山が紅葉していた季節も終わりに近付く十一月。オレ達高校生にとって最大のイベントが待っていた。人によって最大かどうかは変わるだろうが、一般的にはそうだろう。少なくとも大きなイベントの一つ、修学旅行。
三泊四日の九州・沖縄への旅。名目は文字を呼んでの如くだが、実際は思い出作りのイベントだろう。四日間もバスケが出来ないのは残念だが、この学校生活で一度しかないイベントだ。それなら存分に楽しまないとな。
「沖縄の海ってやっぱ違うな」
透き通るような青い海、白い砂浜。
夏の合宿で海に行っているから海自体は久し振りという程でもない。けれど、合宿の時に見た海とこの沖縄の海では全然違う。事前に調べ学習もしていたけれど、実際にこの目で見るとその差は歴然だ。綺麗だななんて単純な感想しか出て来ないけれど、今まで見てきた海の中で一番綺麗だ。
「こんなに綺麗でも、十一月は沖縄でも海には入れないんだよな」
「海に入りに来た訳ではないだろう」
「でも目の前に海があったら入りたいと思うじゃん?」
「思わん」
緑間はばっさり否定してくれる。でもオレと同意見の奴だって居る筈だ。目の前に広大な海があるというのに見るだけなんてつまらない。かといって、海に入ろうなんて馬鹿な考えはしない。足を付けるくらいなら平気だろうけど。
せっかく海があるのに入れない。どうしていつもオレ達が海に来る時は目の前でお預けになるのだろうか。合宿の時も練習に来たんだからと見るだけで終わりだった。そっちは練習だから、こっちは季節外れだから、で簡単に片付けられることだけれども。この二年間、海を見てさえいるけれど一切入った覚えがない。
「来年の合宿は、海で遊ぶ時間とか少し入れたり出来ねーかな」
「……お前は合宿を何だと思っているのだよ」
合宿の目的くらい分かっている。それでも、海があるなら入りたくなるだろう。いや、緑間には同意を得られなかったんだ。けれど、海で遊ぶ時間がほんの少しでもあれば楽しめるかなとか思って。楽しむ為のものじゃないって返ってくるんだろうけどさ。なんかお預け食らってる気がするんだよな。
それ以外で海に来れば良いだけの話だっつっても、なかなかそんな時間は取れない。作れないことはないと思うけど、緑間はそういうところ好きじゃなさそうだな。まず部活がなくても受験勉強があるとか言われそう。早いもので来年はオレ達も受験生だ。
「来年の今頃は、オレ達何してるんだろうね」
「ウィンターカップに向けての練習だろう」
「そうだな。最後の大会に悔いなんて残したくねーし」
去年の今頃は、新技を身に付けようと自主練習の時間はひたすらパスとシュートを繰り返した。他の誰にも真似出来ないオレ達だけの武器。去年のウィンターカップで赤司に欠点を指摘されたけれど、利き手は変えようがないから仕方がない。
それに、緑間に合わせてしかパスが出来ないとしてもそう簡単に敗れるものでもない。あの後も練習は続けて、去年と比べれば精度も何も上がっている。あとは緑間のシュートとオレの目と、チーム全員の連携でやっていくんだ。
「来年は夏も冬も優勝するか」
「初めから優勝するつもりで試合に挑んでいるだろう」
全くその通りだな。今年は夏に準決勝で桐皇とウチがやったから、ウィンターカップに揃うキセキの世代は緑間以外の六人。東京以外の奴等は毎回きっちり出場を決めている。今大会ではどんな組み合わせになるのか。オレ達は出場しないとはいえ、バスケをやっている身としてはやはり気になるところだ。
「洛山、誠凛、桐皇。なんつーか、キセキの世代一人一人の強さが分かる優勝校だな」
今のところは同じ学校が優勝していない。尚且つ、優勝しているのはキセキの世代を有している学校。天才達がバラバラの学校に進学してどんな大会になるかと思えば、それぞれの力をぶつけあった試合で勝利をし敗北を経験し。誰か一人が強いのではなく、全員が同等の力を持った天才なんだといわれているような気がする。
まだ優勝していないのは陽泉、海常、それから秀徳。先の三校を含めたこの六校が残りの大会も優勝争いをすることになるんだろうけど、オレ達が引退する頃にはどんな結果が出揃うだろうか。現時点では全然想像が出来ない。
「真ちゃん。インターハイ予選で話したこと覚えてる?」
準決勝を終えてから二人で話をしたこと。言えば緑間が頷く。
今年はもう全国には行けないけれど、その分時間を掛けてオレ達のチームを作っていこう。緑間を中心としたチームを。
どうすれば良いのか。どうすればエースをもっと活かしてやれるのか。一年の時からずっと考えていたそれをちゃんとチームの形に出来るように。緑間やチームメイト達とみんなで来年に向けてのチームを作っている。今は夏から練習を重ねて徐々に形になってきていたところだ。
「来年どんな一年が入って来るか分からないけど、後輩や同輩。みんなで来年に向けての練習を始めてるじゃん?」
「そうだな」
「オレに出来るのはお前にパスを出すことと、チームの司令塔として指示を出すこと。どんなチームでも、どんな相手でも。絶対お前にパスを繋げるから」
それが、ポイントガードであるオレがエースにしてやれること。幸い、この目があるお蔭でパスを失敗することはあまりない。秀徳で経験を積んできて、どの場面ではどうするべきなのかも体で覚えてきた。
