期末テストを終えて夏休み。
朝から晩までバスケ漬けの毎日。どんだけオレ達はバスケ好きなんだろうか。炎天下の中を走って、暑い体育館の中でボールを追いかけ回って。毎日飽きもせず大きめのそのボールだけを見て走っている。そんな八月。
長期休暇に入り毎日の体育館練習に加えて、他校との練習試合も組まれた。そして毎年恒例だという一軍の調整合宿がまさかの誠凛と被り、更には合同練習なんかも行われたりと予想外の出来事から始まったこの合宿。
しかし、合宿の期間はお互い違う。誠凛が帰った後もオレ達の合宿は続いていた。
(あー……しんどい…………)
入部した当初のように練習がキツイ。強豪なんだから当たり前で片付けてしまえば終わりだけど、この練習は通常よりもみっちりとメニューが組まれている。しかも食事の量も半端ない。それがノルマだからとなんとか全部食べているけれど、朝なんかは特に辛い。
オレ達一年も四月のメニューはキツイと感じながらも乗り越えて、今では問題なくこなせるようになっていた。だからこそ、ここで更に上のメニューが組まれたということは誰もが分かっている。それでもキツイものはキツイ。全員何とかやっているものの、練習の合間の休憩なんかみんな死んだように倒れている。
(練習に音を上げたりしたくないけど、体が付いてかねー……)
歳とかそういうんじゃなくて、大量の食事と体力を限界まで使うようなメニュー。それらを全てこなせるだけの体がまだ出来上がっていないのだ。何も好きで練習抜け出して水飲み場まで走って来てる訳じゃない。自分でも嫌になるけど、こればかりはどうにかしようとして出来ることではない。
「高尾」
不意に声を掛けられ、水道の蛇口を閉めることもせずそちらをちらりと見やる。そこに立っていたのはオレと同じ一年レギュラーである緑間。
コイツはよくこの練習についていけるなと思うけれど、緑間でも流石にこの合宿はキツイらしい。食事が多すぎてワガママを使おうとしたこともあるし、普段ならあまり息を乱さないコイツが肩で呼吸をしていたり。
何より本人も言っていた。それでもなんとかついていけるレベルであるだけオレの何倍もマシだ。
そんな緑間が一体何の用か。なんてのは、聞かなくても予想出来る。抜け出したまま戻って来ないオレの様子を見て来いとでも言われたんだろう。
「悪ィ、真ちゃん。すぐ行くから先戻ってて」
今すぐには無理だから緑間だけでも先に戻ってて欲しい。オレに付き合って先輩に怒られる必要はないし、ここも片付けなければいけない。それから体育館に戻るから、という旨を伝える。
またこの後も走り回るのかと思うと少しで良いから休みたいなんて思ってしまうが、それではいけないのだということくらい分かっている。もっと体力が欲しいとこの合宿が始まってから何度思ったのかなんてもう忘れてしまった。
……ぶっちゃけ、体力が欲しいとは合宿が始まる前から思ってるけどこれがなかなかつかない。お蔭で長距離のタイムはあまり伸びていない。
やはり根気よくやるしかないのだろう。
「大丈夫なのか」
「んあ? まぁ、なんとかなるっしょ」
ある意味慣れたし、慣れたくなんてなかったけど。こう何度も吐いてりゃな。
一応補足しておくなら、この合宿ではオレ以外の一年もみんなこんな感じだ。大量に食べてすぐに動き回って戻して。これじゃあ食べた意味なくなるんじゃないかってくらい。っていうのはオレの話であって、ここまで水道と体育館を行ったり来たりを過ごしている奴はそう多くない。
正直、体は辛い。こんなに何度も繰り返してるとそれだけで体力を消耗する。これで体重減ってたりなんかしたらもう最悪だ。ただでさえフィジカルが弱いからこれ以上は落としたくない。
「あまり吐くと吐き癖がつくぞ」
「分かってる。でも、こればっかりはオレにもどうしようもねぇっつーかさ……」
どうにか出来るものならどうにかしたいけどそういうものでもない。我慢するよりも出した方が良いって言われたけど、緑間が言うことも尤もだ。気を付けないとなとは思う。
さっさと片付けて戻ろう。そう思ったところで、頬に冷たい物が当たる。
「無理をしてばかりでは体に負担が掛かるだけだ。少しは休むことも覚えろ」
そう言って差し出されたのはスポドリのペットボトル。ここに来る時に用意しておいてくれたのだろうか。
でも何で、ってオレがこんな状態だからか。緑間なりにチームメイトのことを気にしてくれたんだろう。素直にそれを受け取ると、とりあえず一口だけ口に含んだ。
「ありがと。心配してくれた?」
「お前に倒れられては迷惑なだけなのだよ」
それはやっぱり、心配してくれたってことなんだろう。何気にこう優しいところがあるんだよな。言っても否定されるんだろうけど、一学期間一緒に過ごして何度かその優しさに触れたことがある。コイツってこういうところもあるんだなんて最初は失礼なことを思ったりもした。
