか?」

「黄瀬、さっきからウルセーよ」

「あまり騒ぐと店員さんに怒られますよ」

「あれ、室ちんだー」

「真太郎、彼は大丈夫そうか」


 カラフルなメンバーがやってきたなと思いながら、一言ずつしか喋っていないというのに彼等の性格が既に分かった気がする。何とも個性的なメンバーだが、やってきたこの人達こそが自分達と関わる家柄の人間であることは容易く理解出来た。全員の反応を見れば一目瞭然である。向こうも幾人かはそれに気付いたようだ。特殊な関係を築いている人達なだけあって、みんな個性的なようだ。
 どうして付いてきたんだという疑問は飲み込んで、緑間は赤司の質問に答えた。それを聞いた赤司は、こっちもお開きにしようと話した。が、その言葉でカラフルな彼等が自由な発言をしたのはいうまでもない。そんな彼等の相手をそれぞれの神がしている横で、緑間は二度目の溜め息を吐きながら高尾の元へと向かった。


「高尾、帰るのだよ」

「あれ……なんで真ちゃんがここにいるの?」

「偶然だ。それより、早く帰るぞ」


 腕を引いて立ち上がらせようとするが、強い力で拒否された。力勝負をすれば緑間の方が上だけれど、実力行使をするような場面ではない。拒否するからには理由があるのだ。その理由を尋ねてみるが、嫌だとしか答えないのだから困ったものである。
 酒の入った高尾を緑間が見るのは今日が初めてだ。黒子と並んでいた火神にいつもこうなのかと聞けば、いつもは潰れないから分からないとだけ返ってきた。どうすれば良いのかと思いながらも、説得するしかないだろうと緑間は高尾の肩を揺らす。


「いつまでもお前がそうしていたら、他の人達が帰れないだろう」

「真ちゃんが居れば平気でしょ?」

「オレだっていつまでもここには居られないのだよ」

「えー。ちょっとくらいならいーじゃん」


 この調子ではキリがない。理由を聞いても嫌だとしか言わないのだ。何かしらの理由をつけては否定をしてくれる。高尾は何が引っ掛かっているのか。話の流れは聞いているがその中で何かあったとすれば緑間には分かりかねる。だが、彼が起きていた数十分前まではいつも通りだったのだ。緑間だけではなくここに集まったメンバーにも理由は全く分からない。これが酒の力という奴なのだろうか。
 ここまでくると緑間一人で説得させるのは厳しいかと周りも助け舟を出し始める。言っている内容はもう帰るぞとか緑間と一緒なら良いだろとかそんなことだ。お前はこの人達にどう思われているんだ、とは緑間の心の声である。しかし、誰が何を言っても答えはノーのまま。


「もう連れて帰った方が良いんじゃねぇか?」

「そうですね……。緑間君は何か思い当たることはないんですか?」

「あればとっくに試している。分からないから苦労しているのだよ」

「でもほら。お酒に酔うと本音を話すっていうじゃないっスか。やっぱり何かあるから嫌だって言われるんスよ」

「だからそれが分からないから困っているのだろう」


 酒に酔って本音が出るというのはよくある話だ。黒子や黄瀬の言いたいことなら分かるのだが、緑間自身に思い当たることもなければ本人はこれだ。何かがあったとしても何かが分からないのでは解決方法がない。それでも根気よく呼び掛けてはいるのだが、教えて貰えそうな気配はない。強引に連れ帰るしかないのだろうかと思い手を伸ばすと、いつの間にか隣に来ていたらしい赤司がそれを阻んだ。


「赤司? どうかしたのか」

「さっきから気になってたんだが、彼はお前が名前を呼ぶ度に不機嫌になっているような気がするんだけれど」


 名前、と言われて一つだけ思い当たる。だが本当にそんなことなのだろうかと思ってしまった。けれど、この状況で試していないことであるのも事実。たかがそれだけのこととはいえ、試してみる価値はある。


「和成」


 ここのところ呼ぶことのなかった下の名前。大学では大抵苗字で呼んでいた、というより再会してからはずっと苗字で呼んでいた。だから試しにファーストネームで呼び掛けてみる。
 すると、高尾は先程までとは違う反応を見せる。色素の薄い瞳で緑間を見つめると、ふわりと微笑んで返事をする。


「んー……なに真ちゃん」

「帰るぞ。嫌だというのなら理由を教えろ」

「理由なんてもうないよ。ごめんね?」


 その謝罪は誰に対してのものだったのか。緑間に対してか、この場にいる全員に対してか。おそらくは両方だろう。
 理由はもうない、ということはさっきまであったということだ。たったそれだけのことと思っていたことは、案外当たっていたらしい。そういえば、初対面の時も名前で呼ぶように訂正されたのだと思い出す。とはいえ、周りには強要していないのだからファーストネームで呼ばれたい理由は分からなかったりするのだが。少なくとも、緑間にはそう呼んで貰いたいらしい。


「コイツはもう連れて帰って良いんだったな」

「むしろ連れて帰ってくれ」

「赤司」

「ああ、良いよ。もうお開きにすることにしたからね」


 両者に確認を取ると、緑間は高尾の腕を引いた。今度はすんなりと立ってくれた様子からして、名前のことは結構気にしていたらしい。大学では名前で呼んでいるだけに、そこまで気にしていたなら言えば良いだろうとは思ったがその話はまたにする。
 先に帰った二人を残るのメンバーは微笑ましそうに見送った。彼等にとって大切な友人は、どこか一線を越えられないようで心配していたのだ。


「緑間っちも素直じゃないっスね」

「それを言うなら高尾も変わらないけどな」

「素直な緑間なんて怖ェだけだろ」

「たまには素直になった方が良いだろう。お互いの為にもね」

「仲良くやっているなら良いんじゃないか」

「あれは仲良過ぎでしょー」

「仲が良いに越したことはないやろ」

「アイツ等が幸せなら良いんじゃねぇのか」

「そうですね。逆に見せつけられた気もしますが」


 あの二人が出会ったのは、どちらにとっても良いことだったのだろう。これが運命の巡り合せというものなのだろうか。それぞれが必要としていた人との出会い。もう友人を心配することはなさそうだ。
 そんなことを思いながら、残りのメンバーもこれにてお開きにした。別々にこの店に来ていたとはいえ、どうせ同じ方向なのだからと各々の守るべき相手と一緒に家路へと着く。

 神と人。
 それはこうして触れ合うことを許されている関係なのだ。