三年の先輩が卒業して、オレ達も学年が一つ上がった。最後の学年末テストも無事に終了し春休みも部活の毎日。気が付けば桜が咲き始めた四月。
 学校が始まり、バスケ部にも新入部員が何十人も入ってきた。一年前のオレ達のように強豪の厳しい練習に苦戦させられながら毎日の練習に必死に付いてきている。当時は家に帰るなりすぐ寝ていたななんて思いながらオレ達も練習をし、終わった後はいつも通り居残り練習。
 去年はチームメイト兼クラスメイトでもあったオレと緑間。始業式で発表されたクラス替えでもまた同じになり、今年もまたチームメイト兼クラスメイトとして時間を共にしていくこととなった。


「春といえばお花見だよな」


 黙々とシュートを打っている男に向けて、ほぼ独り言状態で話をする。お花見というよりは桜の方が正しいだろうか。結論が同じならどっちでも良いか。
 ともかく、せっかく日本の風物詩である桜が咲いているのだから見に行かなければ損だ。毎日登下校をする時にも見ているとしてもそういうことではない。既に満開は過ぎて散り始めているもののまだ間に合う。


「たまにはゆっくり桜を見るのも良いんじゃない? この時期にしか見れないんだからさ」


 そんなことをしている暇があるのならシュートの一本でも撃つ。
 とは言われてないけれど、暗に言われている気がする。こっちの話なんて全然聞かずにシュート練習を続けているんだもんな。いつものことだけど。オレもそれが分かっていて勝手に話している。

 これでも一年前よりは進歩しているのだ。状況は一年前と全く変わっていないけれど、そこは気にしてはいけない。
 練習中だからこうだけど、一年間付き合ってそれなりに親しくはなった。いつからか部活でもクラスでもニコイチ扱いにされている。っていうのは主にオレのせいかもしれないけど、昼飯の時に先生に呼ばれて先食べてて良いって言ったのに待っててくれたりするから一方通行ではなくなっていると思う。


「ねぇ真ちゃん。お花見行こうよ」

「行きたければ一人で行け」


 漸く反応を見せたかと思えばはっきりと断られた。やっぱり花見よりバスケか。
 別に一日がかりで花見をしようとは言ってないんだけどな。帰りにちょっと公園にでも寄って花見をしようと言っているだけ。オレだって一日お花見に時間を費やすくらいなら練習に充てる。

 桜を見るのは何も昼ばかりではない。夜桜という言葉もあるように夜に見る桜もそれは風流だ。去年は落ち着いて見る時間もなかったし、と言ってみるがあまり効果はないか。
 ぶっちゃけ、去年も一昨年も部活があってゆっくり見ることなんてなかった。登下校の時に少し立ち止まって見る程度で、ちゃんとお花見をしたのは小学生だった頃な気がする。


「真ちゃんは前にお花見したのいつ?」


 自分の中で生まれた疑問をそのまま緑間に回す。シュッ、と放たれたシュートは綺麗な弧を描いてネットを潜った。何度見てもこのループの高さには感心する。しかもコート上のどこからでも撃てるなんて常識外れにも程がある。百発百中、全てのボールはリングへと吸い込まれていく。
 このシュートをどう活かしてプレイするか。冬は今の三年生と新しい形で練習をしてきたけれど、春になって一年生も入ってきた。五月の予選が始まる頃にはレギュラーも発表される。そのメンバーの中でコイツをどういう風に……。


「おい」


 不意に聞こえた声に顔を上げれば、不機嫌そうな緑間と目が合った。どうやらシュートは一旦止めたらしい。まだノルマの本数は撃ち終えていない筈だから、オレが話し続けるのに諦めたといったところか。
 呼び掛けておいて何も言わない目の前の男に、とりあえず「前にいつお花見したか思い出したの?」なんて聞いてみたら溜め息を吐かれた。
 全くお前は何なのだよ、ってそっちこそ何なのだよ。言えば真似をするなと怒られた。でも本当に何だというのか。


