いつかはこんな日が来るだろうと思っていた。本人が幾ら隠そうと努力したところで、体がそれに追いつかなくなれば無意味だ。試合中にそんな素振りは見せたことはないく、練習中も同じだ。周りから隠れて休んでどうにかしている。そんな奴を気にはしていたが、自己管理が出来ているならと気付かないフリをし続けてきた。
新年度になりオレ達は二年に進級。三年の先輩方は去年のWCを最後に引退し、三月には高校を卒業した。先輩達とはぶつかり合うことも多かったが、そんな先輩がオレ達後輩に厳しくも優しい面もあったことは知っている。秀徳レギュラーとして、先輩と同じコートに立っていたことは忘れない。これからはお前達が部を引っ張っていくんだとオレ達はバスケ部を託された。
四月になり新入部員を迎え入れ、新しいメンバーでのバスケ部が始動した。去年からレギュラー入りをしていたオレと高尾は、今年もまたレギュラーを獲得した。新たな仲間と共に、オレ達はIH予選へと挑んだ。
ライバル達との試合
何事もなくバスケを続けて行ければ良い。そう思っていたが、世の中そう上手くはいかないようだ。
IH予選の試合が終わり、一人こっそりと抜け出した高尾。普段なら主将、または部の誰かしらに声を掛けていくというのに今日は誰もその行方を知らなかった。何だか嫌な予感がして会場内を探し歩いていると、人目に付かないような場所で倒れている人影を見つけた。姿を見つけるなり駆け寄って様態を確認したが、外傷などは特になくいつもの如く目を使ったせいでやってくる疲労のようだった。
無事であることに一先ずは安心したものの、当然このままというわけにはいかない。会場内にある医務室に高尾を運び、現在はベッドに寝かせながら様子を見ている。
(無理はしないように気を付けていると思ったのだが)
おそらく普段は気を付けているのだろう。こんなことになったのは今回が初めてだ。深く考えずとも無理をしてまで力を使っただろうことは容易に想像出来た。確かに今日の相手は強豪だったが、倒れるほどまでに力を使っていたとは思わなかった。
それも、オレがコイツのことを理解していないからだろうか。もっと注意して見ていれば、こんな事態にはならなかったのではないか。今更後悔しても遅いが、無理をした高尾が悪いにしても気付けなかったこちらにも非がないとは言い切れない。考えてみれば、力を使った反動で辛い体を隠れて休ませるような奴が、無茶をしないわけなんてなかったのだ。
(とりあえず、話はコイツが起きてからか)
一人でどうこう考えても仕方がない。オレは鷹の目を使ったリスクも碌に把握してすらいないのだ。話を聞いてからでないとどうすることも出来ない。ずっと隠し通してきたコイツが素直に話すとは思えないが、倒れたとなれば話さないわけにもいかないだろう。
医務室に来てから十分が経とうとしていた頃。ベッドの方から僅かな声が聞こえた。
どうやら漸く目を覚ましたらしい。
「一人で何をやっているんだ」
勢いよく起き上がった反動で頭痛でも起こしたのだろう。頭を押さえた高尾を見ながら一言告げれば、それを聞いた高尾がなんとか顔を上げてこちらを見た。その表情からは、困惑しているのが見て取れる。どうして医務室にいるのかということも把握出来ていなさそうだ。
一体どこまで覚えているのだろうか。それも高尾がこちらに自分はどうなったのかと質問してきた時点で、殆ど覚えていないらしいという結論が出た。まずはそこから説明するしかないようで、試合後からこれまでの出来事を簡潔に纏めた。多少は覚えているような反応を見せたが、半分以上は話を聞いて思い出しているようだった。
「それで、お前はどうしてあんな所に居たんだ」
今に至るまでの説明を終え、今度はこちらが質問をする。どうして、なんて聞かずとも理由は見当が付いている。だが、ちゃんと高尾の口から話を聞かなければいけないのだ。もうこれ以上は気付かないフリをすることが出来ないのだから。
おそらくコイツは誤魔化そうと言葉を探している。それをさせないように真っ直ぐに視線を向ければ、色素の薄い瞳が揺れる。じっと見つめていると高尾も逃げられないと悟ったらしい。迷うように瞳を左右に揺れていた瞳が漸くこちらとぶつかった。
「緑間、オレはお前にずっと言ってないことがある」
これまで高尾がずっと隠し通してきたこと。誰にも話さずに一人で抱え続けてきたもの。そのことを話す決断がやっと出来たようだ。真剣な瞳を見つめ返してやれば、高尾は重い唇を動かした。
「オレの目のことは知ってんだろ?」
「鷹の目か」
「そ、コート全体を見渡すことが出来る特殊な目。これを使いすぎると、目が痛くなったり頭痛がしたりすんの」
