面影て 4




 酒の席で潰れた高尾を引き取り、他のメンバーよりも一足先に店を出た緑間。今は同じ大学の友人であり、高尾の家にも何度か訪れたことはある。別に緑間の家に連れて帰っても良いのだが、それはそれで後に謝られそうな気がすると思ったのは強ち間違いではないだろう。
 とりあえず途中までは方向が一緒なのだ。どうするかは歩きながら考えることにして、家の方向へと歩いて行くことにする。

 そういえば、と緑間は思う。
 今でこそ普通に触っているが、ちょっと前まではそれすら出来なかったのだ。それどころか会うことさえままならなかった相手が、今はこんなにも近くに居る。二人の関係が変わったからとはいえ、なんだか不思議である。


「真ちゃん」


 後ろから名前を呼ばれて振り返る。俯いたままの高尾に、もしかしたら気分が悪くなったのかと心配の声を上げると「ごめん、そうじゃないから安心して」と普段通りの声色が返ってくる。安心しろと言われても、緑間は高尾が取り繕うのが上手いことを知っているのだ。本当なのかともう一度問うと、本当だってと比較的明るめな声が返って来たもののいつもとは違うことくらい緑間には分かった。
 同じ人間になったとはいえ、長い間生きてきた上で身に付けたものはそうそうなくならない。それが役に立つ場面も当然あるのだが、せめて自分の前では取り繕わないようになれば良いのにと緑間は思うのだ。こればかりは本人の問題なので、緑間からはどうすることも出来ないけれども。


「どうした。家に帰りたくないという訳ではないだろうな」

「それはねーよ。家に帰っても誰も居ないんだし」


 高尾は現在一人暮らしなのだ。帰ったところで誰も居ないのだから、帰りたくないということはまずない。いや、正確には全くないとも言い切れないのだが帰っても帰らなくてもあの家には他の誰も居ないのだ。少なくとも帰らない理由はない。


「迷惑掛けてごめん。もう平気だから真ちゃんは家に帰って良いよ」


 言い終わるなり、繋いでいた手をそっと解いた。
 ここまで大分歩いた為、どっちみちもう暫くすれば家の方向は別々だ。それぞれ自分の家に帰るのであれば高尾の言葉は何も間違ってはいない。
 けれど、緑間は離れた手をもう一度取った。少しばかり開かれた瞳がどうしたんだと言いたげにしている。どうしたと言いたいのは緑間の方だ。酔っているせいなのか本来の性格からなのか、高尾が距離を置こうとしているのだと気付いたのだから。


「今ここで手を放したら、お前はまたどこかに消えてしまいそうだ」


 二年前のように、消えてしまいそうな気がした。消えるとまではいかなくても、人との間にあった壁を作り出してしまいそうな気がしたのだ。今でこそその壁もなくなったように思えるが、まだ最後の一線だけは残していることは知っている。その壁をもう一度作り出してしまいそうな雰囲気が、今の高尾にはある。


「何を恐れているのだよ。オレはお前の傍から居なくなったりはしない」

「…………分かってる。だから怖いんだよ。オレはお前と一緒に居たいから」


 告げられた言葉の意味を緑間は理解しきれない。それも無理はない。これは高尾自身にしか分からないことだろう。ちゃんと話さなければ意味が通じないだろうことは本人も分かっている。
 緑間の反応を見ながら、高尾は「ちょっと寄り道していかない?」と提案しながら一歩先に進む。分かれ道を迷いなく進んだ高尾の“寄り道”がどこを指しているのかは一目瞭然だった。その道を選んだということは、つまりあそこに行くのだろうと緑間も把握する。遅れて緑間が足を進めたのを確認して、高尾はそのまま歩いて行く。
 数分後。着いた先は二人にとって大切な場所。


