僕 5




 洗濯物を片付けながら、風呂の湯を沸かす。それから夕飯の支度をして。その途中で帰ってきた家主を迎えると、まだ夕飯が出来ていないからと風呂を薦める。出て来る頃には夕飯も出来上がり、そのまま食卓につく。


「お前は女房か」


 箸を進めていると、唐突にそんな言葉が飛んできた。それにきょとんとしながら、次の瞬間には「良いお嫁さんになれますかね」なんて口にするものだから喋ってないで食えと怒られる。最初に言ったのは先輩なのに、とあまりの理不尽さに高尾は心の中で呟く。声にしたならまた怒鳴られることくらいは理解している。
 だが、炊事洗濯。家事という家事をきちんとこなす辺り、随分と家庭的な旦那さんになりそうなものだ。これだけ家事を手伝ってくれれば、嫁さんも結構楽なのではないだろうか。


「貰い手が居なかったら、先輩が貰って下さいよ」

「ふざけんなよ。オレはちゃんと可愛い嫁さんを見つけるっつーの」

「宮地サンってモテますもんね」

「それを言うなら、お前も大概だけどな」


 そんなことはないと笑った高尾だが、彼がモテるということくらい宮地も高校時代に知っている。同じく高尾も宮地がモテることは一年だった頃に知っている。バスケを始めに運動が出来て頭も良い。更にイケメンとくれば女子の人気は一気に集まる。世の中とはそういうものだ。


「それより、お前はいつまでウチに居るんだよ」


 率直に思ったことを口にする。家に居ても良いとは言ったが、高尾だっていつまでも此処に居る訳ではないだろう。最初の一日こそ学校も休んだが、次の日からは普通に学校にも通っている。といっても、宮地の家から通っているのだが。
 あれからというもの、高尾は家に帰っていない。学校では緑間にも会うが、必要最低限だけで基本的には高尾の方が避けている。緑間も無理強いはしない為に、結局この一週間何の進展もない。すぐに出て行けとは言わないものの、いつまで続けるつもりなのかを聞く権利ぐらい宮地にもあるだろう。


「えっと……いつまで置いてくれます?」

「別にいつまででも良いけどよ。緑間から連絡とか来てねぇのかよ」


 家事をしてくれる分にはこちらも助かるのだ。高尾の方が遅い時は宮地が夕飯を作ったりはするものの、最初の言葉通り。高尾は基本的な家事を一通りこなしている。それはこの家に置いて貰っているからだ。宮地が言わずとも率先して色々なことを片付けてくれる。あとどれくらい居ても構わないけれど、それは当人達の為にはならない。
 連絡が来たのではないのかと尋ねると、高尾は言葉に詰まった。その様子を見るに、宮地も連絡は来ているのかということを知る。全く音沙汰なしということはないだろうと思ったが、それでいてこの反応ということはこちらからは連絡もしていないということが窺える。一体何を意地になっているんだ、と思うがままに宮地は言葉にする。


「変な意地張ってねーで、さっさと仲直りしろよ。面倒だなマジで」

「意地なんて張ってないっすよ」

「お前のどこが意地張ってないって言えるんだ」


 むしろどの辺が意地を張っているというのか。高尾はそう言いたかったが、何も行動に移していないのは高尾自身だ。代わりに意地は張っていない、ということだけはしっかりと主張しておく。そう、別に意地を張っている訳ではない。ただ。


「ただ、真ちゃんと話をする勇気がないだけっす」


 いつまでもこんなことをしていられないということは分かっている。宮地にも迷惑を掛けているし、きっと緑間も心配している。けれど、緑間に会った時に何を言われるのかと高尾は恐れている。丁度一週間前、宮地に零したように高尾は緑間に嫌われることが怖い。宮地からすればそんなことはないと思うのだが、本人はそういう考えに至れないらしい。
 結果、こうしてずるずると日にちばかりが過ぎていく。緑間から連絡が来ていることも次の日には気付いていた。折り返さなかったのもやはり勇気がなかったから。お前なんて邪魔なだけだ、と言われるのが怖かった。緑間がそのようなことを言う筈がないと思うけれど、喧嘩したきりになっているせいかマイナス思考気味になっている。一度恐れてしまうと、次の一歩までが遠のいてしまう。


