秋の色が深まる十月。
 今日は六日だから出席番号六番、と数学教師が当てているのを聞きながら窓の外を眺める。校庭に並ぶ木々はすっかりと紅葉して綺麗な色に染まっている。
 この番号なら当たらないだろうとは思いつつ、一応問題は解き終わっているから当てられても問題ない。やっていなくても緑間に聞けば、なんて考えていたのがバレたら確実に怒られるだろう。二学期に行われた席替えでオレ達はまた前後席になった。答えを聞くかどうかということは置いておいて、席が近いと話しやすくて良い。遠くてもオレが緑間のところに行って近くの奴の席を借りたりするんだけどさ。


「真ちゃん、勉強どう?」


 授業が終わって休み時間。オレは後ろの席を振り向いて話し掛けた。
 毎日のように部活ばかりやっているオレ達でも、この時期になれば授業中にもここは受験でも出るだろうからなんていうアドバイスを聞くようになってくる。周りも受験モードになっているけれど、それでもオレ達はまだ受験よりバスケ。とはいっても、受験についても少なからず考えるようになるというものだ。


「そういうお前こそどうなのだよ」

「オレ? まぁ今のところは問題ないぜ」


 テストの結果は志望校のレベルに届いている。このまま成績を落としたりもしなければ合格ラインには到達出来るだろう。それでもテストは何があるか分からないが、そこを気にし始めたらキリがない。
 オレの答えを聞きながら「そうか」とだけ答えた緑間に「それでお前は?」と元々こちらが聞いていたことを繰り返せば同じような答えが返ってきた。まぁ、オレが心配する必要なんてないよな。緑間だし。


「真ちゃんってどこに進むの?」


 なんとなくこれまで聞かずに来ていた。多少はそういう話をしても詳しく聞いたことはなかった。別に意図していた訳ではなく、本当にただなんとなく。オレも聞かれたことがないけれど、似たような理由なんじゃないだろうか。お前には教えないなんて言われた訳でもない。
 聞こうと思ったことがない訳でもないけれど、結局聞いたことはなかったんだよな。受験より部活だったし、っていうのはそろそろ言い訳になるだろうか。それを聞いたら本当に終わりが近づくような気がした。いつまでも高校生ではいられないけれど、少しでも長く高校生で居たいとは思う。それは単純に、目の前の男と一緒にバスケをしていたいから。


「医学部だ」

「へぇー。そういや真ちゃんのお父さんってお医者さんだっけ? やっぱり家を継ぐの?」

「そこまでは分からないが、そうなる可能性もあるだろうな」


 家を継げとは言われていないらしい。でも、そういう道を選んだっていうことは緑間もそのつもりはあるんだろうか。いや、緑間なら人を助けたいからとかそういった理由で家のことは関係ないのかもしれない。進路についてでさえ今聞いたばかりのオレがそんなことまで知る訳がないけれど。


「お前はどうするんだ」

「んー……オレは情報行くつもり。そういうのに興味あって」


 そうか、と短く返されて会話が終わる。
 本当はもっと聞きたいことがある。どういう方面に進むかだけ聞いてみたけれど、どこの大学に行くのかも気になる。都内なのか、それとも家から通える範囲で関東圏内なのか。またはもっと遠くまで行ってしまうのか。海外って可能性もなくはない。
 学校の話だけじゃない。五月に進路の話をした時は続けられたら良いと言っていたバスケ。今はどう思っているんだろうか。続けたいとは思っているのか。それとも、辞めてしまうという選択をしていたりするのだろうか。聞きたいけれど怖くて聞けない。


