僕 9




 キンコンカンコーン。
 チャイムが鳴るのを合図に、「起立、礼」と号令が掛かる。ありがとうございました、と声を揃えるとこの授業も終わりとなる。やっと終わったと伸びをしながら、昼休みに入った生徒達はそれぞれ席を立ち始めた。


「高尾、ちょっと良いか」


 生徒達の輪から一人の名を呼べば、きょとんとしながらも「はい」と礼儀正しい返事がきた。周りにはお前何したんだよなんてからかわれるが、何かした覚えはない。自覚がないだけかもしれないが、とりあえず言葉に従ってその背中を追った。
 どこに連れて行かれるのかと思っていると、着いたそこは生徒会室。こちらに自覚はないが本当に何かやったのだろうかと心配をしたところで、ここなら確実に空いているからなと言われてほっとする。そういえば生徒会の顧問だったなこの人、と今になって思い出す。


「いきなり済まないね。ちょっと君と話がしたくて」

「それは構わないですけど、何の話ですか?」


 勉強、部活、それから進路。他にも風紀や挙げ出せば呼び出しの理由なんて幾らでもある。高尾自身には何か悪いことをしたつもりもないし、成績だって悪くはない。部活もこれといった問題はなく、制服を着崩してはいるものの怒られるほどではない。クラス担任でもないから、進路のことで呼び出しもないだろう。そうなると、残る可能性は大分絞られる。


「ただの世間話さ。そう身構えることはない」


 と言われても、ここ生徒会室なんですけど。しかも先生に呼び出されるとか、絶対何かあるじゃないですか。本当何の用なんですか、赤司先生。
 内心で疑問を並べるが、声には出さない。これ、学校関連じゃない可能性もあるよなと、高尾はある人物を思い描く。その人物とは高尾の保護者であり赤司の友人である緑間真太郎。大方この話題だろうと考える。赤司と緑間が友人であることは、高尾も昔から知っている。緑間と仲が良かったからではなく、それ以前に二人は優秀なプレイヤーだったのだ。聞かずともチームメイトであることは明白だったし、彼等の仲が良いことも知っていた。直接二人で話すということはあまりしたことがないけれど。


「世間話、って真ちゃんのことですよね?」

「真太郎のこともあるが、君と話してみたかったのも事実だ」


 話してみたかったと言ってもどんな話なのだろうか。しかも緑間のことかと尋ねれば、それだけではないような言い回しをしてくれる。他にどんな話があるんだと思ったが、教師と生徒。同じスポーツをやる先輩と後輩。話のネタは少なくなさそうだ。ついでにスポーツ、バスケで二人のポジションは同じ。更には主将を務めているといった点でも共通点はある。
 同じポジション、ポイントガードとして赤司のことを尊敬していない訳ではない。その緻密なゲームメイクは流石のもので、キセキの世代と呼ばれる天才に数えられたのも納得だ。純粋にプレイヤーとしてなら、赤司のことも凄いと思っている。その赤司が何故バスケ部の顧問にならなかったのかは不思議だが、それにも理由はちゃんとある。それは赤司と緑間、それから二人の友人達のみが知る。


「部活はどうだ? 真太郎が見ているのだから、心配することはないだろうが」

「いつも通りっすよ。強豪と呼ばれるに恥じない試合をしてるつもりです。みんなIH目指して頑張ってます」

「そうか。確か主将でPGだったな。それと、特殊な目を持っているんだってね」


 特殊な目なんていうが、それはお互い様だろうと高尾は思う。
 赤司征十郎。キセキの世代主将。皇帝の目を持ち、天才達を率いた天才ゲームメーカー。その目は未来を見据えることが出来るという。
 一方、高尾が持っているのは鷹の目。広範囲の空間把握を得意とする能力だ。コート上の全てを上から見ているかのごとく把握出来るのがこの能力だ。その能力故にパス回しを得意としている。
 例えば、パスを貰えればシュートを決められるようなSGとは相性が良い。そう、キセキの世代No.1シューター、コート全てからシュートを撃てる緑間のようなプレイヤーとの相性は最高だ。生憎、七歳もの年齢差があった為に同じコートに立つことは叶わないけれど。それでも、二人でバスケをする時に高尾は緑間にパスを出す。緑間は高尾のパスを受けるのが好きであり、高尾も自分のパスからあのスリーポイントが決まるのが好きだった。もっと年齢が近かったのなら、同じコートに立って相棒と呼べるような存在になっていたかもしれない。


