僕 10




「…………赤司」

「どうかしたのか、真太郎」

「どうしたもこうしたもないのだよ!」


 一体職員室で何を騒いでいるのやら。幸い、時間が時間なだけあって職員室には彼等しか居なかったから問題はない。
 いや、職員室という場所である以上。問題がないともいえないが。


「全く、何があったというんだ」


 冷静に話す赤司とは対照的に、緑間は怒りを浮かべている。緑間が赤司に対して怒るなんて珍しい、とかつての仲間達が見たなら思っただろう。いや、時と場合によってはそうでもないかもしれないけれど。
 あの天才達に振り回されて苦労していた緑間はよくキセキの仲間に注意する立場であった。主将の赤司に何かを言うことはあまりなかったが、悪乗りをして楽しむ時に注意をすることはしばしばあったことだ。それでも、こんな風に怒ってみせるのはやはり珍しいことである。


「一体何をアイツに吹き込んだ」

「人聞きが悪いな。ボクはただ世間話をしただけさ」


 それが何の話かといえば、明確に言葉にはなっていないものの互いに分かっている。何が世間話だ、とは緑間の心境である。しかし赤司は世間話としか答えない。本当にたかが世間話だったらこんなことを言わない。
 事の起こりは昨晩のこと。高尾が緑間に言った言葉が原因だった。一応補足しておくと、今回は二人が喧嘩をしたという訳ではない。二人の間では何の問題も起こっていないが、赤司のせいで緑間は高尾に誤解されているというのが現状だ。


「和成に何を言った。完全にオレとお前のことを誤解しているのだが」

「世間話しかしていないよ。逆に聞くが、真太郎は高尾に何を言われたんだ?」


 質問で返されて緑間は一瞬言葉に詰まる。それを言わせるのかとは思えど、言わなければ一向に話は進展しないだろう。赤司との付き合いが長い緑間にはそれくらいのことは分かっている。
 溜め息を一つ吐くと、緑間は話を進めるべく昨晩の高尾に言われたことをそのまま赤司に伝える。


「昨日、和成にお前のことをどう思っているのかと聞かれたのだよ」

「へぇ? それで真太郎は何と答えたんだ」

「友達だと言った。そうしたら今度は好きなのかと言われたから、好き嫌いで答えるなら好きだと言った」


 単純にその時の状況説明をしているにすぎないが、本人を前にしても隠さずそのまま答えるというのは緑間らしいところである。それも二人が親しい友人関係であるからこそだ。好きか嫌いかと言われれば、緑間は赤司を好きだと答える。それは赤司にしたって同じだ。まず嫌いだったらこんなに長い間、友好関係を築いていないだろう。
 そこまでは良い。どうしてそんなことを突然聞いてきたのかという疑問はあったが、いつものような他愛のない話の一種であると思っていたから。だがしかし、どうやらそれは少しばかり違ったらしい。そう気付いたのは、次の高尾の言葉を聞いてからだ。


「それは嬉しいな。ボクも真太郎のことは好きだよ」

「……赤司、お前が和成にそういう話を持ちかけたんだろう」


 疑問形ではなくはっきりと言い切る。何故そう思うのかといえば理由は簡単だ。まず高尾があんな話を持ちかける時点でおかしい。そんな話をする何かがあったとすれば、高尾の関わる人物の中では赤司くらいしか思い当たらなかった。
 少し前には二人が何か話をしていたのを見かけたが、それは世間話だったのだろうということに緑間はしている。それを見た時にも何かしたのではないかと疑っていたが、いくら友人といえど大切な弟に何かをしたなら放ってはおけなかったからだ。そして今回は、確実に何かをしただろうと放課後二人きりになった職員室で尋ねることにした。
 根拠もないのに疑うなんてお前らしくないと言いながら、赤司は口角を持ち上げる。それは明らかに楽しんでいる表情で、この友人は何がしたいんだと緑間は頭の中の冷静な部分で考える。


