四月。学年が一つ上がる。いよいよ最高学年だ。先輩達は卒業し新入生を迎え、新しいクラスメイトに出会い新しいチームが始まる。ここまで来たら三年生も同じクラスにならないかと期待してクラス表を確認すると、同じ組に名前が入っているのを見つけて「今年も一緒だな」とちょっと嬉しかった。
 新入部員の数は結構集まった。この一ヶ月の内に辞めてしまう者も居るだろうけれど、一年の最初の練習についてこられないようではこの先も厳しい。この練習に耐えられてこそ、一緒に全国制覇を目指すことが出来る。オレ達三年生にとっては最後の挑戦だ。


「高尾」


 名前を呼ばれて振り向けば見慣れた緑が目に入る。もう部活は終わってこの後は残りたい人だけが体育館に残って練習をしていく。入ったばかりの一年生にそんな体力はないだろうが、他の学年でも残ってまで練習していく者は限られている。
 当然オレは残る。勿論、緑間も。少しだけ残っていく奴くらいならそれなりに居るけれど、時間ギリギリまで残っているのはいつもオレ達ぐらいだ。
 だから残っていくことは分かっていたけれど、いつものようにシュート練を始めるのだとばかり思っていたから声を掛けられたのはちょっと意外だった。


「何、どったの?」

「パスを寄越せ」


 必要最低限の用件だけ言われる。パス練、という訳ではないだろう。緑間が居残り練習でパスが欲しいと言い出したということは、連携の練習をしようということだ。
 ある意味、パス練習でもありシュート練習でもある。オレ達がそれぞれやることはパスとシュートだけだ。それを二人でやるから連携の練習なんだけれども。
 連携の練習はオレもやりたいと思っていたから丁度良い。良いぜ、とだけ返事をしてオレ達はコートの中に入る。ダムダムと数回ボールをつき、エースに向かってボールを放つ。まずは普通のパス。受け取った緑間は高い高いループを描くシュートを放った。


「ナイシュー!」


 リングに触れることなく綺麗にゴールへ落ちたボールを見届けて声を掛ける。本当、全然外れない。いつだってキラキラと輝いているシュート。何度も見てきたそれは、いつ見てもキラキラしている。
 あの重いバスケットボールをあんな高さまで上げるなんてそうそう出来ることではない。というより、普通は無理だ。真似しろって言われても出来ない。天才の中に例外は居るけれど、それでもこの超長距離スリーポイントシュートが緑間の武器であることに変わりはない。コピーはコピーであってオリジナルとは違う。オレが好きなのはこのシュートなのだ。


「高尾、普通のパスはもういい」


 パスを何度か出したところで、翠が離れたこちらを見てそう告げた。それを聞いて思わず口元に笑みが浮かぶ。そろそろかなとこちらもそのつもりだったけれど、それは緑間も同じだったようだ。
 普通のパスではないパス。それは、オレ達の“とっておき”だ。
 手に取ったボールをしっかりと持ち直し、構えた緑間の手に合わせてボールを放る。オレの手から離れたボールは緑間の手の内に納まり、そのままネットを潜った。


「流石だな、真ちゃん」

「お前のタイミングも完璧だったのだよ」


 二人で毎日遅くまで練習し続けたシュートなのだから当然だ。オレ達の、オレ達にしか出来ないシュート。これは二人でないと出来ないからコピーだって不可能である。
 パスとシュート。
 オレ達二人でやってきたそれが一つの武器となった。相手が緑間だからこそ出来た。緑間じゃなかったら出来なかった。今まで、それこそ数えきれないほどの練習を共にしてきたけれど、この“とっておき”が完成した時は本当に嬉しかった。嬉しい、なんて薄っぺらい表現じゃ表せられないくらいあの瞬間のオレ達は喜び合って。コイツの相棒で居らるなんて幸せだなとか思ったりして。


「真ちゃん、二年前のこと覚えてる?」


 この体育館。その普通よりも離れた場所に立ったお前は一人で黙々とシュートを撃っていた。あのキツい練習の後に残って、自分の決めたノルマの数だけシュートを撃ち続けた。
 どこにそんな体力があるんだよ、と初めてその姿を見た時には思ったものだ。流石はキセキの世代、天才と呼ばれるだけのことはあるななんてことも思った。残ってまで練習しなくても十分凄いのに良くやるなとか、まだ何も知らない頃のオレは勝手なことばかり考えていた。


