近くに置いてあった携帯電話が光る。小さなウィンドウにはメールの着信が知らされていた。カパッと携帯を開き、そのまま受信ボックスを開く。一番上にはNewの文字と共に懐かしい名前が表示されている。
『何でしょうか? 緑間君から連絡なんて珍しいですね』
送信者は黒子テツヤ。
中学時代のチームメイトである黒子にメールを送ったのは数分前のことだ。ただでさえ連絡など殆ど取っていなかったのだから、珍しいと言われるのは仕方がないだろう。だが、こちらも用があったのだ。そもそも用がなければ学校も違う黒子にメールなどしないけれども。
『お前の学校には鷲の目を使う先輩が居たな。その先輩に少々聞いて欲しいことがあるのだが』
『伊月先輩のことですか? 別に構いませんが、何かあったんですか?』
突然こんな内容のメールを送られてくれば疑問に思うのも無理はない。オレはその先輩とポジションが同じわけでもない。特にこれといった関係性はないのだから。
関係があるのは高尾の方だ。高尾の持つ鷹の目と、黒子の先輩――伊月さんが持つ鷲の目は見える範囲こそ違うものの根本的には似たような能力だ。アイツが能力を使うことで目に疲労が溜まるということは、もしかしたら同じ症状が伊月さんにもあるかもしれない。もしあるのなら、そういう時にはどう対処をしているのかを教えて貰いたかった。
はっきり言ってしまえば、オレには直接関係のないことだろう。だが、アイツはオレの相棒だ。一人で苦しむヤツに少しでも何かしてやりたいと思うのだ。余計なこととアイツは言うかもしれないけれど、オレは出来る限りのことはしてやりたい。
『分かりました。では、伊月先輩に聞いたらまた連絡します』
簡潔に内容を纏めたメールを送った後、黒子からそんなメールが返ってきた。あまり詳しいことは書かずに、高尾も似た能力を持っていて目が疲れることがあるらしいからといった説明をした。本人の許可もなく余計なことまで話すことは出来ないし、これだけでも納得出来る内容ではあるだろう。
案の定、黒子からは了承のメールが届いた。数行開けて『高尾君のことが大切なんですね』と書かれていた文面については見なかったことにする。わざわざそうではないと否定するメールを送るのも面倒だ。送ったところで黒子に何と返されるかは想像出来なくもない。
パタンと携帯電話を閉じると適当な場所に置いた。次に携帯が着信を知らせるのは、十数分が経った頃。
コート全体を把握する目
いつからか、試合が終わってから二人でチームメイト達の輪から抜けるようになった。初めのうちは一人で居なくなるアイツを気にする程度だった。それが気にするだけに留まらず様子を見に行くようになり、二年のIH予選での出来事があってからは必ず一緒について行くようにした。あんなことはもうないと思うが、それでも絶対とは言い切れない。もしものことがあってはいけないからと一人にはさせなかった。
見るからに目を酷使して辛そうな時には、高尾が一人で抜けようとするよりも前に手を引いて抜け出したりもする。今もそうやって外までやってきたところである。
「なんかさ、もうこれが普通になってねぇ?」
人目に付かないような木陰まで移動するなり、高尾はそんなことを言い出した。これ、というのはオレ達が試合後に抜け出すことを指しているのだろう。
確かに最近ではこれが普通になってきているかもしれない。使いすぎているかいないかに関わらず、外で休むように抜けるようになったからな。どちらにしても鷹の目を使っているのだから休んだ方が良いだろう。休めるのなら休んだ方が楽であるとは本人も前に言っていた。
以上のことから、試合が終わると抜け出すようになったのだ。よって、今はこれが普通になっているのは事実だろう。
「お前は黙って休んでいれば良いのだよ」
答えることはせずにただそれだけを口にする。余計なことを考えて頭を使わせることもない。この程度のことなど大したことではないだろうが。今日は普段よりも鷹の目を使い過ぎている。高尾は何も言わないが、目の痛みだけではなく頭痛もしているに違いない。余計なことは喋らずにただ黙って休めば良い。オレのことは気にせずに目を休ませることだけを考えろ。
言えば「はいはい」と分かっているのか分かっていないのかという返事がくる。全く、本当に分かっているのだろうか。だが、自分の体のことくらいはちゃんと理解をしているのだろう。大人しく目を休めるのを見て一安心する。これでとりあえずは大丈夫だろう。
「今は慣れたけど、初めは何事かと思ったよ。真ちゃんが何も言わず誘拐するから」
「誘拐などしていない」
「冗談だって。でも本当に驚いたんだぜ?」
誘拐なんて人聞きの悪いこと、冗談でも言うことではないだろう。コイツが言うから冗談であるというのは分かり切っているけれど。まあ、驚いたというのは本当なのだろう。あの時の高尾は目を丸くして「真ちゃんが!?」と失礼なことまで言っていたくらいだ。
