「それで、何があったんだよ」


 ほらよと淹れてきたばかりのコーヒーを差し出しながら友人が尋ねる。突然押しかけたというのに家に上げてくれ、こうして話を聞いてくれる優しい友人には感謝している。だからこそ彼の家を訪ねた。きっと彼ならそうしてくれると思ったから。
 ありがとうとコーヒーを受け取って一口ほど飲むと、何から話そうかと考える。どうやって話すべきかと。考えたところで順を追って話すしかないわけだけれど。


「もし、だけどさ」

「おう」

「片想いをしている相手に、酔った勢いでキスとかしたとしたら……どう?」


 言えば「は?」と聞き返された。それもそうだろ。けれどもう一度説明するのも戸惑われ、何も言わない高尾に何かを察したらしい友人は「え、やっちまったのか?」と恐る恐る聞き返す。もしなんて言い方をしても、この状況ではそれが例え話ではないことは明白だった。
 勿論、それは高尾も承知の上だ。それでも他に言い方が思いつかなかったのだ。火神の問いに「昨日の夜に」とだけ答えれば、彼は「マジか……」と小さく零した。


「やっぱり不味いよな。向こうは素面だから絶対覚えてるし」

「いや、ほら。まだ絶対にヤバいと決まったわけじゃねぇだろ」


 なんとか慰めようとしてくれるけれど、そうと決まっていなくてもほぼそうと決まっているようなものだろう。相手が自分をどう思っていたかは分からなかったとしても、こちらが一方的にそういうことをして悪い方に傾く可能性の方が圧倒的に高い。むしろ嫌われたっておかしくないレベルだろう。


「でも普通に考えればヤバくね?」

「それは……でもよ、向こうがお前を好きだって可能性もなくはねぇだろ」

「悪いけどそれは絶対ない」


 分からないだろと言ってくれる理由は分かる。だけどそれだけはないと言い切れる。好かれていないわけではないと思うけれど、それは決してそういう意味の好きではない。そんなわけがない。
 はっきりと言い切る高尾に火神も何と言ったら良いのかと悩む。それでも可能性が零ではないだろうと聞いてみても零だと言われてしまう。そこまで言い切れるほどの相手なのかと思うが、高尾にとっては言い切れるほどの相手なのだ。そもそも相手は女でもなければ身近に暮らしている兄弟なのだから。


「ついでに毎日顔を合わせるような相手なんだけど、どうすれば良いと思う?」


 誰というのは伏せたまま問うてみる。その答えが見つからなかったからこそ、高尾は今ここに居る。顔を合わせるのが気まずすぎて逃げてきたのだ。今頃弟はどうしているのだろうか。昨日のことは絶対覚えているだろうし、そう思うとあまり考えたくないような気もする。


「毎日って、それはもう謝るしかねぇだろ」

「謝って許してもらえると思う?」

「…………許してもらえるまで謝るとか」


 必死で謝れば誠意は伝わるはずだ。それはその通りだろうけれど、一般的に考えて酔った勢いで一方的にそういうことをして謝っただけで許されるのか。
 いや、考えるべきではないだろう。高尾にそれは当て嵌まらない。火神の言うように許してもらえるまで謝れば、彼ならきっと自分を許してくれる。それでも兄弟仲にひびが残りそうだが、許してもらえないことはないだろう。


「それしかねーか……結局オレの自業自得だしな……」

「本気で謝ればちゃんと伝わるって」


 だから悪い方にばかり考えすぎるなよ、と火神は笑う。別にそんなつもりはなかったけれど、過ぎてしまった時間を取り戻すことは出来ない。いつまでも後悔ばかりしていても仕方がないのも事実だ。
 そうだな、と頷いて漸く友人は小さく笑って見せた。それを見て少し安心する。この友人がこんなに悩んでいるのを見るのは初めてだったから、最初は何事かと思ったのだ。それくらい見て分かるほどの顔をしていた。


「けどよ、お前も好きなヤツとかいたんだな」


 話にひと段落が付いたところで思ったことを口にする。高尾がモテることくらいは告白されたという話などを聞いて知っていたが、片思いをしている相手がいたとは知らなかった。これまでに付き合っていた彼女がいたことも知っているけれど、それも結局は長続きをしていなかったのは本人から聞いている。
 そんな高尾に好きな相手か、という言い方は些か失礼かもしれない。でも、そういう相手が出来たのなら応援してやりたい気持ちもある。そのためにはまず、今回のことをどうにかしなければならないのだろうけれど。


「まあ片想いだし脈もない上にこれだからな。とっくに諦めてるよ」

「何もしないで諦めるのは早いだろ」


 きっと火神は純粋にそう言ってくれているんだってことは分かる。でもこの恋は初めから実らないと決まっているものだから諦めるしかない。普通の恋愛のように気持ちを伝えてみなければ分からないという可能性もないのだ。
 相手が男で兄弟だとか、その辺は全部隠して話していたけれど、こうも真剣に話を聞いてくれる友人を見ていると騙しているようで申し訳なくなってくる。それでもカミングアウトするようなことではないのだが、そうなるとどうやって話をするべきか。


「本気で言ったら相手にもそれは伝わるだろ。やってみなくちゃ分からねぇよ」


 やる前から諦めるな。そんな風に言われても無理なものは無理だ。絶対に叶わないと分かっていて、あえて今の関係を崩すようなことはしたくない。
 だから良いんだ、と他の誰かが言ったのなら答えただろう。それか適当に受け流したか。でも、親身になって話を聞いてくれている目の前の共にそんな態度はとれなかった。無理だとしてもすでにここまでやってしまったのだ。関係が崩れるきっかけを作り、今も逃げているのだから今更かもしれない。


「……告白して、フラれた時は一杯付き合えよ?」

「その時は付き合ってやるけど、初めっからフラれること前提なのは止めろよ」


 それもそうだなとコーヒーを口にする。つーか、酒で失敗したのに酒を飲むのかよなんて言われたがそれとこれとは別だろう。言えば分かったよと呆れたように笑われた。
 でも、これくらいが今の高尾には丁度良かった。踏み込んで聞かれないと分かっているからこんな風に話せるんだろう。本当にありがたいなと思う。だから頼ってしまったわけだが、今度ちゃんとお礼はしないとなと心の中で呟く。


「で、どうするんだ。まだ暫くはウチに居るか?」

「うん。夕方までには帰るからもうちょっとだけ居させてくれると助かる」

「別に用事もねぇし好きなだけ居ろよ」


 昼に何か食いたいもんあるか、と続けて聞いてくるところがこの友人らしい。それじゃあオムライスが食べたいなんてリクエストをすれば「おう」と二つ返事。
 それからは最近はどうかというような世間話から色々な話をした。客なんだから座ってろよという火神に対して、してもらってばかりも悪いからと高尾も料理を手伝ったりして。楽しく時間が流れて行くのだった。






 


叶わない恋。だから伝えられない。
そう思っていたのに、一夜の過ちで今の関係でさえ崩すきっかけを作ってしまった。

もう戻ることは出来ない。どうすれば良いのか分からなくて逃げてしまった。
でも、ここまできたら当たって砕けてみるのも有りかもしれない。
今のままではいられないのならいっそ。友人がそう言ってくれたから。


(ちゃんと話をして、ぶつかってみるしかない……よな)