「急に静かになっただろう。どうかしたのか」


 その言葉で漸く意味を理解した。別に言うほど黙ってた訳じゃないと思うけど、さっきまで五月蝿かった奴が静かになって気になったということらしい。

 どうしたも何も、お前が黙々とシュートばっかり撃ってオレの質問にも答えないからついバスケのことを考え出しただけだ。深い意味は何もない。
 そのシュートをどうすれば活かしてやれるかなんて、高校に入ってからよく考えている。緑間のことに限らず、このチームでどういうスタイルが良いかと戦術を考えるのはポイントガードとしての性分だ。

 何でそれを今、といえばそのシュートを見ていたから以外の理由はない。バスケ部なんて四六時中バスケのことばかり考えている連中は幾らでも居るだろ。オレ然り緑間然り、それだけのこと。


「お前のシュートに見惚れてただけだよ。ってかさ、そこ気にするならオレの質問に答えてくれても良いだろ」

「…………中学の時だ」


 それがさっきの質問の答えであるということはすぐに気付いた。いかにも答えたくないといった雰囲気で、しつこいから答えたとでも言いたげな感じだ。
 実際そうなんだろう。答えたくなかった訳はお花見で何かがあったからなのか。追及してみたものの返事はない。なぁ、と先を促して漸く答えてくれた。同時に答えようとしなかった理由も分かった。


「桜が綺麗だという話をしていたら、それなら花見でもするかと赤司が言い出したんだ」

「それで?」

「……練習が終わってから付き合わされたのだよ」


 あーそれは言いたくないわな。それ聞いたらオレがなんて言うか予想出来てたんだろう。勿論、オレはその予想通りの言葉を口にする。


「それなら良いじゃん。お花見行こうよ」


 だから言いたくなかったんだという風に本日二度目の溜め息が零れた。中学の時だって付き合わされたのであって行きたかったのではないということらしい。それでも行ったことには変わりないんだし、ちょっとくらい良いじゃないか。オレだってお花見がしたいのだ。
 それとも、キセキの連中は良くてオレは駄目な理由でもあるの?なーんて、流石に言わないけど。単純に緑間が別段お花見をしたいと思わないだけだろう。


「帰りにちょっとくらい良いだろ」

「花見をする時間を宿題にでも使った方が良いだろう」


 そんなことはないと思うけどな。
 ……って、宿題って何かあったっけとすぐさま聞き返す。この間までの春休みの宿題なら提出も終わってるけど、他に何か出てただろうか。それっぽいものをした覚えがないから、もし宿題があったとすればほぼ確実にやっていない。
 昨日の授業で、と言われた瞬間に思い出した。ああやってないと。いやでも、あれくらいなら家に帰ってからでも。なんだったら休み時間でも使えば何とかなる。授業中に配られたプリントを埋めるだけだしな。新学期早々から宿題とか嫌だよな。宿題はいつだって嫌だけども。


「でも真ちゃんは終わってるだろ?」

「当然だ」

「なら行こうよ。今行かなかったら来年だぜ」

「なぜ今年行かなかったら来年は行くような言い回しなのだよ」

「今年行かなかったら来年行くからに決まってんだろ」


 とはいっても、緑間が行かないと言えば今年も来年も行かずに終わるんだろう。一人で行けば良いって言われてもそれはなんか寂しい。
 お花見をするなら誰かと一緒の方が楽しいに決まってる。大人数で騒ぐのも良いけど、そういうのはそれこそ一日がかりでのお花見だろう。それも悪くはないけど、少なくとも卒業するまではないんだろうな。

 さてと、強引に誘ってはみたけどどうだろうか。これで駄目なら仕方ない。お花見はしたいけど、何が何でもしたいとかいう話ではないから。今年は無理でもいつか機会はあるだろうし。
 そう考えていたところで三回目の溜め息。そんなに溜め息ばっかり吐いてると幸せが逃げるぜと忠告したら誰のせいだと言われた。オレのせいだって言いたいのか。この状況ではそれ以外に有り得ないけど、そんなに溜め息を吐くようなことを言ったつもりはないんだけどな。


