夢? 現実?
頭が混乱する。今、オレはどういう状況の中に居るんだ。落ち着いて考えようとしても一向に呼吸は整わない。こんなことになったのは今回が初めてじゃない。だけど、今回が初めてだったんだ。
とにかく冷静にならないと。そう思うのにダメなんだ。完全にストッパーが外れてしまっている。どうしたら良いのか分からない。こんなの慣れているのに。分かり切っていたことなのに。
(真ちゃん、助けて…………)
高校卒業以来、一度も会っていない人に助けを求める。こんな時にばっかり頼ってオレは本当にダメだ。だけど、一人ではどうにもならない。誰かと思った時に真っ先に浮かんだのが、高校時代の親友であり相棒だった男。
頼ってはいけない。迷惑になるだけだ。そう思いながらもオレは傍に置いてあった携帯に手を伸ばした。
暗い闇の中に一人
時間は深夜零時を回っている。そんな時間に連絡をするなんて非常識にも程がある。かけたところで、きっちりとした生活をしているアイツが起きている筈はないと思うけど。たとえ今気付かなくとも履歴が残れば気になるだろうが、そんなことをゴチャゴチャ考えている余裕がなかった。
どうせ出ないだろう。そう思いながらずっと使われていなかった番号を押す。無機質な機械音が耳に届く。数回繰り返されたところで切ろうかと思ったが、それは出来なかった。
『高尾、どうしたのだよ』
絶対に起きていないと思ったのに、なぜかその電話は繋がった。久し振りに聞いた声、どれくらい振りに名前を呼ばれただろうか。それだけでオレの胸の中は一杯になる。
真ちゃんの声を聞いてオレは漸く少しだけ冷静さを取り戻すことが出来た。まだ頭は混乱しているけれど、これなら普段通りに話をすることは出来る。
「夜遅くにごめんね」
『別に構わん。何かあったのか?』
「ううん、真ちゃんの声が聞きたくなっただけ」
心配を掛けたくないとオレはまた一つ嘘を吐く。真ちゃんにだけは嘘を吐かないって高校の時に話したというのに。ごめん、でもオレはそういう人間なんだ。心の奥では助けて欲しいって思ってんのに、それを表に出すことはしない。何度も何度も繰り返していることだ。
「起こしちゃったならごめん。もう切る――」
『高尾』
最後まで言う前に名前を呼ぶ声が遮った。その声がやけに低くて、真ちゃんを怒らせたと理解するのに時間は要さなかった。そういえば、真ちゃんはオレが隠そうとしても気付いていたんだっけ。いや、でもあれは直接見ていたからだ。声だけでそんなことが分かる訳がない。
だけど、その考えは間違っていなかったらしい。次に出てきたのは『嘘を吐かないと言わなかったか』と、オレが先程思い出した言葉そのものだった。
「嘘なんて吐いてないぜ。真ちゃんの思い過ごし」
それでも誤魔化そうとするオレもオレだと思う。自分で自分の決めたルールを破ったくせにいざ電話が繋がったらこれだ。迷惑を通り越しているにも程がある。このまま真ちゃんに嫌われちゃうかもしれないな、なんて思いながら自業自得なのに胸が痛くなるし。オレって本当に馬鹿だ。
ほら、だから電話切るね。それで終わりにしようとしたのに電話の向こうから聞こえる声に電源ボタンを押せない。無視して切ることだって出来るのにそれが出来ない。口ではこう言っても心がそれを否定する。
『待て。電話で話せないと言うなら、お前の家まで行くだけなのだよ』
「…………なら、来てよ」
思わず口から零れた言葉。そんなこと言うつもりはなかったのに心の方は限界を訴えていた。真ちゃんが疑問を含めた声でオレの名前を呼んでいる。ちゃんと取り繕わなきゃって思うのに、言って楽になりたいと思う自分が居る。更に嘘を吐かないと言ったのにそれを破った後ろめたさが重なって、普段通りの自分が消えてしまった。
「ウチに来てよ。オレ、真ちゃんに会いたい。電話なんかじゃ足りない。本当の声が聞きたい。真ちゃんに会って、真ちゃんの顔が見たい」
会いたい、会いたいよ。
もう自分でも何を言っているのか分からなかった。オレの心がずっと叫んでいたものが並べられていく。オレはただそれを言葉にして伝えるだけ。
『今からお前の家に行く。だから少し待っていろ』
電話口から届けられた声にオレはただ頷いた。それから電話の切れた音を聞いて、手にしていた携帯を適当に放り投げた。こんな時間に家に来たって家族は皆寝ている。オレが出なければ真ちゃんが来たって家に入れないどころか深夜ではチャイムすら鳴らせない。
そこまで考えたところでオレは外に出た。静かに玄関を閉めるとそのまま地面に座り込む。また思考は振り出しに戻っていく。一人になった途端、色んな感情が混ざり合う。そう、オレは玄関まで来る時に気付いてしまった。
「高尾!?」
機械を通さない透き通った声が聞こえた。そのまま走って傍までやってきて、どうしたんだって心配してくれる。そんな真ちゃんにオレはいきなり抱き着いた。
「真ちゃん、真ちゃん……!!」
ただひたすら名前を連呼する。頭がぐるぐるしていてもう何が何だか分からない。なんで、どうして。目の前に居るのに。そんなことばかり考えてしまう。
混乱して訳が分からないのは最初と同じなのに、夢か現実かという疑問だけは嫌でも理解してしまった。これが現実なんだと。