「赤司先生の方が同じポジションでも凄いプレイヤーっすけどね」

「君のゲームメイクもなかなかだと思うよ。それに、ボクはもうバスケから離れているからね」


 かつてはキセキの世代と呼ばれた天才。赤司もそれに数えられる天才プレイヤーとはいえど、才能があるからといってそのままバスケ選手になるばかりが道ではないのだ。現に赤司や緑間は教師をしている。


『赤司、お前はどうしてこの進路を選んだ。お前なら選択肢は幾らでもあるだろう』

『それならこの職を選んでも良いだろう? 教職はボクが好きで選んだ道だ』


 深い理由なんてないと答えたのだが、緑間は明らかに不満そうな顔をした。そんなに自分が教師になることが嫌なのかと尋ねれば、そういう訳ではないと返ってきた。それなら問題ないだろうと赤司が強引に結論付けたことでそこでの話は終了した。
 進路の話をしたあの時。勘の良い緑間は赤司の考えに気付いたのだろう。適当に誤魔化して納得はしないながらも、それ以上は追及させなかった。緑間の考えは当たっているのだろうが、それだけが理由ではない。こうして教職を続けているだけあって、赤司もこの職を大切にしているのだ。


「そういえば、なんで先生はバスケをやめたんですか」

「部活でバスケをやっていても職業にするとは限らないだろう。違うかい?」

「それはそうっすけど……」

「なら良いじゃないか。バスケから離れたといっても、いつでもバスケは出来るからな」


 やろうと思えばバスケはいつでも出来るのだ。だが、それが分かっていてもバスケ部の部員達はこれを疑問に思っていることだろう。キセキの世代と呼ばれる彼等はあまりに有名で、それこそバスケをやっていて知らない人は居ないだろうというくらいだ。
 一度でいいから彼等のバスケを直接見てみたい、と思っている部員も少なくない。高尾もそう思わなくもないが、高尾の場合は緑間の試合を見たことがあるからそこまででもない。ついでにいうと、高尾は緑間のプレーだけならよく見ているのだ。


「先生が部活に来てくれればみんな大喜びっすよ、きっと」

「ボク達が有名だったのはもう何年も前だぞ? それに、君は真太郎が居れば満足していそうだが」


 キセキの世代が有名だったのは、彼等が中学生や高校生だった時代だ。赤司達が高校を卒業してから既に七年も経つけれど、未だにキセキの世代の名はバスケ界に残っている。何年も前と言っても、有名人であることに変わりはないのだ。
 それから続けられた方の言葉だが、高尾にとっては緑間さえいれば十分であるだけに何も言えない。他の部員からすれば、せっかくキセキの世代が近くに居るのだから見てみたいことだろうけれど、高尾自身は緑間が居てくれるだけで満足である。緑間にバスケを教えて貰い、彼のプレーに惚れて今もバスケをやっているのだから。


「それより、真ちゃんの話があったんじゃないんですか?」

「ああ。真太郎の話を聞きながら君と話してみたかったんだ、高尾和成」


 声色が変わる。これが赤司征十郎か、なんて呑気に考えることも出来ない。ピリッとした空気が張りつめる。最初に身構えることはないと言われたが、これは自然と身構えてしまうというもの。その雰囲気が既に違うのだ。


「真太郎とは仲良くやっているようだが、この間は派手に喧嘩をしていたようだね」


 何で知っているのかとは聞かない。赤司と緑間が仲が良いということくらいは知っているのだから分かっている。
 まず緑間の話をしてから高尾と話してみたいと言っている時点で、赤司には結構知られているのかもしれないと思い至る。高尾が宮地に相談するように緑間だって人に相談することくらいあるだろう。その相手が赤司か、とここにきて高尾は気付く。気付いたところで、赤司から尋ねられることに答えていく以外にやることなんてないけれども。


「もうそのことは解決したんで心配いらないっすよ。お騒がせしました」

「意外と礼儀を弁えているね。喧嘩をしないに越したことはないだろうが、時にはぶつかり合ってでも自分達の意見をぶつけることも大切だよ」

「それは分かってます。ちゃんと話さなければ通じないことも、言葉にしないと意味がないことも知っていますから」


 言わなければ通じない。通じないまま過ぎて、後戻りが出来なくなってからでは遅い。そんなことは痛い程分かっている。
 分かっているけど勇気がない。そう話したのは喧嘩をしていた時のこと。それでも話さなければいけないとは思っていたし、高尾がそう考えるだろうことを分かっていたから緑間も一度は話す為に帰ってくるだろうと待っていた。
 分かっていても幸せを壊す可能性があることをする必要はないんじゃないか。そう葛藤しているから、本人には言わずに宮地に相談したのがこの間の話だ。けれど、言わなくて言えなくなっても後悔するのだろうなと高尾は思っている。言って今の関係が崩れても、辛いけれど言わないよりは良いのかもしれないとは思う。だけど、分かっていても行動に移せるとは限らない。