「ボクがそう言ったと高尾が話したのか?」

「話す訳がないだろう。むしろそこで話は終わりだ」


 食事を終えたタイミングだったこともあり、そのまま話は終了した。その後も今日も普通にしていたのだから、二人の関係が何か変わったということはない。
 ならばどうしてこんなことを話しているのかというと、やはり高尾が関係している。本人はいつも通りを装っていたつもりなのだろうが、生憎緑間にはそれが通用しない。普段の高尾ならそれくらい分かっているのだろうけれども、おそらく昨日はそのことも忘れていたのだろう。僅かな表情の変化を見ながら、その場は気付かないフリをして過ごした。代わりに、その原因であろう赤司に話を聞いているのだ。


「お前は意味もなく行動を起こさない。何の目的で、何を和成に吹き込んだ」


 繰り返して問う。赤司に答えさせるにはそれ以外にないと分かっているから。
 そんな緑間の問いに、赤司は話に上がっている人物を思い浮かべる。今この場に居ない彼は、部活を終えて居残り練習でもしているのだろう。
 生徒会が残っていた訳でもなく仕事があった訳でもない赤司が職員室に残っていたのは、部活を終えた緑間が訪ねて来ることを読んでいたから。この前高尾と話をした時点で、その話が緑間に伝わればこうなることは分かっていた。


「さっきも言っただろう。ボクは真太郎が好きだという話をしただけだ」

「それだけとは思えないのだよ」

「それだけさ。だが、お蔭で分かったことがある」


 こんな回りくどいことをしなくても分かっていたけれど、ほぼ確信でありながら直接聞いた訳ではないだけに百パーセントではなかった。試しにちょっと仕掛けてみたら、上手い具合にそれが確かだということを知ることが出来た。
 昨晩どんな会話をしたのかは知らないけれど、本当に分かり易いなと赤司は思う。誰が、とはいわない。だからこそこんな極端な手段を選んだのだけれども。


「いい加減に素直になったらどうだ」


 本当は目の前の彼だけでなく、もう一人にも言いたい。別に素直じゃないと言いたいのではない。どちらかといえば素直、と表現するのは違う気もするが分かり易いのだ。それでいて見ているこっちが口を出したくなるくらいには、二人は互いのことを分かっていない。別の視点から見れば、互いに相手のことを分かっているのだから不思議である。そうなってしまったのも分からなくもないが、それにしたってここまでくると凄いなとも思う。
 案の定というべきか。赤司の言葉に緑間は疑問を浮かべた。何がだと返って来て、お前達のこと以外に何があるんだと答えてやる。それだけでは何も伝わっていないのだろうから、あえて言葉にしてやる。


「お前は何に対して怒っている」

「勝手なことを吹き込んだお前に決まっているだろう」

「それがそもそも間違っている。真太郎、鈍いのもそこまでいくと困りものだぞ」


 いきなり何を言い出すのだと緑間は思っていることだろう。けれど赤司は気にせずに続ける。ここでやめてしまったら、わざわざこんなことをした意味がなくなっていまう。人の弟を呼び出して勝手なことを吹き込んだといえば聞こえが悪いが、友人に自覚をさせる為だといえば少しはマシに聞こえるだろうか。
 別に赤司だって二人の関係をギクシャクさせたい訳ではないし、むしろやろうとしているのは真逆のことである。赤司にとって緑間は大切な友人で、その弟である高尾のことも大切に思う。だから、ちょっと強引だがこんな方法を選んだ。


「自分に素直にならないと、いつか大切なものを失うぞ」


 大切なもの、とは勿論高尾のことである。大切にし過ぎるあまり、大切なことを見失うのではないかと赤司は心配している。そう、二人は近過ぎる。近過ぎるが故に今一歩踏み込めない。本人達が一番大切だと思っていることを守れないなんてことがないように、と思ったのが今回のことの発端だ。
 おそらくそう考えたのは赤司だけではない。彼の弟を大切に思っている人もちゃんと居るのだ。そしてその人物も赤司と同じで二人のことが大切で。手の焼ける兄弟だ、とこっそり手を回しながら思う。


「お前は兄や教師である以前に、一人の人間であるということを忘れるな」


 本当はここまで関わるつもりはなかったんだが。そう思いながらも口を出す。結局最後に願っているのは緑間の幸せであるのだ。
 兄として、教師として。困難な道も支え合って進んで来れた。加えて周りの友人達や沢山の人に助けられて、今をこうして生きている。そんな緑間は、いつだって高尾のことを第一に考えるがそれは家族だからだ。けれど、家族や兄弟だからというだけの範囲には納まりきっていないことくらいは赤司にも分かっている。それも兄という立場が邪魔をしているのだろう。