「……オレ、お前がそこまで緑間に依存してるとは思わなかったぜ」

「依存はしてないっすよ。ただ、ちょっと特別な関係なだけです」

「いや、十分依存してんだろ。普通じゃねぇのは知ってたけど、色んな意味で普通じゃねぇよ」


 つまりどういう意味なんすか。尋ねてみたくはなったが、尋ねることはしなかった。自分の中で緑間の存在が大きいという自覚なら高尾にもある。それが依存しているかと聞かれれば、そうではないと否定するけれども。
 どういう意味で普通ではないのか。それはその境遇であり、二人の関係性であり。高尾が入学するのと同じく新任教師になった緑間だが、境遇を知っている者でさえ第三者視点から言わせて貰えばそれだけとは言い難い特別な関係性が見えていた。その境遇があったから、と言ってしましまえばそれまでなのかもしれないが。


「連絡取ってからも居るなら居ても良いから、とりあえず進展させろ。一生このままにするつもりなんてねぇんだろ?」

「それは……まぁ、そうっすけど…………」


 考えることは色々あれど、一生このままで過ごす気はない。ちゃんと会って話すべきだということは分かっているし、これまでずっと傍に居てくれた大切な人とこんな別れ方をして終わるつもりはない。終わりたくもない。せめて、ちゃんと話をしてからにしたい。そう思うのならさっさと行動に移せ、と目の前の先輩なら発破を掛けてくれるだろう。高尾自身、そんなことは分かっているのだが思うようにいかない。
 今目の前に居る人がこの人で良かった、なんて思っているのは秘密だ。轢くや刺すといった物騒な言葉を並べながらも、なんだかんだで後輩思いの先輩だ。この人相手だから、少しばかり本心を表に出すことが出来る。全てを出せないのは、高尾の性格故だから仕方がない。


「宮地サン、真ちゃんに振られたら慰めてくれません?」

「なんでオレがそんなことしなきゃいけねぇんだよ。くだらねぇこと言う暇があるなら、今すぐにでも会いに行って来い」

「会うだけなら毎日会ってるんすけどね」


 学校で。会話なんてないし、必要最低限以外に会うこともないけれど。
 そんな意味の含まれた言葉を当然宮地は理解してる。そんなものは意味ないだろうとはご尤もな意見だ。ですよねーと適当な相槌を打ちながら、やはりそろそろ連絡を取るべきかと高尾も考える。それで何かあったとすれば、なんだかんだ言いながらもこの先輩は一緒に居てくれるのだろう。そういう人なのだ。


「オレ先輩のこと好きっすよ?」

「はいはい。本命は緑間な」

「ちょ、酷くないっすか!? オレだって本気で言ってるんすけど!」

「お前の本気は本気に聞こえねぇよ」


 それも酷いと思いつつ、笑って過ごせる時間。これこそが大切で、かけがいのないもので、ずっと続けば良いのにと思うものの一つ。先輩や友人、沢山の仲間達。一緒に笑い合える人達が居るというのは幸せなことだ。
 そして、そんな日常の中。高尾の中心に居るのはいつだって。


「宮地先輩」

「あ?」

「ありがとうございます」


 なんだよいきなり、と返ってきてなんとなく言いたくなっただけだと答えておく。本当に、今言いたくなったから言っただけなのだ。この先輩には感謝してもしきれないなと高尾は思う。それはこういう面であり、バスケという面でも大変世話になっている。尊敬している人でもある。まぁ、この辺りのことは口にしないけれど。
 それからまたわいわいとあれこれ話しながら夕食の時間を過ごしていく。なんでもないこの時間が楽しくて、でもやっぱり。と思ってしまうのは、やはりそういうことなのだろうか。
 それが分かるのはまだ少し先の話。