それは今より数ヶ月前。高尾から鷹の目のことを聞いてから数週間が経った頃のことだ。
あの日も今日のように高尾を体育館の外に連れ出した。今では時々やることとはいえ、あの時は初めてで歩きながら何度も疑問を投げ掛けられた。いきなりどうしたんだ、どこに行くつもりなのかと。
「ちょっと、真ちゃん。どこまで行くのよ」
手を引いて外に連れ出し人目のつかない場所まで来てから立ち止まる。どこに行くも何も、お前を連れて出てきた辺りで大体予想出来ているのではないか。もしオレが連れ出さなかったのなら、お前は一人で抜けていたのだろうから。
「とりあえず座れ」
此処まで来ていつまでも立ち話をするつもりなどない。オレがそう言うと、高尾は素直に従って腰を下ろした。どういうつもりなのかと目が訴えているが、わざわざ答える必要はないだろう。目を休めろと言おうとしているのは高尾も分かっているのだろうから。それに、オレが行動に出れば答えずとも分かることだ。
こちらの様子を窺っている高尾の目元にそっとタオルを押し当てる。温めてあるタオルとはいえ熱くはないのだが、反射的に熱いという言葉が聞こえた。実際は熱くもないのだから、すぐにタオルに手をやると「これ、どうしたの?」と疑問が投げかけられた。
いきなりタオルを押し当てられては疑問を浮かべるのも無理はないか。とりあえず目に当てておけと言うと、高尾は大人しくタオルを目元に戻した。これで少しは目の痛みも和らぐだろう。
「ところで、何で真ちゃんがこんなこと知ってるの?」
温めたタオルを目に当てることで痛みを和らげることについて言っているのだろう。続けて「真ちゃんも目が痛くなることがあるとか?」と尋ねられたのには否定をした。オレも視力が悪く眼鏡は掛けているが、目に痛みを感じることはない。
「ならどうして…………」
オレ一人ではどうすれば良いのか分からなかった。けれど、少しでもコイツの為に出来ることをしてやりたいと思った。そこで思いついたのは、同じ症状を持っている可能性のある人に話を聞くこと。身近に思い当たる人は居たものの簡単に聞けるような相手ではなく、旧友を通して教えて貰ったのが数週間前だ。
高尾の問いに答えるのには少々悩んだが、おそらく答えなければ答えるまでしつこく聞かれるのだろう。諦めて視線を横にずらすと、黒子に聞いたのだと答えた。言うなりすぐに「真ちゃんが!?」と顔を上げたからどういう意味だと睨んでおいた。すると大人しくタオルを当てて黙ったが、高尾がこんな反応を見せたのも無理はない。
黒子とは中学のチームメイトだが、仲が良かったとは言い難い。普段から必要最低限しか連絡を取らないオレが黒子に聞いたというだけでも驚く要素としては十分なのだろう。失礼な気がしないでもないが。しかし、黒子にも珍しいと言われたように自分でも珍しいことをしている自覚はあった。
『伊月先輩に聞いたところ、温かいタオルを目に当てるのが良いらしいです。そうすることで目の痛みも和らぐと言っていました』
先輩から聞いた黒子からの連絡に、温かいタオルかと考えた。一人で抜ける高尾は視界を閉じることによって目を休ませていたようだが、伊月さんがそう言っているということはその方が効果的なのだろう。温かいタオルも準備できない物ではない。次に練習試合がある時にでも試してみるか。
そう思いながら返信ボタンを押し本文には『そうか。助かった』とだけ書いて送信した。それから数分後に返ってきたメールには『いえ、構いませんよ。高尾君の症状も良くなるといいですね』と表示されていた。
「少しは違うか?」
「この方が大分楽かな。やっぱ違うもんだね」
一通り話し終えたところで聞いてみたところ、そんな答えが返ってきた。こういう症状のないオレには分からないが、やはり似た能力を持っているだけあって伊月さんのアドバイスは適格だったようだ。大分違うというのなら、次からはこうしてやるべきか。鷹の目を使いすぎれば休ませるのは絶対なのだから、より良い方法を選ぶことが一番だろう。
人が今後のことを考えていると、隣から新しい疑問が飛んでくる。それは意外な言葉がらも高尾なら言いそうな内容だった。
「もしかして、オレって大事にされてる?」
何を今更言っているのだ。そう思ったものの、ついこの間まで自分がオレに相棒だと認められていないとさえ思っていたんだったな。オレはとっくにお前のことを認めているというのに。
きっと、こういうことは言葉にしないと伝わらないのだろう。
「今頃気付いたか」
形にして伝えてやれば、色素の薄い瞳が大きく開かれた。全く、どうしてそうではないと思えるのか。オレは高尾ではないのだから、コイツの思考回路など分からないが。これで少しは自分の存在がどれほどのものなのか理解すれば良い。
