ガラッという音と共に扉を開く。その音に反応するようにこちらを見たのが一人。元々この部屋には一人しか居ないのだから当たり前なのだけれど。  それから名前を呼べば漸く小さな笑みを浮かべた。




し示





「真ちゃん、仕事は?」


 近くまで移動するなりオレの方に視線を向けて話す。その目にはもう光がない。それでも高尾はオレが話し掛ければ必ずオレを見ている。本人には見えていないのだからそう錯覚しているだけだ。だが、それほどまでに自然な動作をしている。たまに本当は見えているんじゃないかとさえ思うこともあるくらいだ。勿論、絶対に口にはしないけれど。


「もう終わったのだよ」

「へぇー、それでわざわざ来てくれたんだ。ありがとね」


 そう言って見せる笑顔も何も変わらない。それが高尾和成という男だ。コイツのポーカーフェイスと達者な口に何度騙されてきただろうか。今だって無理して笑っているだろうことくらい安易に想像出来る。
 此処はとある病院の一室だ。オレは秀徳高校を卒業してから大学に通い、その大学ももう卒業した。コイツの目を治してやりたい。その一心で勉学に励み、とうとうそれが現実になろうとしていた。手術は明日に控えている。だから様子を見る為に仕事を終えて真っ直ぐに此処に来たのだ。


「不安か?」

「そうでもないぜ。だって真ちゃんでしょ? 心配する必要なんてないじゃん」


 これも信頼されているということなのだろう。オレが担当するからには失敗など有り得ない。だが、本当に今考えているのはそれだけなのだろうか。
 どちらも喋るのを止めれば途端に室内は静寂に包まれる。オレ達が一緒に居る時は、大体高尾が一人で話しているから静かになることは殆どない。つまりは、そういうことなのだろう。


「……まぁ、全く怖くないって言ったら嘘だけどさ」


 暫くしてから聞こえてきたのは、普段よりも弱弱しい声だった。先程の言葉も本心からなのだろうがこれも高尾の本心だ。
 何度も嘘を吐くな一人で抱え込むなと言って、高尾は漸く自分を取り繕うのを止めた。それが数年前、高尾が失明をした日のことだ。それからも初めのうちは遠慮がちだったが、今ではちゃんと話してくれるようになった。本人も話すことで気が楽になっているようだし、オレも本心が分かるから変に心配をしなくて済む。それを理解するまでの道のりにオレ達は何年掛けただろうか。


「でも、真ちゃんが一緒に居てくれるから大丈夫」

「…………そうか」


 高校三年間、バスケの為に使い続けてきた能力。その目が光を失ってから数年。失明をしたその時こそ動揺して不安定だったが次の日には通常運転に戻っていた。あまりにも普通に過ごしているから逆にこっちが不安になったものだが、何年も前から分かっていてその為の準備もしていたから問題ないらしい。
 一日で立ち直れるなんて凄い精神力だ。その分、あの瞬間に不安や恐怖を全部吐き出していたんだろう。それでも時には不安になることもあったようだが、ちゃんと話をしてくれたからそれを聞いてやることも出来た。そうして今日までやってきた。


「何か聞きたいことがあるなら答えるが」

「急にそんなこと言われても困るっつーか、かえって何かありそうで怖いんですケド……」

「そういう意味ではないから安心しろ」

「って言われてもなぁ。オレには難しいことなんて分かんねーもん」


 それもそうか。説明は一通りしているが、最終的に「真ちゃんに任せれば問題ないってコトでしょ?」と纏めていたぐらいだ。信頼されているのは分かるがそれで良いのだろうか。本人が良いと言っているだけに何とも言い難い。


「そういえば、前に黒子が言っていたのだよ」


 突然出てきた名前に目の前では首を傾げた。オレと黒子の関係、というよりオレ達キセキの世代の関係は見ていればすぐに分かるようなものだった。それをオレの隣で見ていた高尾は当然把握している。別に仲が悪いという程ではないが、互いに相手が苦手なのだ。


「黒子が? 何て言ってたの」

「大学生だった頃の話だが、またバスケをしようと言われた。お前も含めてな」


 黒子に会ったのはほんの偶然だ。その時に少し話をして別れ際にそんなことを言われた。黒子には借りもあったから、高尾のこともぼかしながら簡単に説明をした。その上でまた一緒にバスケをしようと言ったのだ。つまり、高尾の目が治ったらバスケをしようという意味なのだ。
 それを聞いた高尾は驚いているようだった。こう話した時点で少なからず自分に何かあることを理解して、その言葉を告げたというのも分かっているだろう。そのくらいは頭の回転が速い奴だ。


「真ちゃん、そういうのって言われた時に言うもんじゃないの?」

「言う機会がなかっただけなのだよ」

「嘘だぁ! 真ちゃんが大学生の間に何回会ってると思ってんのよ」


 会う以外にも電話などを含めれて両手分は余裕で超えているだろう。そこを指摘されてタイミングがなかっただけだと訂正をする。しかし、それもいくらでもあったと言われてしまった。もうそんな細かいことは良いだろうと強引に片付ける。


「バスケか。皆でやったら楽しそうだけど、そうなると集まるのはキセキだよな?」


 誰ととは話していなかったが、黒子が言った皆というのは高尾の言うとおり。キセキの世代のことだろう。仮に集まるとすればキセキの六人、それと各々が高校時代のメンバーから好きな人でも連れて来るのではないだろうか。黒子は間違いなく火神を連れて来るだろう。高校では二人で光と影だったのだから。そしてオレは高尾、他の奴等もそれぞれ声を掛けるとすれば結構な数になりそうだ。