鷹の目を使うことで体に何かしらのことが起きているのだろうとは分かっていた。それを回復させる為に一人で抜けて休んでいるのだと。気付いてはいたが、そんなことになっていたとはな。オレの体はそんな現象を体験したことがないから分からないが、倒れるほどということは今日は相当痛みが酷いのではないのか。それでも、どうしてお前はそうやって本心を隠そうとする。今だって体は痛みで辛いのではないのか。
いつもの調子で明るく振る舞うのは、重い空気にさせようとするコイツの性格故だろう。だが、これはそんな風に軽く話せるような内容ではない。空気が重い方に流れていくのは当然だった。
「…………どうして今まで言わなかったのだよ」
「別に大したことじゃないから。ガキの頃は無意識に使って倒れたこととかもあってさー。まぁでも、生活してるうちに慣れたから今ではそんなの普通なんだよね」
慣れているのと痛みが辛いのとでは違うだろう。慣れていたって辛いから、お前は度々居なくなっていたのだろう。それが普通の生活になるまで、どれくらいの時間を要したのだろうか。
部活で鷹の目を使って倒れたのは今回が初めてだ。だが、それは小さい頃のように無意識に使って倒れたのではない。コイツが自分の意思で使って無理をしすぎて倒れたのだ。試合中にも痛みぐらい感じていた筈だ。それなのに、全部ポーカーフェイスで隠して誤魔化して。お前の得意分野なのは知っているが、そこまでして隠さなければいけないことだったのか。無理をして何かあってからでは遅いというのに。
「お前が時々試合の後に一人でいなくなるのは、全部そのせいだったのか」
「そういうことになるかな。ってか、真ちゃん良く覚えてるね」
「気付いていたのだよ。お前が辛そうにしていたことくらい」
それが鷹の目を使いすぎたからだとは思わなかったが、と続ければ高尾は目を大きく見開いた。やはりちゃんと隠しているつもりだったのだな。だから、オレもこんな嘘を付け加えた。これまでは一応、コイツの言葉には騙されていてやったから。勿論、これ以上騙されてやるつもりなどないが。
隠してて御免と口にした高尾は、明るく取り繕うことさえ忘れていた。頭の回転の速いコイツのことだ。オレが騙されていた理由も理解しているのだろう。
「お前は自分で話してくれた。それだけで十分なのだよ」
放っておけば一人で考え込みそうな奴にそう告げる。浮かべられた笑みにいつもの色などなく、それは弱弱しく力のない笑みだった。
こんな高尾を見るのは初めてだ。これが何も装わない本当の姿なのだろう。強がって何でもないフリをしていたって、それは表面上だけだ。実際は鷹の目の使い過ぎによる痛みに一人で耐えて、それを誰にも話さず隠し続けてきたことに後ろめたさを感じている。そういう奴なのだ。
「そういえば、オレがここに居ることは皆も知ってるの?」
「いや、お前を探してくると言ってそのまま来た。だからこれから話をしてくるが」
この状況でもそれを気にしているらしい。それで何を言いのかはすぐに分かった。他の奴等に知られているのかを確認したということは、やはりまだこのことを隠したいという気持ちがあるのだろう。
次に出てきたのは、やはり予想通りの言葉だった。
「ならこのことは秘密にしておいて。オレにとっては何の問題もないし」
オレにバレても他の部員達や監督には隠し続けるつもりなのか。まだ連絡していないと知ったなら、そんなことを言い出すだろうとは思っていた。ここまで考えていたことと現実が一致することもそうそうないだろう。
だが、二年になってからも隠してきた奴が簡単に全員に話すという結論に辿り着くのは無理だ。とはいえ、倒れるほどの痛みを伴うというのに、部員はともかく監督に知らせないわけにはいかない。このようなことが起こった以上、監督には話しておくべきだ。
「そういうわけにはいかないのだよ。またいつ倒れるかも分からないのに放っておけるか」
「真ちゃんの気持ちは嬉しいけど、色々あってね。でも、真ちゃんだけには全部話すから」
色々あったから隠していただろうことは分かっている。特に理由がないのであれば、ここまで隠す必要はないのだ。監督にだって初めから伝えておくだろう。その色々については分からなくとも、事情があると察するのは難しくない。
けれど、ここでそれでも駄目だと監督に報告をするのは戸惑われた。コイツが隠してきた理由は、オレがずっと知りたいと思っていたことだ。これまで一人で抱え続けてきたものをオレにだけは話してくれると言った。今を逃せばもう聞けるかも分からない事実と、コイツの為には報告するべき事実。