オレの目にはどこがボールを取られないパスコースなのかも全部見えている。それでもボールをカットされることもあるけれど、緑間にパスが繋がらないなんてことにはもうならない。信じてくれる相棒に必ずパスを繋げるんだ。
話を聞いた緑間は何も言わない。
かと思えば、いきなり額を小突かれた。急に何するんだよと声を上げようとして、先に口を開かれたかと思うと。
「今更何を言っているのだよ」
そんな当たり前のことは言わなくても分かっている。お前こそ人を信じろ、と。緑間はそんなことを言った。
はは、それこそ今更だろ。信じろって、オレは去年の春からずっと信じてた。お前が居れば負けないって信じて疑わなかった。
それが違ったんだと知った夏。だけどやっぱりオレは緑間を信じた。チームのエースとして。オレの相棒として信頼していて、その結果が去年冬に完成させた新技。それからまた春が来て、二度目の夏は力が及ばなかったけれど、その悔しさは全部来年にぶつけることにした。一緒に新しいチームの形を作っていこうと話した。
それも全部、お前を信じているから。お前となら絶対に優勝出来るって。このチームで勝つことが出来るって、ずっと信じてる。
「オレほど真ちゃんを信じてるヤツなんて居ないと思うけど?」
「それならそういう発言をしろ」
してたつもりだったんだけどな。態度で示すお前と違ってオレは言葉で。むしろ普段から言ってるんじゃないか。エース様を信じてるし、エース様のことを愛してるし?逆に軽いとか言われそうだけどどれも本心だ。本気で言っていることくらいは伝わっていると思うけど、しょっちゅう言うから軽く捉われているんだろうな。
じゃあさ、と言いながらくるりと体を回転させる。同時に足を止めれば、隣を歩いていた緑間の足も自然に止まった。
「信じてろよ。オレも信じてるから」
大きなタイトルを勝ち抜く為に改めて伝える。お互い言わなくても分かっているけど言葉にして伝えておきたかった。去年の冬からちゃんと成長している筈だから。
「信じているのだよ。秀徳の司令塔はお前だ」
去年の夏と冬はお互いに相手に手を差し伸べた。チームメイトだから、一年レギュラー同士だから、相棒だから。理由はそんなんじゃない。そこに居たのがコイツだったから。一緒に強くなろうと言えたし、次は勝とうと手を取れた。
あの頃の気持ちも忘れてはいない。でも、今はもう大切な相棒なんだ。お互いが支え合えるような相棒にオレは出会えた。それが緑間だったのは意外だけど、ずっと探していたものが見つかった気がした。
「真ちゃん、やっぱ海入ろっか?」
「は?」
真面目な話を終えたところでオレは緑間の手を引いて海に駈け出した。これだけの身長差があろうとオレだって同じ男子高校生。不意を突けばこれくらい軽いことだ。
ピチャピチャと音を鳴らす波打ち際よりももっと突き進み、ザバザバと波を掻き分ける。といっても腰にも届かない高さのところまで。今は海の季節でないことはしっかり記憶している。
「高尾! どこまで行くつもりだ!!」
「心配しなくてもこれ以上深くまでは行かねーよ。にしてもさ、こんなとこで泳いだりしたら死んじまいそうだな」
「死ぬより前にさっさと着替えないと風邪を引くのだよ!」
確かにそれは言えてる。こんなことで風邪を引いて練習が出来なくなったら笑い事じゃ済まないかもしれない。それこそ卒業した先輩にトラックで轢かれるかもしれない。宮地さんも免許持ってるからな。マジで木村さんから軽トラを借りて乗って来るかも分からない。
笑うオレとは対照的に緑間は不機嫌オーラを出しまくっている。冗談とかそういうのも嫌いだもんな。本当、真面目というか生真面目というか。それもお前の良い所だけどな。
ザバンと波の音がしたのとほぼ同時に手を離し、ザブンと音を立てながら足を切り返して制服を掴んで引く。ザザーと波が戻る音を耳にしながら、すぐに手を離すと小さく笑みを浮かべる。
「風邪引く前に宿まで戻ろうぜ」
「おい、高――――」
「エース様に風邪引かれたら大変だもんな。しかもオレのせいとかバレたらヤバいし」
ほら早く戻ろうぜとオレはまた海の中を走って砂浜に戻る。ワンテンポ遅れて緑間も同じく砂浜へと戻ると、怒られるよりも前に今度は砂浜を蹴って宿泊先のホテルを目指す。
どっちが先にホテルに着くか勝負だと声を上げれば、卑怯だと返ってきたがそんなことは知らない。長距離は緑間の方が得意なんだからハンデだ。といっても、歩いて十分も掛からない距離だけどそれも気にしない。
そうして何事もなかったかのように日常へと戻る。
オレも緑間も全力疾走をして、ホテルの前では息切れになっていた。何で修学旅行でまで走り込んでるんだよと零せば、お前が言い出したことだろうと切れ切れに正論を言われた。最後の最後にラストスパートで駆け込んで、どっちが勝ったのかはどちらも譲らない。ハンデがあった筈なのに長距離だとこれだもんな。短距離なら緑間相手だろうと負けないけど。
とりあえず部屋に戻るぞと言われた頃にはなんとか呼吸を整えた。途中であったクラスメイトには何やってんだよと笑われたけど、それも修学旅行の思い出である。
オレ達の高校生活は折り返し地点を過ぎた。
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