「おそらくそうじゃないか」

「それって純粋に見たいんだけど。てかオレの場合、目が治っても能力使えないからその辺のプレイヤーと一緒だけど良いの?」

「お前がレギュラーになったのはその能力だけじゃないだろう。それに、オレがバスケをするのなら相棒のお前が居なくてどうするのだよ」


 すると、急に目の前の奴が静かになる。どうしたと問うと漸く我に返ったようで、小さな声で「そうだな」と頷いた。全く、何を今更な反応をしているのだ。高校三年間、秀徳でオレの相棒を務めていたのは間違いなく高尾だというのに。
 確かにその目はチームに貢献してくれた。けれど、高尾がレギュラー入りしていたのは能力だけでないことはバスケ部に居た者なら分かり切っている。そう思っていないのは本人くらいだ。オレと一緒になっていつも居残り練習をして、それだけじゃなく努力をしていたことくらい知っている。


「普段は無駄に明るいのに、どうしてそんなに卑下する。オレも他の奴等もお前のことくらい認めている」


 だって、と言いかけたがそこで止まった。ここで言い淀んだ時点で次の出てくる言葉が予想出来ない訳じゃない。まぁ自分で気が付いたのなら良いだろう。
 話を切り替えるように一呼吸おいて、また高尾は口を開いた。


「でもプロになってる奴も居るし、皆それぞれ仕事あるしで予定なんて全然合わなそうだよな。それに高校生だったのなんて何年も前だぜ? 皆バスケ出来んの?」


 ルールを覚えているのかという意味ではなく、体がついていくのかと言いたいのだろう。プロで活躍している奴等は別として、他はバスケを離れている連中だ。ブランクは当然あるがそこまでではないと思うのだが。流石に体が追い付かないという程の歳でもないだろう。
 しかし、コイツは何を想像したのか笑い出して止まらない。高校の頃から笑いのツボは浅いだろうと思っていたが、あくまでも此処は病院だ。個室とはいえ夜中なのだが。


「高尾」

「ごめんって! でもあれから十年近くも経ってんだよ? あの頃のままプレイは出来ないっしょ」

「やってみなければ分からないだろう」


 あれだけ熱心に取り組んだスポーツなのだから体の方は覚えていると思う。けれど、高校生だった頃の身体能力と比べれば、落ちているのも当然で仕方がないだろう。とはいえ、まだそこまで身体能力は下がっていない。いざバスケをやってみたしても意外と動けるものだという感想を持つ方だろう。


「そうだ、真ちゃん。まだシュート範囲はコート全てなの?」

「高校を卒業してからやっていないのだから分かる訳がないだろう。だが、人事を尽くしているオレのシュートは外れないのだよ」


 実際はやってみないと分からない。けれど、人事を尽くせば出来ないこともないだろう。言えば真ちゃんらしいなんて言いながら、また高尾が肩を震わせている。
 一体いつまで笑っているつもりなのだろうか。さっき注意されたことなんて忘れているのだろう。思わず溜め息が零れる。暗くなられるよりは笑っている方が良いとは思うが。それにしたって限度がある。けれど、今日くらいは見逃してやろう。


「じゃあ、オレの目が治ったら3P見せてよ」


 やっと落ち着いてきたらしい高尾が色素の薄い瞳を向ける。どうしてこんなそれらしい仕草が出来るのだろうと思うが、聞いたところでなんとなくとしか返ってこないのは知っている。聞くだけ無駄だということは分かっているのだ。


「分かった。その為にも、さっさと寝ろ」

「えー? 真ちゃんが来てくれると思ってたから起きてたのに」


 この時間なのに寝転がるでもなく起きていたのはそんな理由があったからか。仕事が終わったら来るつもりではいたが、そのことを話してはいなかったと思う。オレが来なかったらどうするつもりだったんだ。思わず尋ねれば、柔らかな笑みを浮かべた。


「どうするもなにも、真ちゃんは来てくれたじゃん」


 だからそんなことは考えるだけ無駄だと高尾は話した。あまりに当然のように話すものだからこっちが呆気にとられた。その間にも「どうしたの?」なんて言っていて、コイツは見えていないのにどうやって状況を理解しているのだと言いたい。
 声に出していないというのに人の様子を理解するのが上手いのだ。前から色んなことによく気が付いていたが、それは視界から得られる情報だけで判断していたのではなさそうだ。初めから高尾自身が身に付けているもう一つの能力だろう。人付き合いが上手くコミュニケーション能力が高い、鷹の目とは違った能力だ。


「何でもない。それよりもう寝ろと言っているだろう。オレも戻るのだよ」


 このままではいつまで経っても寝そうにない。オレがこの場から離れればいい加減に寝るだろう。そう結論付けて椅子から立ち上がる。だが、歩き出そうとしたところで腕の裾が引かれるのに気付いた。


「もうちょっとだけ、いてくんない?」


 もはや、見えていないからそんなことが出来るんじゃないかとも思った。嘘も吐かず隠し事もせず、偽りなく話すようになったからでもあるのだろうけれど。上目遣いでそんなことを言われて、そのまま立ち去ることなんて真似は出来なかった。


「……あと少しだけだからな」


 その言葉を聞いた高尾が「ありがと」と笑うのを見ながら、オレも随分甘やかしているなと思う。それもおそらく今だけだろう。不安があるから、見えないからこその行動なのだから。
 こんな姿が見られるのは今だけかもしれない。視力が戻ったらまた強がるなと教える羽目にならなければ良いが。
 そんなことを考えながら夜の時を過ごす。