それでも、心のどこかでは思っていたのかもしれない。緑間が、キセキの世代が居て負ける筈がないと。練習中も試合でもその実力を見て、コイツが居れば勝てると思っていたのかもしれない。
 六月、インターハイ予選Aブロック決勝。相手は新設校誠凛、キセキの世代幻の六人目と呼ばれている黒子と同じく一年エースの火神が居る学校。正直誠凛がここまで勝ち上がって来るとは思わなかったが、負ける気もなかった。

 何より、負けたくなかった。誠凛に、黒子に。
 黒子はオレと同じ、同じパスを生業とした選手。キセキの世代と呼ばれる他の五人とは違うといえど、その五人に認められているソイツはパス以外は何も出来ない。更にオレの鷹の目に黒子のミスディレクションは効かない。

 正直、負ける訳がないと思っていた。コイツには勝てるって、絶対に勝つんだって。
 だけど、オレ達は負けた。この夏、秀徳はインターハイ予選敗退という結果に終わったのだ。


(キセキの世代も負けるんだな)


 どこか他人ごとに思いながら会場内を歩く。というのも、試合が終わって緑間が控え室を出てったきり戻って来ないからだ。負けた試合の後の控え室は、悔しさや悲しさ、そういうものが混ざった特有の雰囲気に包まれていた。涙を流す先輩の姿を見て、オレは泣くこともせずに緑間を探しに出た。
 泣かなかったというよりは、泣いてはいけなかったともいえる。一年だからというのもあるが、この試合に負けた理由の一端が自分にあると分かっているから。

 ポイントガードはチームの司令塔。
 その司令塔が冷静さを失いまともな判断が出来なくなればゲームは崩れる。この試合でオレは勝つ為にきちんとゲームメイクが出来ていたのか。
 思い返せばすぐに分かることだ。オレは自分のことしか見えていなかった。王者と呼ばれる秀徳が予選敗退なんていう結果を残してしまったのはオレの責任だ。


(緑間よりも自分のことを先に考えるべきか)


 そう思いながらもオレは緑間を探す。緑間を見つけなければ帰ることも出来ないんだ。自分で探しに行かなくても先輩に探して来いと言われただろう。反省するべき点は幾つもあるけれど、とにかく今は緑間を見つけることが先決だ。

 しかし、会場内をぐるりと回ってみたけれどその姿は見つからない。鞄は控え室に置いてあったのだから帰っては居ない筈だ。必ずこの会場のどこかに居る。けど、あと見ていないところはどこだ。
 あれだけの長身だから目立つと思うんだけどと歩きながら窓の外に視線を向けると、空は暗く雨がザーザーと降り注いでいた。そういえば今日は天気が悪くなるって予報だったっけ。早く見つけて帰らないとと考えながら、まさかとは思いながらも通り過ぎかけていた窓をもう一度見た。


(まさかこの天気で外に居るワケない、よな……?)


 一度よぎった考えにオレはそのまま会場の外へと向かった。会場の中に居ると思っていたけれど一通り探して見つからなかったんだ。普通に考えてこの天気で外に居るなんて有り得ないけれど、残っているのは外ぐらいのものだった。
 室内だということも忘れて走って外に出て、視界に映る雨にこれはないと思った。だけど、念の為に一周はしておこうと思い歩き出すこと数分。


「緑間…………」


 雨の中、傘も差さずに立っているエースの姿を見つけた。雨に打たれながら、お前は泣いているのか。
 そういえば、キセキの世代は今まで負けたことがなかったんだっけ。百戦百勝、勝つことが全てでありキセキの世代は全中三連覇を成し遂げた。一度も負けたことがないなんて有り得ないと思うかもしれないけれど、キセキの世代というのはそういう連中だった。

 高校に進学してバラバラの学校に進学して、それでも負けなかったし負けることはないと思ってた。
 でも今日は誠凛に負けた。緑間にとっては、バスケで初めての敗北なんだろう。


(オレは、先輩もコイツも勝たせてやれなかったんだな)


 人は負けて初めて知ることがある。お前もそれを知ったんだろうか。オレや他の部員、バスケをやっている殆どの人間が経験している敗北を得て。帝光に大差をつけられた者達の気持ちまでは分からないかもしれないが、負けるというのがどういうものなのか分かっただろう。
 これが負けるということ。お前は今、何を考えてる。悲しい?信じられない?漸くオレ達の気持ちを理解しただろ。きっと一番大きい割合を占めているのは、悔しさだ。負けたら悔しいのなんて当たり前で、だから勝つ為にひたすら練習をするんだ。いつかリベンジをする為に。


(同じ地区の誠凛とはこの先何度も当たる。次は黒子に、いや、誠凛に勝つ)


 次に当たるのは冬。その為にもレギュラー落ちをしないように今以上に練習して、もっと強くなるんだ。チームの司令塔として、仲間達と勝つ為にも。鷹の目だけじゃなく、緑間がエースだからでもなく、オレ自身がレギュラーとして認められるように。
 心の内だけでそう決意し、オレは一人で雨の中に立つエースの元へ歩いて行く。一体いつからここに居たんだろう。冷たい雨の中でたった一人。チームメイト達の前から居なくなってからずっとだろうか。