「……お前は結局何が言いたいのだよ」

「それは自分で考えるべきだ。ここでボクが言っては意味がないからね」


 言う言わない以前に、本当は気付いている筈だ。彼の弟の方はそれこそ確実に。こっちも色々な考えが交錯しているだけであって、心の奥底では分かっている筈である。言おうとしていた核心部分だけは言葉にしないのも、他人がそこまで深入りするべきではないと思っているから。既に深入りしているといえばしているが、それは緑間がそういうタイプだからである。


「さて、そろそろ帰ろうか。学校に泊まる気はないだろう?」


 もう夜も遅い。他の教師はとっくに帰っている。戸締りをしてさっさと帰ることにしよう。言えば緑間も頷いた。二人で戸締りなどを全て終わらせて学校を出る。まだ何か言いたそうにしている緑間に、赤司は小さく笑みを零す。


「高尾の誤解はお前から解いておいてくれ。また今度、ボクからも話はしておく」

「お前が話をすると、また変なことを教えられそうだな」

「そんな訳ないだろう。ボクは嘘を言ったことはないからね」


 沢山の星達の下。二人は肩を並べて歩く。数年前は、部活帰りに他のメンバーと揃って寄り道をしながら帰ったこともあった。今となっては懐かしい思い出だ。
 教師という職業に就いているから、今ではあの頃の自分達のようにわいわい騒ぎながら部活を終えて帰る生徒を見掛けることも多い。あの頃の自分達もあんな風に見えていたのだろうかと思いながら、そんな生徒達を見送る。大人になった今は友人達も少しは落ち着きを持っただろうが、何故個性的なメンバー達だ。あの頃も今も殆ど変っていない。仮に集まったとしたなら、あの頃と同じようなやり取りをするに違いない。


「赤司、お前は――――」

「その話なら本人とすると良い。ボクに言っても仕方がないだろう?」


 緑間の言おうとしたことくらい分かっている。最初にそれを持ちかけたのは赤司の方なのだから。漸くか、というのが正直な感想である。漸くでもなんでも、気持ちが定まったのであれば余計なことだったかもしれないがこれにも意味はあっただろう。
 尤も、この友人とその弟。おそらく両方共が分かっている状況でどちらが先に行動に出るかは分からないけれど。くだらない考えのせいで拗れるなんてことは少なくともないだろう。


「……お前はどこまで分かっているのだよ」

「真太郎のことなら結構分かっているつもりだよ」

「オレのことというより、オレ達のことな気もするが」

「アイツ等も大事な友人だからな」


 二人の言っているアイツ等というのはキセキの世代と呼ばれた仲間達のことである。学生時代を共にした友人達は今でも親しい関係にある。その中には仲が良かった相手や相性の悪い相手も居たけれど、それでもなんだかんだで仲が良い彼等は時々集まったりもしている。
 赤司と緑間は、その中でも仲が良かったといえる間柄だ。緑間のことは特に、と付け加えた赤司の言葉も強ち間違ってはいない。逆に緑間だって赤司のことは他の仲間のことよりも分かっているつもりだ。結構分かっているというのは言葉通り、その付き合いの長さからも結構分かっているのだ。


「じゃあ、また明日。くれぐれも喧嘩はしないようにな」

「する訳がないだろう。お前も気を付けて帰るのだよ」


 そう言って二人は別れた。真っ直ぐ家に帰って、それぞれの時間を過ごしてまた明日になれば学校で会う。なんてことはない。いつもと同じ日常である。
 さて、変化が起こるのはいつだろうか。
 そんなことを考えながら赤司は星空を見上げた。早ければ今日、遅くても一週間くらいだろうかなんて考えてみる。彼等が話をするという行動をそう先延ばしにするとは思えない。


(だが、こういう行動は弟の方が得意そうだな)


 性格からしても、立場からしても。実際に彼等が家でどんな会話をするかなんてプライベートなことは分からないけれども、二人を知っているだけにそのくらいのことはなんとなく予想出来る。それが当たっているかどうかは別だけれど、それは全てが終わってから本人に聞けば良い。
 答えてくれるかどうかも別だけれども。