夏のIH予選で高尾から目のことを聞いてどれくらい経った頃だっただろうか。いつもの如く一人で抜け出した高尾を探して二人きりになった時。奴はこんな疑問をぶつけてきた。


「真ちゃんは、この目のこと監督に言わなくて良いの?」


 監督が何も言わないことから、オレが監督に話していないということは分かったらしい。だが、まさかそんな質問をされるとは思わなかった。こういうことは監督に伝えておくべきだとは思っている。その方が高尾も無理をすることがないだろうから。けれども。


「お前は話したくないのだろう」

「それは……まあそうだけど」

「それならオレは何も言わないのだよ」


 言えば意外そうな顔をしながらも、そっかと安堵するような声が聞こえた。そんな高尾の反応を見て、この判断は間違っていなかったのだろうと思った。オレはお前の意思を尊重してやりたいと考えているから。それは、あの時のように倒れたりしなければ隠し通すことは可能だ。
 これだけ大きな問題を抱えながらそれを隠すのには、ただバスケをやりたいという思いがあるからだろう。このことを知られれば試合に出られなくなるかもしれないと危惧しているに違いない。いくら高尾が大丈夫と言っても、監督の判断次第でそれは叶わなくなってしまう。バスケを続けたいからとこの選択をしても、それでは何の意味もなくなってしまう。
 だからオレは監督に話したりはしない。一緒にバスケをすることこそが高尾の望んでいることなのだから。それに、オレの前では隠さなくなっただけ前よりも進歩している。高尾の意思を尊重しつつ無理をしすぎないように見ていれば良い。それだけのことだ。








「真ちゃん、早くこっち来いって!」


 波打ち際からテンションの高い声が聞こえてくる。たかが海で何をそんなにはしゃいでいるのか。そのまま口にすれば、良いから早く来いよと催促される。振り返った奴の顔はとても楽しそうで、その様子に溜め息を吐きながら高尾のところまで歩く。


「大体、どうして海なのだよ」

「そりゃぁ海があるからっしょ! 行かないなんて勿体ねーじゃん」

「時期外れの海で何をするのだ」


 どうして秋に、しかも冬に近いこんな時期に海に来なければいけないのか。この時期に海を訪ねるなんて物好きぐらいしかいないのではないだろうか。そうなると、オレ達もその物好きに含まれるのだろう。別に来たくて来たのではないのだが、せっかくならと高尾に引っ張られたのだ。
 オレ達が季節外れの海に来たのは、今日が修学旅行の自由行動日だからである。場所は沖縄、この地で見られる海を見ようと計画に組み入れている人は多い。高尾もそんな理由で海に行こうと言い出した。


「海を見るのも楽しみ方の一つだろ? 流石に入るのはマズいし」


 この季節に海に入ろうとする奴がいれば、本物の馬鹿だろう。いや、授業で計画を立てる時に海に入れるのかという質問をしていた奴もいなかったわけではないが。当然ながら教師は入れないと答えていた。そもそもどうして入れると思ってしまったのかと問いたい。
 見るのも楽しみ方の一つ、というのは分からなくもない。仮に夏場だったとしても、オレは特別入りたいと思うわけでもない。むしろ見ているだけで良いと思う。逆に高尾は入りたいというタイプなのだろう。これが夏だったら間違いなく海に入り、ついでにオレも巻き込まれていたかもしれないな。


「そういえばさ、一年くらい前に海行こうって行った時も真ちゃんは季節外れだって言ったよな。結局来ちゃったけど」


 そんなこともあったな。部活を終えた帰り道で高尾が唐突に提案したのだった。あの時も季節は秋、どちらかといえば夏に近かったが海開きは終わっていた頃だ。全く、どうして海に行こうという話が夏以外の季節でばかり行われるのだろうか。


「あの時も今回もお前が行くと言い出したのだろう」

「近くに海があるのに行かないのは損だろ。それと、あの時の海は例えだってば」


 確かに例えだと言っていたか。例えにしても海は季節はずれだろうとは思ったが。行く場所はどこでも良いから、ただ出掛けたいのだとコイツは話したのだ。結局、あの時は何も約束せずに終わった。
 それからというもの、部活がオフの日に何度か出掛けようと誘われた。初めは全て断っていたけれど、あまりに誘われるから了承したこともある。あのことがあってからは、まだ一度も断ることはしていない。あれを聞いた後で誘われた時、もしかしたらと思い当たることがあった。本人に直接聞いたわけではないから、あくまでオレの憶測でしかないが。
 どちらにしても、出掛ける場所は全部高尾が決めている。オレは行きたい場所もなく、お前が行きたい場所があるのなら付き合ってやると答えてきた。今回の自由行動も似たようなものだ。


「修学旅行ももうすぐ終わりだね。楽しかった?」


 楽しかったかと聞かれても困るのだが、まあまあ楽しめたのではないだろうか。思ったまま答えれば「真ちゃんらしいね」などと返ってきた。あまり言葉にしなくても何故かコイツには分かってしまうらしい。一年の頃からそうやってオレと色んな人の間に立っていた。
 今回もまた高尾の中でどういう意味なのかと変換されているのだろう。それが本当に一致しているかは知らないが、コイツの発言を聞いている限りでは強ち間違いとも言い切れないのかもしれない。だからといって本当にそうであるとも限らないのだが。