「大学行ったらやっぱ忙しくなるのかな?」

「慣れるまでは大変なんじゃないか。先輩も前に言っていただろう」

「そういやそうだったな。でも慣れたら暇とか出来るかな。あ、でも医学部は忙しいのか?」

「どの学部でもそれなりに課題はあるだろう。暇だからとバイトばかりするのは良くないのだよ」

「そこまでは言ってないって。まぁ、バイトはするつもりだけど」


 高校は部活ばかりでバイトをする暇もなかったし、という話ではなく。オレが行こうとしている学校が自宅から通うにはちょっと遠いんだ。家からでも通えないことはないけれど、無事に進学出来たら一人暮らしをするつもりではいる。そうしたら生活費の為にもバイトは必須だ。全部合格したらの話なんだけどさ。


「真ちゃんはしないの?」

「する時間があれば考えるが、大学へは勉強をする為に行くのだよ」


 なんとも緑間らしい回答だ。そして正論でもある。オレだって勉強よりバイトを優先するなんて馬鹿なことはしない。そりゃ、その勉強をしたくて進学を選んでいるんだし。それくらいは弁えている。
 バスケはどうだろう。続けられたら良いとは思っているけど、大学に行ったら辞めてしまう気がする。今は緑間が居るバスケが当たり前で、そうじゃないバスケが想像出来ない。ちょっと前まではそれが普通で、逆に今のバスケの方が想像出来なかったのに。この三年間でオレも随分と変わった。それはもう色んな意味で。

 もし大学でもバスケを続けたとして、どこかのサークルに入ってオレは新しいチームメイトにパスを出すんだろう。緑間ではない別のシューティングガードにパスを出して、新しい相棒になるんだろうか。
 勿論、オレにも中学の時は緑間とは別の相棒が居た。ソイツと他のチームメイトと一緒に一つでも多く勝とうと頑張った。ウチは強くもなかったし全中には出たことがない。いつも予選敗退だ。でもやるからには勝ちたかったから放課後も残って練習して、出来ることはしていた。あの頃はあの頃でオレに出来ることを精一杯やっていた。

 少し話が逸れてしまったけれど、緑間はオレの高校での相棒。中学での相棒はまた別に居る。大学で新しい相棒とバスケをするのも何らおかしなことではない。
 だけど、なんていうのかな。これが当たり前になりすぎたとでもいえば良いだろうか。中学の時の相棒とも二人で一緒に上を目指してたんだけど、当然緑間とは違って。ああもうなんて言えば良いんだろうな。確かに中学の時も良い相棒に出会えていた。
 けど、緑間は特別なんだ。こんなにしっくりくるパスを出せる相手なんてそうそういない。オレのパスであのシュートが放たれるんだって思うと高揚する。コイツ以上の相棒には出会うことがないとさえ思っている。こんな天才プレイヤーがそうそう現れたりはしないだろうけれど、そういう問題じゃない。単純に相性も良かったんだと思う。


「高尾、お前はバスケを続けるのか?」

「え? あーどうだろ。続けられたら良いとは思ってるぜ」


 まさか緑間からそれを聞かれるとは思わなかった。「真ちゃんは?」って聞き返したら、続けたいという気持ちはあるけれど辞めるだろうという話だ。医学部って忙しそうだもんな。バスケなんてしてる暇ないんだろう。医学部については調べてもいないから全部想像でしかないけれど。
 だが、と小さく繋げられたその声に耳を傾ける。やっぱり出来ることなら続けたいんだろうか。そんな考えが的外れだと知るのは五秒後。


「お前がいないバスケが今のオレには想像出来ないのだよ」


 オレが考えていたことを緑間も考えていたとは思わなかった。お前もそんな風に思ったりするんだと考えて、そう思ったりもするかと納得した。
 だって、三年だ。人生の中で考えれば僅かな時間かもしれないし、実際に過ごしていてももう三年の秋だなんて信じられない。

 この三年間はとても充実していた。一年の頃から部活でもずっと一緒。同じレギュラーとして近くに居た。充実していたからこそかもしれないけれど、あと数ヶ月もすれば終わってしまうなんてまだ実感がない。
 この先もずっと。オレはお前にパスを出していたいと思うし、オレの相棒はお前だって言うだろう。お前と一緒じゃないバスケなんて想像出来ないし、お前が隣にいない生活でさえ想像が出来ない。これはちょっとばかり入れ込み過ぎかもしれないなと心の中で呟きながら、目の前の緑を見る。