「真ちゃん、こんなトコに居たら風邪引くぜ」


 少し離れた位置から声を掛ける。ああ、やっぱり泣いていたんだななんて思いながら。オレの声に反応した緑間はこちらを振り向いて、僅かに目を開いた。


「…………高尾」

「とりあえず中入ろうぜ。風邪引いたら大変だろ」


 言いながら掴んだ腕は冷え切っていた。これは冗談じゃなく風邪を引きかねない。本当何やってんだよ。体調管理にも人事を尽くさないとだろ。今はそんなこと考えている余裕もないのかもしれないけど。
 とりあえずこれ以上こんな雨の中に居るべきではない。一先ず室内に入ろうとその腕を引いたのだが、緑間に動く気配がないことがすぐに分かった。仕方なく緑間を振り返って中に行こうと声を掛けるものの反応はなし。これなら一度控え室に戻って傘を持ってくるんだったなと思いながら、せめて雨のない場所へ移動しようとしたんだけど。


「高尾」


 普段は命令口調で強気なそれが今は弱弱しい。ああ、コイツもやっと負けたんだ。バスケで負けるということを初めて知って、コイツも何かしら思うことがあって。
 でもそれはお前一人だけのせいじゃないんだって、言ってやれれば良いのに。上手く言葉が出てこない。喋るのは得意な筈なんだけど、オレにとっても緑間とこのチームで負けたことがそれだけ大きかったんだ。それでもいつも通りにしなくちゃいけないんだって思考が働く。


「早く戻んないとみんな帰っちまうぜ。先輩達に怒られる前に戻ろ?」


 もう探し始めてから結構時間が経っているから怒られるのは決定事項かもしれない。けど、今オレがやるべきなのは目の前のエースを室内まで連れ戻すことだ。
 それは多分、オレにしか出来ないから。背負っていたものの大きさは天と地ほどの差があるだろうけれど、同じ一年レギュラーとして試合に出たんだ。お前の考えてることなんて全然分からないけど、少なからずオレ達は同じ気持ちを抱いている。


「負けたなら次勝てば良いだろ。リベンジって言葉もあるんだしさ」


 高校バスケで頂点に立てるのはたった一校だけだ。その一校になる為にどの学校も全力でぶつかり合う。今年はキセキの世代が全員違う学校に進学したから、上位はキセキの世代同士のぶつかり合いになるんじゃないかとも噂されている。バラバラの学校に行っても一人一人の実力が違いすぎるんだ。そして、優勝出来るのはその中の一人だけ。
 遅かれ早かれ、キセキの世代とやり合って負けていたのかもしれない。負ける気なんてさらさらないけれど、アイツ等の中でも一人しか勝てないんだ。東の王者が予選敗退なんて結果に終わってしまったが、それは次に繋げれば良い。
 いや、次に繋げていくんだ。負けて終わりなんて嫌に決まってる。


「次は勝とう。オレももっと強くなるから」


 お前と、先輩達と勝てるように。今日の敗北を胸に刻んで強くなる。お前だけに頼るんじゃない、このチームで試合に勝つゲームメイクをするんだ。
 今回負けて分かったことがあるのはオレも同じ。これまで緑間に頼り切っていたこと、緑間が居れば負ける訳がないと信じていたことを思い知った。それでは駄目だ。オレ達はチームで戦っているんだから。
 それを負けて気付かされるなんてオレは自分が思っている以上に緑間を頼っていて、いつの間にか勝って当たり前になっていたんだな。コイツを倒すつもりで居た筈なのに、おかしな話だ。だけど、負けてそれが分かったのなら変わっていけば良い。


「……当然だ。次は勝つ」

「そうでなくっちゃ。ほら、いい加減控室に戻んぞ。これで風邪引いたらお前のせいだからな」


 雨の中でずぶ濡れになりながら話すなんて何をやってんだか。さっさと控え室に戻って着替えないとな。先輩達はもう帰っているだろう。外に出る前に携帯に連絡が来たから間違いない。これで先輩達に怒られるのは決まったけど、今は先輩達が居なくて良かったかもしれない。
 オレ達は二人で控室に戻り、濡れたシャツを脱いで帰りの支度を済ませた。その帰り道、どうせだから何か食べて帰ろうと寄ったお好み焼き屋で誠凛や笠松さん、それにキセキの世代である黄瀬という面々に出会うのは予想外だったけど。

 楽しい楽しくないでバスケをしていないというのはおそらく緑間の本音。アイツ等の中学時代なんて知らないけど、緑間にとってのバスケはそういうものなんだ。
 バスケをどう思っていようがそんなの人の勝手だ。でも同じバスケをやっている人間としては、それならどうしてお前はバスケをやっているんだと聞きたくなった。

 オレ達はまだ出会って三ヶ月。