「真ちゃんとは良くここで会ってたよな。まあ、真ちゃんが訪ねて来ただけなんだけどさ」

「それはお前が出てこないからだろう」

「しょうがないだろ。オレはここを守ってたんだから」


 この地を離れる訳にはいかないから、というのは建前でしかない。そんなことは緑間にもバレているだろう。高尾は人一倍、人間と関わることを拒んでいた。加えて他の神の姿も知っているのだから、絶対にこの地を離れてはいけないということなどないと知っている筈だ。守っているのだから殆どをここで過ごすというのは事実だが、全くこの地を出ようとしなかったのは高尾の意思だ。
 とはいえ、今はそんなことはどうでもいい。さり気なく適当な話をしてみたが、緑間は高尾が話すのを待っている。このまま誤魔化し通すことは難しくないが、そんなことをする選択肢はない。元より話をするつもりでこの神社まで足を運んだのだ。


「本当はさ、今は話をしたくなかった。アイツ等も言ってたけど、オレって酒で酔ったことないんだよ。だから余計なこと言っちゃいそうで、話す気はなかったんだけどさ。お前がやたらとオレのこと心配するから、寄り道しようって誘った」


 相変わらず緑間に対しては甘いよな、と高尾は心の中で思う。今日はこれ以上一緒に居たくなかったから分かれ道でさっさと別れようとしたのに、現実はこうして向き合っているのだ。
 それも酒が入っているからという理由だけなのだが、酒の魔力というのは恐ろしいものだ。実際に体験したことがないから想像でしかないが、今は酒のせいもあってか余計なことまで話してしまいそうな気がして避けたかった。これが明日になったら全部覚えていないなんてことになったら、それこそ昨日は何を話してしまったのかと頭を悩ませる羽目になるのだろう。
 酔ったことがないというのは、自分が今どういう状況なのか分からないだけ怖いものがある。念の為にこれから話すことは酔っぱらいの戯言だと思って聞き流していいからと前置きをしておく。


「今ってさ、凄く幸せなんだよね。真ちゃんがいて、火神達がいて、大学に友達もいて。元々オレは人と関わるのが好きだった。だから、今は毎日が楽しくて幸せだなって思うんだ」


 一人で居ることには慣れていた。けれど、多くの人に囲まれて過ごすのはやっぱり楽しいのだ。みんなと笑い合えるあの空間が好きで、別れが辛くとも人々と共に過ごすことを選んでいた。今となっては、周りと同じだけの寿命になったのだからかつてのような思いをすることは少ないだろう。また、きっと、なんてことは考える必要がない。
 現在のこの生活は楽しいことばかりで、何でもないこの日常こそが幸せだということを高尾は知っている。世間一般的には何でもないことだろうけれど、高尾にとってはその日常さえ特別なのだ。人々とただ笑って過ごせる世界が大切だった。


「でも、幸せだから怖いんだ。またいつか、それが壊れるんじゃないかって。オレにはもう何の力もないから、この手でそれを壊すことはない。分かってるけど、時々考えちまうんだ」

「……今のこの生活を失うことをか」

「真ちゃんがオレの傍に居てくれるっていうのは分かってる。だけど、この世界に絶対なんてものは存在しない。人っていう生き物は一瞬で変わってしまう生き物なんだ」


 人の心とは移りゆくものだ。緑間もそれは知っているし、高尾に至ってはこれまでに何度も経験している。時が流れているのだから様々なものが変わっていくのも当然といえば当然だ。それが良い変化であったり、悪い変化であったり。人に限らず時代が変われば色んなものが変わる。
 その点は歴史を辿れば分かり易いだろう。その歴史の変化から人々が変わっていく様子、他にも沢山のものを高尾は長い人生の中で目にしてきた。今の状況がこの先もずっと続くなんてことはまず有りえない。年を重ね成長することでも、少しずつ変化をしていくものなのだから。