その全てを明らかにしてくれるなら、話しても良いと思ってくれたのなら。オレは、高尾の話をしっかり聞いてやるべきなのだろう。監督への報告が必要なことと理解しながらも、オレは目の前に相棒を視線を向けた。分かったと一言だけ答えると、高尾はゆっくりと話を始めた。
「昔は目が痛くなったり頭が痛くなったりするだけだったんだ。というか、高校入学した頃もそうだったんだよ。使いすぎたら疲れるってだけの能力で他にリスクなんてなかった」
過去形にしたのは間違っただけなのか。それとも意図的にしたものなのか。
考えずとも話からして後者であるのは間違いないと分かっていた。だが、それはつまり他のリスクが生じているということになる。
頭が勝手に最悪の可能性を考えて否定をしようとした。そんなことはあるはずがないのだと。しかし、その否定は本人の口から否定された。
「この目を使い続けてたら、オレは視力を失うらしい」
それを聞いて、言葉を失った。
もしかしたらと頭が考えてしまった可能性は、ここに現実になってしまった。目に関わるリスクといえば、失明しか出てこなかった。それがまさか高尾に起こっている現実なのだと、信じられなかった。
あんなにもバスケが好きで、その為に鷹の目を使い続けて。全部がチームやオレの為にしてきたことで、けれどそこには失明という大き過ぎるリスクが伴っていて……。
お前は、いつからそれを知っていたんだ。いつから覚悟を決めて、己の身を削りながら大好きなバスケをやっていたのだ。
「でも、深刻に考えなくて平気だぜ。オレは好きでバスケをやってるし、使いたくてこの目を使いたくって使ってる。それだけのことだから」
「どうして平然としていられる」
それだけのこと?そんな簡単に言えるようなことなのか。違うだろう。大丈夫などという言葉は聞きたくなくて話を遮った。
暗い話になっていくのを無理に明るくしようとしたのは失敗に終わる。この状況でそれはどうやっても不可能だ。どうしても暗くしたくないのは、オレに心配をさせたくないからなのだろう。それと、空気が重くなれば現実を思い出して気持ちまで沈んでしまうからでもあるのだろう。
「真ちゃん、心配してくれるんだね。少しはオレも認められてる?」
「ふざけるのはいい加減にするのだよ!」
なんとかいつも通りを装おうとする高尾に思わず怒鳴ってしまった。一体いつまでそうして取り繕うつもりなのかと。無理して作った表情を見せられて、オレにどうしろというのか。お前にそんな顔をさせてまで話して欲しくなかったから、傷付けるようなことなどしたくなかったから。こちらから無理に話を聞こうとはしなかったというのに。
「ひっでぇな、真ちゃん。人が明るく振る舞ってんだから、ちょっとくらい騙されてよ」
浮かべられた笑みがただ辛そうで。コイツなりに精一杯頑張って話をしてくれていたのだと気付く。ポーカーフェイスは、これを隠す為に高尾が身に付けたもの。
明るく振る舞うのもそうしなければ話せなかったからだ。そんなことにも気付けずに怒鳴ってしまったことに、すまないと謝罪をする。気持ちが沈まないように、全部話す為にも高尾なりに努めていたのだ。あまりに衝撃的な話を聞かされて、こちらも動揺してしまっていた。だが、高尾は「真ちゃんは悪くねぇよ」と笑う。この男は、こんな時でさえどこまでも人のことを気に掛ける。そんなに気遣う必要などないというのに。
「オレだって色々考えたよ。医者にはバスケを止めろとまで言われた。でもね、オレは高校三年間お前に尽くすって決めたんだ。まぁ、ただのエゴなんだけどね」
失明をするほどのリスクを背負ってまで、バスケを続ける必要はない。それよりもこの先の人生を大切にしろと医者は言ったのだろう。それが医者の務めなのだから。
けれど、高尾は現にバスケを続けている。医者の反対を押し切って、高尾がバスケを続けることを選んだのだ。オレに尽くす為に人生を棒に振ってまで、バスケを続けることに意味なんてあるのか。そんなことは全く思わない。
コイツがバスケを好きなことを知っている。オレの為に良いパスを出してくれているのも知っている。オレもそんなお前の為にシュートを放っているのだから。どんな場面でも信じて出してくれるパスを、こちらも信じて期待に応えるようにシュートを打つ。決してお前だけのエゴではない。
「オレさ、真ちゃんと一緒に日本一目指したいんだ」
今更何を言っているのだ。オレはお前と一緒に日本一を目指すつもりだ。このチームで、お前と共に目指すと、とっくにそう思っている。
お前はその為にこの先も鷹の目を使うのだろう。自分の身が削られることもお構いなしに、秀徳が日本一になる為に力を使い続けるに違いない。オレはそんなお前を止めたりしない。そんなお前だから一緒に目指そうと思うのだ。お前の為にも今以上にシュートを磨いて、このチームで高校バスケのトップに立つのだ。