「行けば良いのだろう」


 ただし、練習を終えてからだと緑間は答えた。じゃあ今日の帰りはお花見だなと口にすると、その代わりお前が自転車を漕げと条件を言い渡された。はいはい分かりましたよと返事をしつつ、これまで一度だって漕いで貰ったことないけどと心の中で呟いた。声に出してやっぱり止めるなんて言われたくないし。
 去年の四月。誠凛と海常の練習試合を見に行く時からの移動手段であるリアカー。ジャンケンで負けた方が漕ぐという約束になっているが、オレ達はそれぞれ連勝記録と連敗記録を更新中だ。毎回今日こそは勝つという意気込みでいくんだけど未だに勝てたことはない。いつか絶対負かせてやりたい。ジャンケンって運じゃないのかって思うけど、勝てないんだよな。これもおは朝の加護だったりして。

 それからいつも通りに居残り練習をして、すっかり辺りは暗くなったころにボールを片付け始める。少し早めに終わらせてという考えはどちらにもなく、残れる時間は全部バスケに使った。
 部室で着替えて自転車置き場でジャンケンなしでリアカーに乗る。向かう先は桜の木がある公園。ここからそう遠くないところにあるちょっとしたお花見スポットだ。桜が並んで咲いているから近所の人は見に来るというような場所だけど、学校帰りに寄るには丁度良いだろう。


「まだ結構咲いてるな」


 数日前に満開だとテレビで聞いたけれど、思ったよりも桜の花は綺麗に咲き誇っていた。ひらひらと花弁が舞い落ち、暗い夜の中には桜の白さが映える。前に花見をした時は昼だったからなんだか新鮮だ。登下校の時に通り掛けの桜は見ているけれど、こうしてじっくり見るとまた違うものだ。


「昼の桜も良いけど、夜桜も綺麗だな」


 桜の花がキラキラと光っているように明るい。とても幻想的な雰囲気だ。さっき通ってきた町中とは全く違う空間。まるでここだけ切り取られているかのよう。
 写真では見たことがあったけれど、こういうものは実際に見るのとでは全然違うものだ。写真を見て綺麗という感想を抱くだろうが、この目で見てみるとたったそれだけの感想ではなくなる。あまりの美しさに感動する。


「キセキと来た時は何か食べたりとかしたの?」

「練習帰りだから見ただけだ。どうせなら屋台のある場所にすれば良かったのにと五月蝿いのも居たが」


 キセキの世代と呼ばれている面子を思い出してなんとなく想像が出来る。でも屋台なんてあるのは有名な場所くらいなものだろう。
 桜よりもそっちに興味があった奴が居たんだろうな。花見は桜を楽しむものだけど、そういう考えはなかったんだろう。つまり花より団子だったんだな。


「真ちゃんは花よりお汁粉?」

「お汁粉はあっても良いと思うが、桜を見に来たんだろう」

「だな。これはやっぱ見なきゃ損だろ」


 部活ばかりで花見をすることなく過ごしてきた数年だが、こうして見ると花見は良いものだと感じる。日本の風物詩といわれるだけのことはある。毎年この花を見ることに多くの人が時間を割くのも納得だ。こんなに綺麗なものを見ないで過ごすなんて勿体ない。
 今年行かなかったら来年行こうという話を体育館ではしたけれど、時間があれば毎年見に行っても良いかもしれない。


「来年も、って言ったら断る?」


 夜の桜を見上げながらぽつりと呟くように言の葉を落とした。今年行ったら来年はなしだとは言っていないけれど、わざわざ見に行きたいと思わないのであれば付き合わせるのも悪い。緑間以外の誰かを誘って行くのも有りだけど、来年もまた一緒に見に行きたいなとなんとなく思った。ただなんとなく。