「だからってそれを否定はしてない。オレ自身、変わったって言われるから。お前の言葉を疑ってる訳でもない」

「ならば、お前は何を恐れている」


 長い人生の中で多くのことを知っている男。多くのことを知り、多くのことを経験してきた。だからこそ彼は変わってしまった。沢山の人に囲まれていた生活から、人を拒絶し一人きりになった生活。それから徐々に心を開き、緑間とは普通に接するようになった。本人も言うように、高尾自身も人生の中で変わっている。また人々と一緒に笑えるようになったのだから、高尾の変化は良いものなのだろう。
 何度経験しても辛いものは辛い。そう話していた高尾が恐れるもの。それは。


「緑間、お前だよ」


 真っ直ぐに色素の薄い瞳が見つめる。この世界で誰よりも大切で、大切だからこそ怖い。失いたくないとそう思うのだ。緑間を失ってしまうことを恐れている。
 だけど、それ以上の怖いものもある。緑間を失ってしまうことは怖いけれど、それ以上に。


「オレはお前を失ってしまうことが怖い。けど、正確には違う。お前を傷つけるかもしれない自分が何より怖いんだ」


 失うことは怖い。けれども、それ以上に自分が傷つけてしまうことが怖い。
 今はもう何の力も持っていないけれど、これまでは力を暴走させてしまったことで人を傷つけてきた。力だけではない。言葉だって人を傷つける武器になりかねない。それも経験があるからこそ余計に分かっている。数年前、緑間と距離を取る為に口にした言葉もそうだ。傷つけると分かっていながらそうした。
 この先、あえてそんな行動を取ることはないだろう。けれど、いつどこで緑間を傷つけてしまうか分からない。大切な人だから傷つけたくない。


「さっき、オレは話したくなかったって言っただろ。それも酔った勢いで何か言ってお前を傷つけたくなかったからだ。自制が効かなくなるとどうなるか分からないから」


 それは人生で既に二度体験している。だからこそ、自制が効かなくなった時にどんな行動を取ってしまうか分からない。緑間を失うことも怖いけれど、高尾が一番恐れているのは緑間を傷つける自分だ。そんなことはないと思いたくても、これまでの人生がそれを否定する。


「でも、お前の温かさを知ってしまったから慣れている筈の一人が辛くなることもある。お前と離れたくないって気持ちと、お前を傷つけたくないって気持ちとが混ざるんだ」


 今までは一緒にいたくても立場上仕方ないんだって思うことで紛らわせた。けれど今はそれがない。だから、余計なことまで踏み込んでしまいそうで怖いと思いながらも、触れられる距離にある緑間に手を伸ばしたくなる。
 高尾は自嘲するような笑みを浮かべながら「馬鹿みたいだろ」と零した。一人で勝手に考えて怯えて、それで緑間を傷つけたら本末転倒も良いところだ。それでも一人になると色々考えてしまう。今までとは違うから、どうしたら良いのかも分からなくなるのだ。神と人の違いなんてあまりないと言っていた本人が、その違いが分からなくなってしまうことがある。


「最終的に、それら全部ひっくるめてぐだぐだ考えてる自分が嫌になる。なんでこんなこと考えてるんだろうって。……本当、なんでこんなこと話してるんだろうな」

「話せば良いのだよ。お前が考えていること全部」


 そう、全て話してしまえば良い。高尾は緑間より何百年も多くこの世界で生きてきた。まだ僅か二十年しか生きていない緑間に高尾が抱えているものは分かり切れない。それでも、話を聞くことは出来る。話すことで少しでも抱えている闇が軽くなればいい。そんな簡単なことではないだろうけれど、一人で抱えて欲しくはないのだ。
 やっと傍に居られるようになって、辛いと話したことのある立場から解放された。もうこれからは一人で抱えて辛い思いなんてしなくて良い。一人で苦しむなと緑間は言いたい。