「試合なんて何十回もしてるんだからその内の一人を覚えているとは最初から思ってなかった。でも、面と向かって言われるとやっぱ悔しかった」


 すぐ横のカートからボールを取り出し、軽くその場でついてからドリブルでスリーポイントラインまで走りシュートを撃つ。リングを潜り抜けたボールは体育館の床へと落ちてバウンドをしながら転がっていく。オレのスリーの成功率も入部当初よりかなり上がった。

 それもすぐ傍にスリーポイントを撃たせたら右に出る者など居ないような奴が居たから。オレは元々スリーはあまり撃たない。そういうポジションじゃないから撃つとすればレイアップ。でもそれよりもパスの方が圧倒的に多い。
 だけどシュートは撃てるに越したことはない。成功率は普通より少しマシ程度。いつだったか、スリーのコツを教えてくれと頼んだら、「何故オレが」「撃てた方が点になるだろ」というようなやり取りを幾度かした後に教えてくれた。

 お蔭でオレはスリーも以前より撃てるようになった。とはいえ、ポジション的にも自分で点を取りに行くことは少ないけれど選択肢の一つにスリーが加わったのは大きい。
 でも、やっぱりこっちの方が好きだなと拾ったボールをパスしては思う。オレの何もかもが変えられたシュート。


「三年前の今頃はさ、進路なんてバスケやれれば良い程度だったんだぜ。それがお前と戦って、バスケの強い所に絶対入ってやるって決めた」

「そこでオレに出会ったのか」

「予想外過ぎてマジビビったわ。ま、そのお蔭で今は相棒やれてるんだけどな」


 オレが秀徳を選ぶ根本の理由には緑間が関係している。多くの偶然が重なって今は相棒になっているんだから世の中分からない。全ての始まりは中学三年生のあの時から。


「……二年前、お前はオレが残っている日に残るようになっていたな」

「あー四月の途中からな。最初は残る体力なんてなかったし」


 徐々に練習に慣れて、残って練習していくだけの体力も余るようになった。とはいっても、オレは元の体力が少なかったから緑間と違って休み休みで練習していたけれど。練習が終わってからちょっとずつ残るようになって、それが毎日残るように変わるまで時間はそう掛からなかった。もう居残り練を含めて部活みたいになっている。部活が終わってすぐに帰ることなんて用事がない限りはまずないから。


「今でもお前との試合がどんな内容だったかは覚えていない。だが、お前のことはあれから暫くして思い出したのだよ」


 その言葉に目を見開く。
 は?何それ。どういう意味だよ。覚えてないんじゃなかったのか。忘れられているのはむしろ当たり前。それでも欠片も覚えていないことに悔しさを感じた。けど、おかしなことではなかったからオレは今の自分を認めて貰えるように練習して……。
 試合のことは覚えてないけどオレのことは覚えてるって何。中学の、帝光にとっては二軍で相手をするような消化試合だぞ?しかもお前は途中交代で、ウチはただの弱小校だったから点差はどんどん開いて最終的にダブルスコア。そんな試合の何を思い出したというのか。


「え、っと。無理しなくても良いんだけど」

「どうしてそうなる」

「覚えてないのなんて普通でしょ。ダブルスコアだぜ? しかもお前が出てから得点なんて片手分ぐらいしか決められてねーしさ」

「試合のことを言われても分からんと言っただろう。オレはお前のことを思い出しただけだ」


 じゃあ、オレの何を思い出したっていうんだ。お前から全然点も取れないようなチームに居た一選手の何を。何も出来なかったオレの何を思い出したのか。


「その目だ」

「は?」


 突然の言葉に今度は声が零れた。
 目って、鷹の目?確かにこれは普通とはちょっと違うけれど、そんなことは見ただけでは分からない。プレイして初めて視野が広いと分かるようなものだ。試合のことを覚えていない緑間がオレのプレーなんて覚えていないだろう。
 けれどそれ以外に何も思いつかなくて、鷹の目のことかと尋ねたが首は横に振られた。どうやら外れらしい。だが、他に特別なものなんてこの目にはないんだけれど。


「お前は最後まで諦めなかっただろう」

「そりゃ、あんな点差でも少しくらいその差を縮めることは出来るだろ。何もしなかったら点差は開くだけだ」

「その通りだが、大抵は戦意を喪失し戦うことを諦める。お前のように最後まで諦めない奴は珍しかったのだよ」


 その時の目が印象的で記憶に残っていた。それがオレだったと結びつくまでに時間を要した、ということらしい。
 つまり、なんだ。勝つことが当たり前の帝光にはやっぱり消化試合で、強すぎるが故にみんな戦う気を失くすってか。それはオレも見て来たから分かる。オレにはそれが分からなかったけど、だからこそ緑間の印象に残っていたんだろう。
 ついでに、前はそういう目でよく緑間を見ていたらしい。そういう目って何だよと思ったが、対抗心みたいなものだろう。オレはコイツに負けたくなかったから。強くなって、お前に勝ちたかったから。