「もう来年はオレ達も三年だぜ。真ちゃんは進路とか決めてる?」

「ある程度は決めている」


 答えれば色素の薄い瞳が意外そうな目でこちらを見た。何だと聞き返せば、そのまま意外だったからと言われる。珍しいなとも付け加えられ、お前は人のことをどう思っているのだと問いたくなった。
 代わりにお前はどうなんだと質問すれば、まだ決まっていないと返された。高校から先の進路となればそんなものだろう。このくらいの時期から考えている者もいるだろうが、オレ達はそれよりも目の前にある大会の方が重要だ。それは三年になっても変わらないだろう。進路も大事だとは分かっているが、今はバスケの方が大切だ。勿論、進路についても今後考えていく。


「明日の見学が終わったらまた長い移動だぜ。もっと移動時間が短くなればその分遊べるのにな」

「お前はまだ遊び足りないのか」


 進路の話を終えるとまた修学旅行の話に戻る。話がコロコロ変わるのはいつものことだ。頭の中で思い浮かんだことをそのまま話しているのだろう。喋っているのは主に高尾だから気にしていないが。
 それにしても、これだけ色んな場所を見て回ってまだ遊び足りないと言うのか。これでも十分だろうとは思ったのだが、遊べる時間が増えるに越したことはないらしい。そういうものかと思いつつ、修学旅行というのは限られた時間でしかないのだから一理あるのかもしれない。
 視線を下げると丁度高尾と目が合った。それから高尾は背伸びをしたかと思えばおもむろに手を伸ばし、人の眼鏡を外して自分に掛けた。


「おい、高尾。何をするのだよ」


 自然と声に怒気が含まれるが、コイツは全く気にしていないようだ。何度かやっているやり取りだけに向こうも慣れているのだろう。慣れられても困るのだが、それをコイツに言ったところで無意味だ。人の眼鏡を奪って何が楽しいんだかオレにはさっぱり分からない。大体、他人のものを掛けても度なんて合わないだろう。


(自分で掛けておきながら、毎回度がキツイと言うのは誰だ)


 一回試して止めれば良いものの、既に何回目かになるこの行動。前に視力がどれくらいなのか教えたこともあるのだから度が強いことぐらい分かっているだろう。初めて掛けた時には、高尾が想像した以上に度が強かったらしく分かり易い反応を見せたくらいだ。眼鏡を取り返した後で、そんなに度が強くて平気なのかと言われたりした。だから先に視力を教えてやっただろうと思いながら、これだけの度がないと意味がないからこうしているんだと言っておいた。
 何度やっても結果は同じだというのになぜ同じことをするのか。そんなものは本人に聞かないと分からないが、それにしても何かおかしい。


「高尾?」


 急に静かになった高尾に呼び掛けると、その声で我に返ったらしい。やっぱり度がキツイと笑いながら眼鏡を返したけれど、それがいつもの笑みとは違うことにはすぐに気が付いた。
 何かあったのか。とはいえ、この状況で何かあったとして考えられることは一つだ。高尾の様子がおかしくなったのは眼鏡を掛けてから。まさかとは思うが……。


「え、あの、真ちゃん!?」


 高尾が何か言っているのは無視して、その肩を掴む向かい合わせにすると顎を持ち上げて上を向かせた。オレと高尾では身長差があるから、こうしないと高尾の顔が見ることが出来ないのだ。
 考えられる可能性は一つ。眼鏡にどれくらいの度が入っているかは高尾も承知のはずだ。それなのにいつもと違う反応を見せた理由。それはいつもと違って見えたからではないのか。コイツが医者に失明すると言われたのは、大分前のことだった筈だ。少しずつ視力も下がっているとすれば、先程の反応にも頷ける。


(目を見ただけでは流石に分からないか)


 顔を近づけて確認しても、視力がどうなっているかなんて分からない。だが、この目に何かがあったからであることはほぼ間違いないだろう。


「ねぇ、真ちゃんってば」

「高尾」

「へ? 何?」

「目は大丈夫なのか?」


 言えば高尾はきょとんとした。けれど、すぐに言葉の意味を理解したらしい。短く大丈夫だと返されて、それが真実かは分からないながらもとりあえず手を放した。何かしらの異常は感じたのだろうが、大丈夫といえるだけのことだったのか。真相を知るのは本人のみだが、それが相当なことならば自分から話すと信じて追及することはしなかった。
 それより、未だに高尾は静かにしている。それが悪いわけではないのだが、普段の高尾らしくない。それに、幾らか顔が赤くなっているようだった。


「どうした。具合でも悪いのか?」

「全然そんなじゃないから。それより、そろそろ戻ろうぜ」


 そう答えた高尾はいつも通りだった。一応熱でもあるのかと尋ねてみたが、夕日のせいじゃないかと返される。何もないならそれで良いが、何だというのだろうか。

 ホテルまでの道のりを他愛のない雑談をしながら歩く。
 海に浮かぶ夕焼けはとても綺麗だった。