「それなら良い。だが、真太郎はボクの大切な友達だ。真太郎を傷付けるようなら」

「真ちゃんを傷付けたりなんてしない!」


 赤司が言い切るよりも前に高尾は遮る。
 もしも、仮に、といった例え話だとしても高尾は緑間を傷付けるつもりなんてない。


「先生から見ればオレはまだ子どもでしょ。真ちゃんから見てもきっとそうだ。子どもには分からないと思うこともあるだろうし、実際にオレには分からないこともあると思う。だけど、オレにとって一番大切なのは真ちゃんで、真ちゃんのことを傷付けたりはしない」


 この前の喧嘩では、擦れ違いから互いに傷付け合ってしまったのだと二人は分かっている。そして二人が二人共、あの時の発言を後悔している。傷付けたことを後悔し、もうこんなことはしないと心の中で誓った。
 大切な人を悲しませたり辛い思いをさせたくなんてないのだ。ぶつかることもあるだろうし、どんなに互いを知っていてもその心を完璧に理解することなんて出来ない。それでも、大切だと思っているその心に変わりはないし、これからもずっと共に居たいと思っているのも本心だ。


「もし、赤司先生が真ちゃんを傷付けることがあったとすれば」

「心配は要らないさ。ボクが真太郎を傷付けるなんてまず有り得ない」


 今度は赤司が言葉を遮る。緑間のことを大切に思っているのはどちらも同じ。高尾にとってはたった一人の大事な家族で、赤司にとっては唯一無二の友人。関係性が違ったところで、大切だと思う気持ちは同じである。緑間に何かあったとすれば、二人してすぐに駆けつけてくれることだろう。


「高尾、真太郎はお前が何より大切だ。だからお前のことを大事にしては無茶をする」

「真ちゃんがオレの為にって色々やってくれてるのは昔から知ってます。だから、オレは真ちゃん一人に大変な思いはさせないってオレなりに出来ることをやってきました」

「……全く、本当に似た者同士だな。それでお前も無茶をしては意味がないと気付かなければいけないな」


 似ている二人。初めから似ていたのか、一緒に居るうちに似てきたのか。流石にそれは赤司にも分からないけれど、こういうところは似なくて良いのではないかと思う。片方だけでも厄介だというのに、二人してそんな性格なのだから困ったものだ。あえて言葉にしてやっても、本人達は結局は分かってくれない。
 というと語弊があるが、分かってはいても結局互いを優先するばかりに自分のことが厳かになるのだ。それが良いのか悪いのか。どちらかといえば悪いのだろうが、そう簡単には直せないらしい。現に、高尾も頭の上にクエッションマークを浮かべている。そんなつもりはないと思っているのだろう。


「無茶なんてしてないっすよ」

「本人はそう言うものだ。真太郎も同じだからよく分かる」


 高尾との付き合いは短いが、学校で見る姿や緑間の話を聞けばそのくらいは分かる。一見正反対の二人が実は似た者同士で、だから上手くやっているのだろうけれども。どうしてあの二人はあんなに仲が良いのかと疑問を抱く者もいるだろうが、二人を良く知る者が見れば似た者同士だということにも気付く。若干相手のことを大事にしすぎていたり、依存している風にも感じられるが仕方がない。そうでもしないと幼い彼等は前に進めなかったのだろう。
 いや、一人でも生きていくことは出来たのだろうが彼等は二人だった。例え二人きりにならなかったとしても、二人が仲が良かったのは変わらなかっただろう。有りもしない現実が正しいかなど分からないが、この二人はそういう関係なのだと赤司は思う。


「赤司、…………何をしているのだよ」


 噂をすればなんとやら。ドアをノックする音に入るように促せば、見慣れた緑色が目に入る。赤司に用があったらしい彼は、二人の姿を視界に捉えて眉間に皺を寄せた。


「どうしたんだ、真太郎」

「お前に客が来ているから呼びに来ただけだ。何かあったのか?」

「ただの世間話さ。すぐに行く」


 淡々と話す赤司はいつも通りだ。珍しい組み合わせではあったが、世間話だというのならそういうことにしておく。何か問題があった訳でもないらしいのだから。


「そういう訳だからボクは行かなければならない。また今度ゆっくり話そうか」

「別に構わないっすけど」


 結局、今日はあまり話すことが出来なかった。とはいえ、話したかったことはそれなりに話せたのだからよしとしておこう。高尾も呼び出しでないのなら話をしても良いと思う。お互い、思うところは色々とあるのだろう。