ワガママ三回なんてものを使ったりしているけれど、コイツは別にワガママな訳じゃない。何でも命令口調な辺り完全に否定は出来ないけれど、部活でのワガママは例えばシュート練をしたいだとか自分にとって必要だと思うことに使われる。むやみやたらにあれが嫌だとか言っているのではないのだ。
まぁ、オレがそれに気付いたのもある程度経ってからだけど。
「でもさ、オレが居なくてもお前には何の関係もなくね?」
チームメイトとしては迷惑かもしれないけれど、それ以上でもそれ以下でもない。それが緑間の優しさからくるものだって分かってるけど、オレはなんとなく尋ねた。
全く、オレはどんな答えを期待してるんだか。はっきり言って欲しいんだろうか。オレと緑間は違う人種……だなんて毎日飽きもせず遅くまで残って練習しているコイツには言えない。
ただの天才だと思っていた奴は、ひたすらに努力をする秀才だった。才能はあったんだろうけど、それだけじゃないってオレはもう知ってしまった。
それでも、こうして練習してると分かる。その背中に追いつきたいのにこの差は一向に埋まらない。諦めてなんかいないけど、なんていうのかな。やっぱ凄いなって思うんだ。
「ごめん、何でもない。早くしないとまた怒られちまうな」
いつか、コイツの隣まで追いつくことは出来るんだろうか。キセキの世代、十年に一人の天才に。
いずれ認めさせてやるつもりだけど、底を知らない才能には驚かされる。でも、オレ達はまだ一年の夏だ。高校三年間の内に絶対認めさせてやる。そんでもって、オレのパスが欲しいって言わせる。その気持ちは春から何も変わってない。
「おい、高尾」
「これでメニュー増やされたら本当に死んじまうし。行こ、真ちゃん」
つーか、オレ等ここでどれくらい話してたっけ。あんまり時間は経ってないと思うけど、もういい加減ヤバいよな。怒られる覚悟くらいはしておこう。
出しっぱなしにしていた水道の蛇口を捻ると、ずっと聞こえていた水の音も止まる。今日はもうここに来たくないななんて思いながら、水道を離れて体育館へと戻る。
「お前が居なくても良いのなら、オレはお前を探したりしないのだよ」
後ろから掛けられた声に思わず足を止めた。それはさっき、オレが質問をしたままになっていた問いの答え。やっぱり聞くことではないと思ったから流したんだけど、緑間はきちんと答えてくれた。そして、その答えの中にある意外な単語に驚いた。
「え? 真ちゃん、先輩とかに言われて来たんじゃなかったの?」
てっきりそうだとばかり思って話していたんだけど、緑間のこの言い回しはそれにしては少しおかしい。この言い方だと、誰かに頼まれた訳ではなくオレのことを探しに来たみたいなんだけど。
それともただ単に言葉の綾というやつか。そうだとしたらすぐにでも否定なりそう言われるなりしそうなものだが、何も返ってこない。この無言は肯定ととっても良いのだろうか。違うならこの時点で何かしらのアクションはある気がするんだけど、もうこれはオレから見ると肯定としか捉えられない。
「あー……もしかして、オレが居なくて寂しかった?」
「……お前が居ない方が静かなのだよ」
なんだろう、オレが悪い……のか?いや、悪くはないよな。
でも、追及すべきではないところに気付いてしまってこっちも驚いた。何も悪気はない。しいていうならタイミングが悪かったということにでもしておこう。緑間は本当は優しいって知ってるし、普段の言動だってツンデレのツンばかり発揮されていることも知ってる。
この暑さは太陽のせいだろう。体育館の中とか蒸し暑くて窓もドアも開けないとやってられない。外周とか炎天下で汗だくだし、夏はどこに居ても暑くて嫌になる。クーラーが効いてる場所に行ったら出たくなくなるよな本当。こういう場所で出来る涼み方なんて、それこそ水くらいしかない訳で。
「っ! 高尾、貴様……!!」
「ぎゃはは!水も滴るいい男だな、真ちゃん」
「誰がだ!濡れたいのなら一人でやれ!」
丁度良いところに水道があったものだから、ついまた蛇口に手を伸ばしてしまった。暑いし丁度良いっしょと笑えば、無言で隣の水道から思いっきり水をぶっかけられた。
それはもう文字通り、容赦なく。お前どんだけ勢いよく捻ってんだよっていうレベルで。
「テメ、緑間!!」
「暑かったんだろう。丁度良かったじゃないか」
まんまさっきの言葉を返される。少しは人の体調とか気にしねーのかよと言えば、それだけ元気なのに何を心配する必要があるんだなんて言われた。そんな奴でも心配になったからここまで来たんだろ、というのは心の内だけで叫んだ。
そんなことをしていると、なかなか戻って来ないから探しに来たという先輩に見付かって二人して怒鳴られた。それだけ元気なら外周でも行っとくかと満面の笑みで言われたのには本気で謝った。
そんなことをしながら、今日も変わらずオレ達は蒸し暑い室内でひたすらにボールを追いかけ回した。夏休みの合宿の出来事。
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