「お前が不安になるというのなら何度でも言ってやる。オレはお前の傍からは居なくならない。お前がオレを傷つけることもない。だからくだらないことを考えて苦しむな」


 どうすればその不安をなくしてやれるのだろうか。あの時からずっと考えてきた。あの日、再び会った時の高尾は何もかも諦めていた。ただ自分の役目を全うする為だけにたった一人で生きていた。何も知らない緑間には何も出来ず、正しい答えをずっと探してきた。
 結局、答えが見つからない内に新たな問題に直面し、その後高尾はいなくなってしまった。それからも答えは探しているけれど、未だに正しい答えは見つからない。それでも、緑間は自分なりに考えて高尾と共に居ることを選んだ。


「やっぱり真ちゃんは優しいね。オレの欲しいモノを沢山くれる。そんなお前だから守ってやりたくて、力になってやりたいって思ってきた。そんなお前だから、オレはお前を好きになった。真ちゃんは、ずっとオレの中の特別なんだ」

「それはオレにとってのお前も同じなのだよ。お前はいつも悪い方向に自己解決してしまう。少しは人に頼ることも覚えろ」

「うん、ごめん。多分これからもオレは間違えると思うから、その時は言って。勿論、オレも気を付けるようにはするからさ」


 素直に謝罪を述べると高尾は俯いた。続けて「もう遅いから真ちゃんは帰って」とだけ告げて緑間に背を向ける。
 本殿の方に足を進めながら、その瞳は何を捉えているのか。そんなことは緑間には分からない。確かに時間はもう遅いけれど、それは高尾にしたって同じことが言える。一人暮らしだろうと遅い時間ということに変わりはない。お前はどうするつもりなのかと尋ねれば、もう少しここに居ると返ってきた。緑間は両親も心配するからもう帰った方が良いとも付け加えて。
 親には事前に友人と約束があると伝えているから遅くなったところで問題はない。それよりも緑間が気になるのは高尾の方だ。一人にしても心配するような年齢ではないが、一人にして良いものか。そういえば、とここに来てからの話を振り返る。高尾の話を思い出して、今彼が考えていることを予想する。


「帰りたくないのだな。一人きりの家に」


 帰り道の途中ではすぐに否定された言葉。けれど、あの時。高尾は誰も居ないんだからと投げやりのように言い捨てた。それから一人で居ることが辛くなるとも話していた。
 いつもと同じく何でもないように話していたけれど、それは紛れもない高尾の本音だ。あまりにも普通だから気付きにくいが、やはり今の高尾は酔っているのだと緑間は理解する。普段はこういった話をあまりしない。自分の弱い部分、本音を上手く隠しているから。加えて、良く喋る割に自分のことを殆ど話さない。それをこんなにも話しているのは、酒が入っているせいなのだろう。


「…………真ちゃんってさ、ホント鋭いよね」


 これだから頭が良い奴は、とこれで何度目かのことを思う。それに凄く真っ直ぐでとても綺麗で。近くに居ると自分が酷く汚れた人に思えるんだよな、とは高尾の心の内である。
 綺麗というのは見た目もあるが心もそうだ。今までずっと緑間を見ていたからこそ分かる。幼いあの頃から変わらずにその輝きを放っている。眩しすぎる程の光。その光があったからこそ、今の高尾が在るのだ。それは、誰よりも高尾自身が強く感じていることである。


「今はダメなんだよ。お前に優しくされたら、オレはお前に甘えちまうから」


 だからゴメン、と高尾は話す。緑間の優しさに甘えている自覚は元々ある。けれど、今はいつも以上に感情的になっているから駄目なのだ。高尾がそれに気付いたのは、どうしてこんな話をしているのかと思った時だ。今日は感情的なのかもしれない、と話しながら感じていた。
 そんな時に一緒に居たら、本当に余計なことまで話してしまうのだろう。それだけで済めばいいんだけど、とは頭の中の冷静な部分が出した己の自己分析。決して変な意味ではなく、感情的になっているという意味でだ。
 だが、緑間に先に帰るという選択肢はない。むしろ、高尾の話を聞いたら余計にそんなことは出来ないと思った。この男は、人に頼ることも甘えることも何も知らないのだから。