「真ちゃん、オレ、こんなに近くに居るのに、すぐ傍に居るのに……!」
喋るのと同時に涙が溢れてくる。夜に騒いでら近所迷惑だっていうことなんか忘れてオレは感情のままに動いていた。
ろくに話せていないというのに真ちゃんには現状が理解出来たらしい。オレの肩に両手を置いて少し距離をあけると、震えた声が聞こえてきた。
「見えて、いないのか?」
真ちゃんの言葉にオレはただ首を縦に動かした。それから力いっぱいに抱き締められた。
オレは真ちゃんに抱き締められたまま、ずっと泣いていた。どれくらいの時間そうしていたのかも分からない。涙が収まりだした頃、真ちゃんに家に入れてくれないかって言われて家の中に入った。よく考えてみたら、ずっと外でこんなことやってたんだよな。それでオレの部屋まで移動して、オレが落ち着くまで真ちゃんは抱き締めてくれた。
「そういえば、卒業式の日もこんな感じだったね」
漸く涙が止まったところでそんなことを思い出した。あの時も今のように泣いてるオレを真ちゃんはずっと抱きしめてくれていた。馬鹿みたいに泣き続けて、それを全部受け止めてくれた。
「オレ、ダメだよな。こうなるって分かってて、それを覚悟してたのに。いざその時が来たら取り乱して、真ちゃんに迷惑を掛けて……」
「高尾、お前はその悪い癖を直せ」
癖?そう言われてもオレには何のことか分からない。だからいつものように視線を上に向けて話の続きを待つ。見えていなくてもこれまで一緒に過ごしたから分かるんだ。これがオレ達の身長差なんだって。
「迷惑を掛けられたとは思っていないのだよ。悪い方に考えて一人で抱えて他人に頼ろうとしない。それで周りが心配しているといい加減に気付け」
真ちゃん、何言ってるの?だって、オレがこんなことを言ったら心配掛けるし迷惑になるじゃん。そうならない為にも嘘で本音を隠して過ごしてきた。それが逆に周りを心配してるってどういうこと?真ちゃんもそう思ってたの?
そういえば、一人で抱え込むなっていうのはこれで三回目だ。初めはIH予選でオレが倒れた時。次は卒業式の日。それでこれが三回目。
「強がるなとも言っただろう。お前は人の話を聞いているのか」
「……聞いてるよ。最後のIHが終わった時のことだろ」
「覚えているのなら尚更性質が悪いのだよ」
これでも成績は良い方だった。記憶力もそれなりにある。いつ誰が何を言ったかなんてちゃんと覚えていることは少ないけど、ある人物においてはしっかり記憶力が働いていた。
オレの高校生活のずっと中心に居た人物――緑間真太郎。高校時代には何度も「よくそんなこと覚えているな」と言われた。そりゃ、オレにとって真ちゃんは特別だったから。覚えようとしなくても自然に記憶に残っている。
「今まで見えていたものが見えなくなる。それで取り乱してもおかしくなんてないのだよ。辛い時には辛いと言えば良い」
その辛さは全部受け止めてやる。それでも、お前が辛いと思っているほんの一部だけしか分かってやれないかもしれないが。
優しい声色が耳に届く。人間、どこかの機能が悪いとその分他の機能が働くという。目が見えないとその分を耳で補うかのように聴力が働く。オレのことを怒っているのは分かるけど、その声に心配の色が含まれているとやっと気が付いた。それでいて安心させようとしてくれているのもよく分かる。
「真ちゃん、ごめんね。本当は真ちゃんに助けて欲しかった。自分で乗り越えなくちゃいけないと思ってたんだけど、いざ現実に起こったらどうしたら良いのか分からなくなって。ダメだと思いながらも真ちゃんに電話しちゃった」
ごめんね。繰り返せば謝ることではないと否定された。逆にそういう時に頼らないでどうするんだとも言われた。人に頼ることも覚えろと。
そんなこと言われてもオレの選択肢にそんなものはなかったからしょうがないだろ。これからは選択肢の一つに追加しておくけどさ。
「これからは何かあればすぐに連絡しろ。お前が傍に居て欲しいと言うならいつでも来てやる」
「そんなこと言ったら、どうなっても知らないよ?」
「望むところなのだよ」
それを許したらオレはとことん真ちゃんに甘えると思う。それがいけないから距離を置いていたのに、真ちゃんの方から言ってきたんだからな。後から文句言っても遅いんだから。
言えば文句なんていう筈がないと返ってきた。オレが好きでやることだって。っとに、どうしてくれんだよ。今度は別の意味でまた泣きそうになる。やっぱり涙腺弱くなったな。
「真ちゃん人のこと泣かせすぎ」
「オレが泣かせているのではない。お前が溜め込んでいただけなのだよ」
そういうもんなのかな。よく分からないけど、もう怒ってはいないみたいだ。
オレの目は光を捉えることが出来なくなったけれど、この一筋の光だけはまだ残っている。初めて会った時から信じているこの光をこれからもずっと信じて進むだけ。
「安心しろ。オレは人事を尽くす」
「待ってるからね」
この先の未来が光で溢れていることを信じて。
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