「これでオレの話は終わり。最初に秘密にしてって言ったけど、真ちゃんの判断に任せるよ。自分勝手だって思うだろうし、軽蔑したって構わない。オレは――――」
相変わらず勝手に話を纏める奴だ。そんな奴の話を最後まで聞くつもりなど毛頭ない。どうしてそう卑屈な考え方になるのか。普段は必要以上に前向きな思考をしているというのに不思議なことだ。
最後まで話し終る前にその額にデコピンをしてやる。パチンと音がしてすぐに呻き声が上がったかと思えば、続いていきなり何をするんだと声を荒げた。何をするもなにも、自業自得でしかない。言えば本人はさっぱり分からないといった表情でこちらを見た。
「いきなりそう言われても、オレ何か言ったっけ? それと、これでもオレ病人だからね」
「そう思うのなら少しは大人しくしていろ」
「大人しくしてるじゃん。むしろいつもより静かでしょ」
……普段と比べれば静かか。それでも大人しくしているとは掛け離れている気がしないでもなかったが、そういうことにしておこう。見た目では分からないけれど、まだ体調も悪いのかもしれない。こういう時、コイツがポーカーフェイスが苦手だったなら良かったのにと思う。普段通りを装われては、すぐには気付いてやることが出来ないから。
とりあえず話を戻そう。奴の言葉を止めてから話が進んでいない。何を考えていたかなど知るつもりはないが、間違った考えは訂正してやらねばならない。
「これだからお前は駄目なのだよ。一人で考え過ぎるな。大体、オレはとっくにお前のことを認めているのだよ。馬鹿なことを考えてる暇があるなら人事を尽くせ。オレ達は日本一になるのだよ」
一人で考え込むのは高尾の悪い癖だ。なぜか全て悪い方向に考えているが、オレがいつそんなことを言ったのだ。下僕みたいなものだとは言ったことがあったかもしれないが、それはいつの話だと思っている。オレはとっくにお前を認め、一緒に上を目指そうとしていた。お前はオレの相棒なのだ。
何より、お前だってオレと同じなのだろう。オレと一緒に日本一になりたいと、その為に努力をしてきた。オレのことを勝手に決めつけるな。そうやってくだらないことを考えている暇があるのなら、人事を尽くすべきだ。
「真ちゃんが急にデレるから調子狂った。どう責任とってくれるのよ」
暫く間を置いてから、何を言い出すかと思えばそんなよく分からないことを口にした。調子が狂ったから責任を取れと言われても困る。大体、それもお前が無理をしすぎたせいで倒れたことが原因だろう。
「それはオレのせいではないのだよ」
「真ちゃんのせいだってば。暫くこっち見んの禁止」
結局オレのせいになるのか。まあそんなことは大した問題ではないだろうからどうでも良いが。それよりも最後の言葉だ。
見るなということは、見せたくないということなのだろう。俯いてこちらから顔が見えないようにした高尾に、聞こえない程度の溜め息を零した。隠す必要などないというのに、まだ全部を見せられるほどの勇気はないのだろう。頑なに隠し通そうとしていたくらいなのだから無理もない。
だが、泣くにしても目をこするのは良くない。持ち上げられた腕を掴んで言えば、僅かにその瞳がこちらを見た。涙を溜めた瞳を見て、そっと涙を拭いてから高尾の腕を引いて抱き締めた。見られたくないというお前の意見を飲むのなら、これでも問題はないだろう。
「…………あの、真ちゃん?」
「何だ」
何か言いたそうにしていたが、高尾は「なんでもない」と言って大人しく腕の中に納まった。何を言おうとしたのかは分からないが、こうしているうちに少しでも落ち着いてくれるのならそれで良い。もう一人で抱える必要はないのだと、それが通じていれば良いのだが。一人で抱えたりしないで、辛くなった時はいつでも話して欲しい。オレはお前の味方なのだから。
数分後、離れた高尾に涙はなかった。ありがとうの言葉に乗せられた笑みは偽りのないものだった。続けて「そろそろ戻った方が良いよな」と言いながらベッドから降りた。目の前に立った高尾の表情に曇りは一切なかった。
「もう大丈夫なのか」
「お蔭様で。だからみんなのところに戻ろうぜ」
いつも通りに話す高尾に嘘はないのだろう。その言葉を信じてオレは足を進めた。すぐに隣に並んだ高尾と二人で控室へと向かう。控え室に着くと先輩に早くしろと怒られたが、それも仕方がない。素直に謝って荷物を方付けると、オレ達は控え室を出た。
次の試合もお前と共に。そのパスを信じてシュートを放ち続ける。オレ達はこんなところで終わったりはしない。
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