「それなら今は素直に甘えろ。それが嫌なら、全部酒のせいにしてしまえば問題ないのだよ」


 言いながら緑間は後ろから高尾に腕を回した。触れた瞬間こそビクッと肩を揺らしたが、その後は随分と大人しい。何かしらの反応は返ってくるだろうと思っただけに、これは少々予想外だ。
 暫くして、腕の中から名前を呼ぶ声が聞こえる。それに短く何だとだけ返せば、また暫しの沈黙。心配になって名前を呼ぶと、回した腕をぎゅっと掴まれた。


「真ちゃん、もう名前呼ばないで。慣れてないだけかもしれないけど、お前と距離があいたみたいで嫌なんだ」

「それが、今日動こうとしなかった理由か?」

「くだらないだろ、それだけのことで。だけど、それだけのことさえ気になるんだ。前に、真ちゃんが小さい頃に名前を教えたことがあったでしょ? 名前を呼ぼうとしなかった真ちゃんに下の名前で呼ぶように強いたあの時。一応理由はあったんだ」


 帰ろうと言っても嫌だの一点張り。そんな高尾を説得するのは困難だろうと周りも判断したのだが、赤司の指摘から下の名前を呼ぶだけで解決した今日の出来事。まさかそれだけのことでとは思ったが、それが重要なことだあったらしいとはあの時初めて知った。
 いや、下の名前で呼ばれたいのだろうということは前々から緑間も薄々感ずいていた。だが、再会してからはあまり下の名前で呼ぶことがなくなった。それは単純に大学では苗字で呼んでいるからだ。高尾の方は相変わらずだが、なんとなく緑間の方は名前で呼ぶことが減っていた。何をそんなに拘っているのか、今までは分からなかったけれど出会ってから十数年。漸く高尾は口を開いた。


「昔は色んな人から呼ばれてたんだ。けど、人との関係を遮断してそう呼ぶ人はいなくなって。火神達は昔からああ呼んでるから別なんだけどさ。オレが自分でやったことなんだけど、オレのことを名前で呼ぶ人は一人も居なくなった」


 村の人達は神様だと崇めた。緑間の家とは例の事件があってからも互いの立場的に幾らか関わりはあったが、いつからか周りと同じになった。高尾は神だったのだから人々がそのような態度で接するのも当然といえば当然だ。けれど、こうやって過ごし続けていくといつか自分自身が消えそうな気がした。
 そう話した高尾の言葉の意味を、緑間は良く分かっていた。十六になって出会った時、高尾は淡々と自身のことを教えてくれた。色んな感情を押し殺して、いつからか身に付けたポーカーフェイスで取り繕って。後に一番素だったのは初めてであった時だと話した高尾の言葉通り、神として接する時には自分を出さないようにしていたというのは一目瞭然であった。段々と話してくれるようになってからは徐々に変わっていったが、それは失っていたものを取り戻していただけに過ぎない。一人きりで長いこと過ごしてきた彼は多くのものを失い、多くのものを殺してただ自分の役目を全うする為だけに存在していた。
 もしも緑間と出会っていなかったなら。今も変わらずに淡々と自分の役目をこなしていたのだろう。そしていつか、本来持っていた彼自身はどこかに消えてしまったのではないだろうか。


「真ちゃんだけは、オレをちゃんと見付けてくれる。神としてじゃなくて、人としてオレを探してくれた。オレが神だって知ってからは神として必要としていたけど、ちゃんとオレのことも考えてくれてるのは分かった。呼び方なんか通じれば何でもいいんだけどさ、真ちゃんには名前で呼んで貰いたい」

「分かった。だが、そう思っていたなら言えば良かっただろう」

「まぁそうなんだけど、通じれば良いワケじゃん? だから別に良いかなって」


 思っていたのは事実なのだろう。実際には心のどこかで先ほど述べた通りのことを考えていたのだろうけれど。
 これではいつかと立場が真逆だな、と緑間はぼんやりと考える。あの時は高尾の話し方について緑間が聞いたのだ。あの時、言ってくれればすぐ直せるのにと話したのは高尾である。今回は逆に緑間の方がその台詞を言ってやりたい。どうして自分のことになるとこうも一線を引いて考えるのだろうか。こればかりは、時間が解決してくれるのを待つしかないけれど。