「高尾、教室に戻るのなら職員室からプリントを持っていけ」

「えー……何でオレが持っていかなくちゃいけねーの?」

「お前が教科委員だから、以外に理由が要るのか? 大体、終わってから集めると言ったのはお前だろう」


 それとこれとに関係性はないが、確かに高尾には覚えのある話だ。授業の頭に集めるところを、授業終わりに延ばして欲しいと言ったのも高尾である。尤も、終わっていなかったのは高尾に限らなかったが、緑間に頼むならとクラスメイトにお前が言えと任されたのである。その事実に、授業中にはやるなと釘を刺してから少しばかり提出を延ばした前回の授業。
 次の授業かHRの時に返却すれば良い話だが、元々は前回の授業で返却する予定だった。ついでに高尾は緑間の担当する科目の教科委員であり、頼まれる理由は十二分にある。


「真ちゃんの机にあるの?」

「あぁ。ついでに返しておけ」


 諦めて持っていくことにした高尾は、緑間の言葉に適当な返事を返す。それからさっさと行けと言われて、失礼しましたと挨拶をしてから生徒会室を後にした。
 残ったのは教師二人。静寂の訪れた空間で、先にそれを破ったのは緑間だ。


「……和成に何かしたのか」

「それは誤解だ。さっきも言った通り、世間話をしただけだよ」


 鋭く翠の瞳が光る。赤い瞳は楽しげな色を浮かべながら答える。
 本当に弟のこととなると過保護になるな、と内心で思いつつ。それだけ大切にされている弟を羨ましくも思う。きっと、彼の中の優先順位は自分達友人ではなくあの弟なのだろうと。優先順位なんて人それぞれだが、全く分かりやすいことだ。


「いつか真太郎の家に行ってみるのも面白そうだな」

「どういう意味なのだよ」

「深い意味はないよ。ああ、部活の様子を見に行くっていうのも有りか」


 だが、それでは普段の彼等は見れそうにない。緑間は学校では基本的に生徒として高尾のことを扱っているのだから。勿論私的な会話もするけれど、普段の様子を見るのなら断然家に行くことだろう。二人一緒に居るところで話をしてみるのも面白そうだ。
 そんな赤司の考えは知らないものの、あまりいい予感はしなかったのかやんわりと緑間は断る。それに対してただ興味があるだけだと言うと、興味で人の家に来るなとまた断られた。別に何かしようなんて思ってないが、意外と警戒されているらしい。別に赤司は緑間の家に行ったことがない訳でもないし、さっきの今だからだろう。


「高尾を呼び出したのは本当にただの世間話さ。真太郎は過保護すぎる」

「別に過保護ではないのだよ。不穏な空気を出していたのはどちらだ」

「そんなつもりはなかったんだが、そう見えたか?」

「見えなければ言う訳がないだろう」

「そうか。そう見えていたとすれば、ボクもお前の弟も真太郎が大事ってことだな」


 いきなりそんなことを言った赤司に、緑間は訳が分からない。それを追求しようとするが、客が来ているんだったなと言った赤司を止めることも出来ず。結局この話はここまでで幕を閉じた。


(心配することなんてどこにもなかったな)


 廊下を歩きながらそんなことを考える。緑間が高尾のことで悩んでいるのは何度も見掛けているが、心 配せずとも高尾にとっての緑間とは相当大きな存在である。深く考えずとも緑間がしてきたことに間違いなどなかっただろうし、高尾が緑間から離れることなんて有り得ないようにも聞こえた。
 それを緑間に言ったところで、幾らかは安堵してもまた同じことを考えることもあるのだろうと思う。結局、赤司が何を言ったところで高尾本人からの言葉とでは全然違うのだろう。緑間が友人のことも兄弟のことも大切にしているとはいえ、これはそういう問題ではないのだ。


(悔しいけれど、ボクが言っても意味はない。やっぱり特別なんだな)


 友達として心配をすることはあるけれど、兄弟の問題は兄弟で解決するものだ。他とは違う特別なものがあり、そこに他人が入り込めないのも致し方ない。
 あの二人の場合は特に。