少しずつ温かくなり桜の木には蕾が膨らみ始めた。三月一日、秀徳高校卒業式。
校歌を歌い、卒業証書が授与される。それから校長や理事長、来賓の挨拶。そういったものが終わって送辞と答辞が行われる。その後は卒業生の合唱と在校生の合唱が順にやった後は卒業生が退場。
今日、この日。三年生の先輩達はここ、秀徳高校を卒業していく。
「先輩達が引退して卒業まですぐだったよな」
ウィンターカップが終わったと同時に引退した先輩達。こないだ引退したばかりなのにもう卒業だ。元々数ヶ月しかないんだから当たり前といえばそうだ。
けど、この一年を振り返ってみるとなんだかあっという間だった気がする。オレ達が入学してからあとひと月で一年が経つなんて。
「ロッカーも綺麗に片付けちゃってさ」
「片付けなければ新入生が困るだろう」
「まぁね。でもさ、ロッカーのネームプレートもなくなったのを見ると本当に終わりなんだって気がするだろ」
三年生達が使っていたロッカーに手を触れる。つい数ヶ月前まであった名前は何もない。開ければ中身も空っぽで、あの人達がここを使うことはもうないんだなと実感させられる。
「先輩が引退した時も寂しかったけど、会えないワケじゃなかったじゃん?」
これまでに比べれば会う回数は減るけれど、それでも校舎で擦れ違うこともあったし部活に顔を出してくれることもあった。少し距離は離れてしまったとはいえすぐに会える距離に居た。
だけど、卒業をしたらそう簡単には会えなくなる。卒業生だから学校に来ることは出来るものの、先輩達だって大学生活がある。学校以外で連絡を取り合うにしたってこの数ヶ月以上に会えなくなるのは確かだ。
そんなことは当たり前で、自分が卒業する先輩を見送ったことなんて中学の時にもした。でも、何度経験しても寂しいと感じてしまうものだ。
「今日で、本当にお別れなんだよな」
一生の別れではないのに大袈裟だって思うかもしれない。それだけ、あの人達はオレ達に色んなものを残してくれたんだ。
練習は厳しいし、しょっちゅう物騒な言葉は飛んでくるし。辛かったり怖かったりもしたけど、楽しくて笑い合っていた思い出も沢山ある。そんな先輩に出会えたっていうのは、幸せなことなんだろう。
「先輩達と一緒にバスケ出来て良かったな」
「…………そうだな」
今頃先輩達は最後のホームルームをやっているんだろうか。クラスメイトやチームメイト、友達と最後の記念に写真を撮ったりして。高校生活最後の時間を満喫しているんだろう。
オレ達在校生は卒業式が終わればもう下校だ。先輩に会うために残っている人もいるだろうけど、今日は部活もない。同じバスケ部員達は先輩達のところに行っていると思う。そういう話になっていたから。勿論、オレ達もバスケ部員だからその中に含まれている。現在進行形でその約束をすっぽかしているけど。
「その先輩達を見送りに行かなくて良いの?」
「お前にだけは言われたくないのだよ」
「まぁ、そうだな」
見送りがしたくないという訳ではない。最後なんだからちゃんと送り出すべきなんだってことも分かっている。分かっていて、オレ達は卒業式が終わってそのまま部室に来た。
別に忘れ物があった訳でもないし、部活のことで何かしなければいけないこともない。校舎は三年生と保護者でいっぱいだろうから自然とこちらに足が向いた。
どうしてここに来たのかって?
見送る気があるなら今からでも他の部員と合流すれば良いっていうだろ。それをしないのは、今先輩達に会ったら笑顔で送り出すことが出来ないと思ったから。先輩達に会って泣かない自信がない。だから二人してここに来た。
「次の部活で怒られっかな、やっぱ」
「それはそうだろうな」
下手な言い訳をするよりも大人しく怒られた方が良い。今も携帯のディスプレイにはメールの着信を知らせるアイコンが光っている。あ、電話も掛かってきてたみたいだ。どっちにしろ出るつもりもなければ返信するつもりもないけど。
部室なんて分かり易い場所に居るから見つかりそうな気もするけど、体育館が使えなかったからここぐらいしかなかったんだ。
それならいっそ帰ってしまえば良いんじゃないかって思うかもしれないが、その選択は最初からなかった。先輩達に会わないにしても式が終わってすぐに返る気なんて起らなかったんだ。
最後だから。そう思って帰ることも出来ず、校舎以外の使える場所で部室を選んだ。
「またいつかさ、先輩達とバスケが出来る日が来たら良いな」
「……そう思うなら先輩が卒業する日に隠れることはねーんじゃねぇの?」
聞こえてきた声にオレ達は一斉にそちらを振り向いた。そこには、今日この学校を卒業する先輩達の姿。
何で先輩達が。
言い切るよりも前に部室へ入ってきた先輩にデコピンをされた。然程痛くもないそれに反射で「いてっ」と漏らせば「痛い訳がないだろ。もう一発いるか?」なんて返されて慌ててとりあえずすみませんと謝った。
「何なのお前等マジでさ。他の部員がお前等探してたけど」
「あー……えっと、その、すみません。でも、それと先輩達がここに居るのって何か関係あるんですか?」
「関係あるからここに居るんだろ。お前等が居ないからって一緒に探してる最中なんだけど、高尾クン?」
怒気の含まれた声に「すみませんでした」と謝罪を繰り返す。そんなオレ達を見ていた大坪さんが「その辺にしておいてやれ」と間に入ってくれたお蔭で一先ずこの場は収まった。
先輩達はいつもと変わらない。そりゃそうだよな。今日で卒業という以外は何も変わらないのだから。
でも、今ここでどうすれば良いのかが分からずにオレ達はお互い視線を交えてから先輩達を見た。どうしてここに居たのかを説明するべきなのかもしれないが、説明するにしても話せることがない。とりあえず先輩の次の言葉を待つ。