「和成、今日はオレの家に来い。それかお前の家に泊まらせろ」

「真ちゃん家に行ったら迷惑だろ。てか、オレの家は散らかってるぜ」

「それならお前の家に行く。良いな?」

「そりゃ来たいなら来ても良いけど、何も出来ねーよ?」


 何も遊びに行くという訳なのだから何もして貰わなくて構わない。大体、普段だってどちらかの家に行っても特に持て成したりすることもない。精々お茶を出す程度である。
 腕を解いた代わりにその手を取ると、今度こそ家に向かう。

 歩き慣れた道を進むこと十数分。
 あっという間に高尾の家まで辿り着くと、鍵を開けて家の中に入る。既に何度も来たことのある緑間にとって家の中は勝手知ったるところで、リビングに高尾を置いてとりあえずキッチンから水を持ってくる。それを素直に受け取りながら、高尾は色素の薄い瞳を緑間に向けた。


「前から思ってたけどさ、真ちゃんって意外とオレのこと好きだよな」

「何を今更言っている。それと、お前にだけは言われたくないのだよ」


 否定をしないということはつまり肯定だ。だが、緑間から言えば高尾の方が正にそれに当て嵌まるのである。関わろうとしないながらもずっと見守り続けていた神様の方がよっぽど物好きではないか。
 少なくとも、緑間がそういう意味で高尾を見るようになった時には向こうも同じ意味の感情を抱いていたのだ。いつからなのかなど緑間が知る由もないが、それは逆もまたしかり。そんな話はこれまでにしたことがないのだから。別にする必要もないからしていないだけである。今、お互いに相手が好きだというのならそれで良いだろう。


「それを飲み終わったら、さっさと風呂に入って寝ろ」

「んー……。けど、真ちゃんはどうするの?」

「オレは後で良い。帰ったりもしないから安心しろ」


 ここまで言う必要があるのかは分からないが、水を飲んで幾らか酔いが覚めたにしても口にしておいて損はないだろう。その考えも強ち間違ってはいなかったようで、頷いた高尾は柔らかな笑みを浮かべた。
 コイツは酔うと素直になるのか、と緑間は漸く実感する。さっきまでもいつもなら話さないことを話してくれていたが、内容が内容ということもあってそれをあまり感じることがなかった。普段から喜怒哀楽は表に出るが、そこにはポーカーフェイスも含まれるということもあって、全部が本物の感情であるというのは珍しい。いや、基本的に緑間の前では取り繕うこともないのだけれども。
 水を空にした高尾は、キッチンにコップを片付ける。それから部屋を出る前に立ち止まり、一度くるりと振り返ると。


「ありがと、真ちゃん。大好きだよ」


 そんな言葉を残して部屋を後にした。
 一方、残された緑間はといえばあまりにも唐突な行動に高尾が出て行った扉をぽかんと見つめていた。普段が普段なだけに素直になってくれるのは良いことであり、むしろもっと素直になってくれても良いくらいなのだが。これはこれで如何なものか。


「せめて、こちらの話も聞くべきだと思うのだよ……」


 はぁ、と溜め息と一緒に零す。言うだけ言って出て行ってしまった友人兼恋人のことを考えてはそんなことを思う。仕方がないからこちらの気持ちは心の中で伝えておく。
 ちゃんとした言葉は、また朝になってからで良いだろう。覚えているのか忘れているのかは分からないが、どちらにしても驚かれることはまず間違いないだろう。だが、酔っぱらいに付き合わされたのだからこれくらいは許される筈だ。

 時刻は既に深夜を回ろうとしている。
 数時間後。初めて酒に酔った恋人がどんな反応を見せるのか楽しみである。