「もしかして真ちゃん、高尾ちゃんがいないと寂しい?」

「少しくらいは寂しいかもしれないな」

「そこは素直に寂しいって言えよ。そしたら…………」


 そしたら、ルームシェアでもする?とかそんなことを言おうとしたんだと思う。不自然に途切れた言葉に緑間は「高尾?」と不思議そうにこちらを見る。それに気付いてオレは慌てて言おうとしていた言葉を繋いだ。
 けれど緑間は明らかにオレの様子を疑っている。何でもないで納得してくれる訳ないだろうし、どうしたものか。本当に何にもないから余計に困る。どうして変に止まったのかなんてオレが聞きたい。


「なんつーの? オレも真ちゃんと一緒じゃないバスケなんて考えられないと思ってさ」

「それだけなのか?」

「だけってことはないだろ。結構大事なことだと思うぜ。違ぇの?」

「まぁ、そうだな」


 とりあえずついさっきまで考えていたことを話したらなんとか納得してもらえた。
 やっぱりまだ想像出来ないなと思う。バスケがない生活もコイツが隣にいない生活も。今はそれが当たり前すぎて、当たり前じゃなくなることが想像し難い。でも、高校生活に慣れて大学生活が想像出来ないなんてのはみんな同じだろう。中学から高校の時もそうだった。オレのこれを世間一般のそれに当て嵌めて良いのかは分からないけれど、当て嵌まらないこともないだろう。


「卒業したら真ちゃんから連絡くれることってあんのかな?」

「ないこともないんじゃないか。お前からの方が多そうだが」

「案外真ちゃんからのが多いかもしれないぜ」


 実際はやっぱりオレからの方が多いんだろうけど、少しくらいは緑間から連絡をしてきてくれれば嬉しいかな。友達なんだし、こうして相棒をやっているような関係だしさ。忙しければ連絡をしないまま時間が経ったりするんだろうけど、そういう時にちょっとでも思い出してくれれば嬉しい。理想が小さいなんてことはない。オレ達の関係からしたらそんなものだ、とオレは思っている。


「高尾」


 不意に名前を呼ばれて「何?」と翠の瞳を見つめる。こっちを見ていた翡翠と目が合う。やっぱり睫毛長いなとかいつ見ても綺麗な色してるよなとか思いながら続きを待っていると、少しばかり上方に視線をずらしたかと思えば「もうすぐチャイムが鳴るぞ」と典型的なことを言ってきた。
 授業と授業の休み時間なんて十分しかないんだからそろそろでもおかしくはないだろう。次も教室での授業だから特に準備をすることもないし、っていうと机の上に教科書くらい出しておけって言われるんだろうけど。でもどうしてわざわざそんなことを、と思ったところで気が付いた。


「真ちゃん、気付いてたならもっと早く言ってよ!」

「やってあると思ったが一応教えてやったまでだ。始まる前で良かっただろう」

「全然良くねーよ! こうなったら授業中にやるけど!」

「授業はちゃんと聞け」


 何度も言われたことのある台詞を聞きながらオレは机の中から教科書とノートを取り出す。そういえばここの問題をやってこいって言われてたよな。しかも今回はチェックするらしいしさ。授業が始まってすぐでなければなんとかなるだろう。すっかり忘れていたよ本当。
 別の提出物のことは覚えてたけど、だからこそ忘れていた。どうせ自業自得だよ。見せてくれとは言わないけれど、気にしてくれるならあと五分早く言ってくれれば助かった。まぁ始まる前なだけ良かったのかもしれないけれど。

 キンコンカンコーン、と始業のチャイムが鳴り響く。教師がやってくるまで一分未満。果たして間に合うのかどうか。チェックされる前には終わらせよう。