そんなオレ達に宮地さんは溜め息を一つ。大坪さんはお前達を探しに来ただけだぞと改めて説明し、別に怒ってる訳ではないと木村さんも続けた。
それで結局お前等がここに居た理由は、と尋ねたのは宮地さん。やはりきたその質問にオレ達はどうしようか考えつつ、何も答えない訳にもいかないから思いつく限りの言葉を並べた。
「ちょっと部室に用があって」
「それは今すぐに必要なことなのか?」
「必要じゃなかったら来ませんよ」
「へぇ? で、その用事って何だったんだ?」
どうにかやり過ごせないかと思ったけれど無理だった。このままだといつまでも似たようなやり取りのループをして、最終的にこっちが負けるパターンだ。そもそも先輩相手に口で勝とうとするのが無理な話だった。最終的に先輩命令だなんて言われるオチが見える。
というか、先輩達。こんなところにいつまでも居て良いんだろうか。今日で卒業なんだからもっと友達との思い出を作ったりとかした方が良いんじゃないのか。今日で最後なんだから、当たり前にあったこんなやり取りも今日で最後で。
「…………だって」
「あ?」
「だって、先輩達。今日で卒業しちゃうじゃないですか」
話すことは避けて通れないと悟った。
だから本当のことを言う。
何の為に部員との約束を破ってここに居たのかって、先輩達に会ったら泣いてしまうと思ったからだ。もう一生会えなくなる訳じゃないにしても、先輩達は今日で卒業してしまう。
それは誰もが通る道で、いずれはオレ達もこの学校を卒業するんだろうけど。それでも、先輩達が居なくなってしまうのは寂しい。笑顔で送り出すなんて出来ないから、最後の会う機会を自ら潰したというのに。
まさか先輩達の方からやってくるなんて思わなかった。先輩達に会って、閉じ込めようとした感情が溢れる。
「……先輩、部活ではお世話になりました」
頬を涙が伝う。そんなオレを見た緑間が代わりに言葉を繋いだ。
本当は会って伝えなければいけなかった言葉。ここでちゃんと言葉という形にしておかなければいけない感謝の気持ち。伝えたいことはいっぱいあるけれど、それらを全部この言葉に乗せて紡いでいく。
「秀徳で先輩達とバスケが出来て良かったです」
「先輩達とするバスケ、楽しかったです」
もっと沢山一緒にバスケをしたかった。ここで大会の時のことを謝っても仕方がないから、オレ達必ず優勝しますからとウィンターカップの後でした約束を繰り返した。
オレ達なら出来ると信じてくれている先輩の期待に応えられるようにもっと練習して、オレ達が秀徳通っている間に必ず。
「今までありがとうございました」
なんとか伝えるべきことは伝えられた。オレは涙が止まらないし、緑間も泣いてこそいないものの目には薄らと涙が滲んでいた。
そんなオレ達の言葉を先輩達は静かに聞いていた。それから数秒の間が開いた後に、乱暴に頭を撫でられる。
「ったく、そういうのは会って言うモンだろ。オレ達が来なかったら言わないつもりだったのかよ、轢くぞ」
「オレ達もお前達とバスケが出来て良かった。ありがとうな」
「優勝したらちゃんと報告に来いよ。その時は祝ってやるからよ」
おら、いつまで泣いてんだよと怒られる。いや、怒ってはいないだろう。その声はとても柔らかかったから。
これから二年。お前達が秀徳の中心になるんだ。お前等がちゃんとしないと駄目だろう、と先輩は話した。
オレ達が秀徳に入った頃。
キセキの世代が入ってきたからこの三年間はソイツ中心だろうという話があった。実際、緑間の実力は確かで緑間中心のバスケをしてきた。だけどインターハイが終わってから少しだけ変わって、緑間を中心としたチームプレイがウチのスタイルになっていた。
ただ一人に頼るのではなくみんなで力を合わせて戦う。広い視野はその様子を四月から今まで見てきた。パスを出して、パスを貰って。キセキの世代が中心になったんじゃない、エースを中心にチームで戦っているだけだ。そして、そのエースの相棒として先輩はオレを認めてくれた。
「大丈夫っすよ。真ちゃんのことはオレが見ますんで」
「お前に面倒を見られる筋合いはないのだよ」
「あんだけ高尾のことパシッといてよく言えるな」
「必要なことを頼んだだけです」
「いや、頼んだとは言わねーだろアレ」
さっきまでのしんみりとした雰囲気はどこに行ったのか。いつも通りの先輩達につられるようにいつものノリに戻っていく。
高尾が緑間の面倒を見るのなら、高尾の面倒を見るのは緑間だななんて大坪さんが言い出して。それならお互い様で丁度良いなとかいう変な方向に話が進むのを止めようにも、緑間まで分かりましたとか言っちゃうし。それでもオレに面倒を見られるつもりはないらしいが、オレだってお前に面倒をみられるつもりはない。
そんなオレ達に仲が良いなと先輩が笑い、別に良くないですと否定する緑間をオレが否定して。そりゃオレと真ちゃんの仲なんでと茶化せば五月蝿いと怒られて、つられるように笑った。
「他の部員も待ってるんだからいい加減行くぞ」
「はーい」
こうしてオレ達は部室を後にすると残りの部員達と合流した。お前らどこに居たんだよと言われたのを適当に誤魔化して、この一年一緒に戦ってきた仲間達と最後の時間を過ごす。
先輩、今までありがとうございました。先輩には色んなことを教わって、本当にお世話になりました。卒業、おめでとうございます。
また先輩達とバスケが出来る日を楽しみにしています。
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