「……でもさ、何で今更そんな話したの?」

「必要だと思ったからだ」


 いや、不要だろ。心の中で突っ込みながら、緑間がどうして必要だと思ったのかと考える。オレが全く覚えられていなかったことを悔しいと言ったから?それっぽいのはこれくらいなんだけど、これだとあまりに単純すぎるだろうか。
 それなら他の理由、と思ったところでオレには答えが見つからない。多分、緑間はオレの気付いていない何かの話をしているんだろう。またはオレが認めようとしていない何か、か。なんでそう思うのかって、オレも緑間のそういうものを知ってるから。


「高尾」


 緑間はさっきまでオレが居た場所まで歩き、カゴの中からボールを取って投げた。飛んできたそれを受け取りながら、オレは手の中のオレンジと顔を上げた先にある緑を交互に見た。撃て、という意味ではないんだろうけど。


「お前がオレと勝負をしたいのならいつでも受けてやる」


 さっきから話が飛び過ぎじゃないかと思ったけど、ワンテンポ遅れてオレはその言葉の意味を理解した。ああ、だから今そんな話をしたのかと。
 でも、やっぱり今更なことだ。オレは秀徳のポイントガードで、緑間は秀徳のエース。オレは相棒としてお前の隣に立っていたい。あの頃の気持ちに決着はつけたとはいえ、捨てきれていないのも事実だ。でも、それがあって今オレはここに居る。


「真ちゃん、オレはお前と戦うよりお前と一緒に戦いたいんだぜ。このチームで一緒に勝つって約束しただろ」


 特に深い意味なんてなく一年の頃の話を持ち出しただけだったにの、それがこういう解釈になってここまでややこしくなったんだから不思議だ。でも、それならオレも言っておきたいことがある。


「ま、否定は出来ねーからさっきの発言は忘れんなよ。お前から点取ってやっから」

「そう簡単に点はやらん」

「油断してると痛い目見るぜ? んでさ、そんなこと言ってくれるお前はバスケやってて楽しい?」


 これまで肯定されたことはないけれど、緑間がバスケを好きなことくらいとっくに知っている。好きじゃなければこんなに上達はしない。楽しくなければあんな厳しい練習に付いていけない。これほど熱心に打ち込んでいるのに、それが数あるスポーツの中から自分に合っていたからやっていただけだなんて言えないだろ。
 全部分かってるけど緑間は肯定しない。それでも良いと思ってた。いつか認めさせてやりたいとは思ってたけど、それが今。


「なぜそういう話になるのだよ」

「いい加減認めろよ。オレだってお前のせいで認める羽目になったんだから」


 忘れる為に奥底に仕舞われていたと思われることに。そんなものを今更認めさせてどうするんだとは思ったけど、必要だと思ったという緑間の発言でなんとなくだけど分かった。だから、オレもお前に認めさせるべきなんだろう。ちゃんと自分のバスケと向き合う為に。


「なぁ、バスケ好き?」


 オレ達とするバスケが。このチームが好き?
 聞かなくても分かっていることを翡翠を見て尋ねる。そのまま手の内にあったボールは緑間に返した。お互い、気付かないフリをして過ごすのは終わりだ。これで最後なんだから。悔いのない一年にする為にも必要なこと。
 今度はまるっきり立場が入れ替わった状態で相手を見る。そのまま数十秒が過ぎ、なぜかボールはまた返ってくる。それを受け取ったオレもまた緑間にボールを放った。なんとなく、そう言われた気がしたから。それ以上ボールが戻って来ることはなく、代わりに真っ直ぐにネットを潜り抜けた。


「好きでなければ続けていない。そうでなければお前も一緒に居ないだろう」

「バスケがあったんだから良いじゃん。だって、オレ達がバスケをやらないなんて有り得ないだろ」

「…………そうだな」


 バスケがなければ出会わなかった。バスケがなければ友達にすらならなかった。そんな奴と今此処で一緒に居られるのは奇跡で、今この瞬間まで辿ってきた軌跡があって今がある。


「今年こそ優勝しような」

「しようではない、優勝するのだよ」


 そうだ、今年こそオレ達は優勝する。先輩達の思いと約束を胸に、後輩達の思いと願いを背に。お互いを支え合ってこのチームで勝つ。
 その為にもまずはシュートを五十本といこう。大丈夫、今年こそは勝てる。勝つ為に積み上げてきたものは全てこの時の為。高校最後の一年が始まった。