「なんか、真ちゃん優しいね」
小さく笑みを浮かべて話した高尾につられるように笑みを浮かべる。その後は特に何を話すでもなく、ただゆっくりと流れていく時間を二人で共に過ごす。部員達の元に戻る頃には痛みもある程度は引くことを願って空を見上げた。
それは、ある日の体育館の一角での出来事だった。
「ちょっとくらいなら視界を閉じてじっとしてれば収まるのに、真ちゃんもよくやるよな」
「お前は自分のことを軽く考え過ぎなのだよ」
こう言ったところで、どうせそんなことはないとでも思っているのだろう。以前に倒れたことがあるというのにどうしてそういう考え方が出来るのか。もっと真面目に考えろ、などとは言わなくても高尾自身が一番良く分かっているだろうけれども。
無茶をするしないの話ではなく、もっと自分を大切にしろという話なのだが通じているのだろうか。試合で鷹の目を使うのは高尾の自由だが、せめて体が痛みを訴える時くらい出来る限りの休息をすべきだろう。あえて口にはせず溜め息だけに留めたのは、オレが今更言うことでもないからだ。こんな調子で話していても、なんだかんだで本人はちゃんと理解しているのである。
「オレさ、物好きだとか言われるんだけど、真ちゃんも同じだと思うんだよね」
唐突な話題転換はいつものことだ。いきなり何を言い出すんだと思いながらも「どういう意味だ」と聞き返す。言葉通りだと返された挙句、「真ちゃんも分かってるでしょ?」なんて言ってくる。分からなければ聞き返したりしないのだが。
高尾が物好きだとクラスメイトに言われている場面は見たことがないわけではない。オレのような人間と一緒に居るからそう言われるのだ。他の奴等と同様にオレも初めは高尾のことを物好きだと思っていた。どうしてそこまでして人に関わるのかと。
(オレも同じということは、物好きだと言いたいのだろうが)
言葉にしないのは、オレが高尾の性格を知っているからといったところか。オレにとって高尾は、高校に入ってから最も一緒に居ると人物といっても過言ではない。実際、登下校に授業、それから部活まで同じなのだから一番多く共に過ごしているだろう。互いを知る機会なんて幾らでもある。本人が気付いていないことに気付けるくらいには、互いのことを理解している。
おそらく、高尾は己の性格のことを指してそう言ったのだろう。コミュニケーション能力が高いのは事実だが、あまり深入りはせずに浅く広い友人関係を作ることが多い。表面上だけのやり取りをしていることもある。偽りの笑顔を見せて誤魔化して、ポーカーフェイスを使いこなすことで物事を円滑に進める。
それが高尾和成という男だ。一見明るくムードメーカー的な存在でとっつきやすい。けれど、本心を見せることは滅多にない。そんな人間と付き合うなんて物好きだ、とでも言うのか。
「何を考えているかは知らんが、オレもお前と同じだ」
仮にそうだとして、オレが高尾と一緒に居る理由なんて決まっている。余計なことを考える必要などない。高尾の性格に難があるというのなら、こちらはどうなるというのだろうか。自分でも人付き合いは苦手な自覚はある。変わり者とは昔から何度も言われてきたことだ。努力もせずに口ばかりの連中が天才という肩書きだけで疎んでいると知っては、お前達はそう言うだけの努力をしてきたのかと見下してきた。そんな奴等と関わろうとさえ思わなかった。決して良いといえるような性格ではないだろう。
何故一緒に居るのか?お前と共にするバスケが好きだからだ。隣で笑っているお前の存在がいつからか当たり前で、共に過ごす時間が楽しいから。高尾和成という男が好きだから、一緒に居るにすぎない。
それはきっと、お前も同じなのだろう?
「真ちゃん、それって分かってるって言うんじゃないの?」
暫くしてから聞こえた声に、漸く先程の言葉の意味を理解したらしいと気付く。オレの考えが正しいかはともかく、それが正しいとするのなら分かっているというのかもしれない。確信がないだけに何も言い返さなかったが、考えていることは同じだろう。後は高尾の好きにとれば良い。
「時間になったら教えて、真ちゃん」
それから続いた言葉に分かったとだけ返しておく。それ以上の言葉は不要だ。それだけでも通じ合えるくらいの関係に進歩しているのだから。
入学したばかりの頃と現在では、オレ達の関係も随分と変わっている。第三者から見た場合は分からないが、確かにこの関係には変化が起こった。ただのチームメイトから相棒に、クラスメイトから友人に。少しずつ確実に変化していった。
隣で休む相棒と、この先もオレは肩を並べて歩いて行く。
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