「お前がリアカーを漕ぐのなら、付き合ってやらんこともないのだよ」


 隣から聞こえた返事に視線もそちらへと向ける。すると、同じくこちらを見た翠の瞳と目が合った。
 澄んだ翡翠に艶のあるさらさらな緑。整った容姿をしているこの男はやはり美人だ。コイツも桜のように綺麗なものを沢山持っている。それは眩しいくらいにキラキラしているんだ。空高くに上るあの光は緑間にしか作れない。ここには輝くように光るものばかりだ。


「真ちゃんは桜も似合いそうだな」


 綺麗なものと綺麗なものが合わされば、とても綺麗なものになるんだろう。そんな単純なことを思った。なんでも良いものを合わせれば良いって訳じゃないけど、綺麗なんだろうなって。
 まず百九十五の男に桜ってどうなんだって話だけど。やってみれば悪くはないと思う。


「何を馬鹿なことを言っているのだよ」

「えー? これでもマジだったんだけどな」


 大体桜なら、と言いかけて緑間は口を閉ざした。
 桜ならの後に続く筈だった言葉は何だったのか。これだけのヒントではその先に続く言葉を予想するのは難しい。

 桜なら?桜、サクラ……。
 そういうのは女の子に対して言えとか?桜なら自分より女の子の方が似合う的な。なんかそれっぽくなった気がするけど、これで合っているんだろうか。他に考えられそうなのは、桜ならソメイヨシノよりシダレザクラの方が良いとか……ないな。それっぽくてもこれはないだろ。
 いや、緑間なら有り得るか?有り得ない、よな。ここで桜の種類の問題とか出されても困る。名前を言われたってよく分からないし。


「桜なら何?」

「……何でもない」

「中途半端に言われると気になるんだけど」

「忘れろ」


 これは意地でも言わないつもりか。だけどオレだって気になる。なぁとしつこく聞けば、絶対でない限り折れてくれるだろうとその先の言葉を求める。
 似たようなやり取りを繰り返しながらそろそろ一桁を超えるだろう数に到達しようとした頃。あまりのしつこさに折れた緑間は投げやりに言った。


「桜ならお前の方が似合うと思っただけだ」


 言うだけ言って「もう帰るぞ」と踵を返した。こちらに何を言う間も与えずにさっさと行ってしまう緑間をオレは待てよと言いながらとりあえず追い掛ける。

 てっきり男に対して言うのではなく女に対して言えとかそういう感じの話だと思ったのに、近いにしても三角で点数が貰えるような内容ではなかったんだけど。予想外過ぎる緑間の言葉に疑問こそ出て来るものの何から言えば良いのか分からない。
 しかもコイツ、自分のペースでどんどん歩いてくれるからこっちは度々小走りになる。元のコンパスの長さが違うんだからお互いが合わせようとしなければ普通に歩けば差が開く。普通というより若干早足にもなっている気がするけど。


「そんなに急いだって漕ぐのオレだろ!」

「ならもっと早く歩け」

「歩くどころか走ってんだけど!」


 夜なのもお構いなしに騒ぎながら歩いて行く。途中、近所迷惑だろうと言われたがそれはお前も同じだと言い返しておいた。さっきまでの空間が嘘みたいに、そこに広がるのはいつもと何ら変わりのない世界だ。
 自転車を止めていた場所まで戻るとジャンケンなしでリアカーに乗り込む。それは約束だから良いんだけど、ああもう気にしないでおこうか。きっと桜に酔っていたんだろう、お互いに。そうじゃなければ男同士であんなことを言い出さない。女の子とならまだしも、どうして男子高校生が二人でお前の方が桜似合いそうだななんて話さなければならないんだ。緑間が女の子にそういう姿とか想像出来ないけどな。


「安全運転をするのだよ」

「言われなくてもしてるっつーの」


 こうしてオレ達はまた日常に戻っていく。家に帰って寝て起きたらまた自転車を漕いでウチのエース様を迎えに行く。桜の幻想はもう終わりだ。

 だけど、付き合ってくれるというのならまた来年も行こうか。
 あの綺麗な桜の花を見に。