僕 7




 カチャ、と鍵を刺したところで静止する。電気が点いているのは消し忘れたからではなく、中に人が居るというだけの話だ。そして、それが誰なのかというのは考えずとも分かっている。なぜなら、この家の鍵を持っている者は限られているからだ。
 一度鍵を抜いてノブを回せばすんなりとドアが開く。そのまま家に入ると、見慣れた姿が視界に映る。


「あ、お帰りなさい」

「お帰りじゃねーよ。何でまたお前が居んだよ」


 そこに居たのは数日前までこの家で一緒に暮らしていた後輩。可愛い後輩が遊びに来たのに酷いっすね、なんて言う奴を引っ叩くといきなり何するんすかと訴えられる。そこまで強くは叩いてないだろうと思ったのだが、こんなやり取りは高校時代にいつもしていたものだ。今更特に突っ込んだりもしない。それよりも、この状況の説明を求める。
 すると、高尾はすんなりと鍵を返しに来たついでに夕飯の支度をしていたのだと話した。鍵ならポストにでも返しておけば良いと言ってあったのだが、もし何かあっても困るからということで待っていたらしい。どうせ待っているならと夕飯を作った次第だ。


「もうすぐ出来ますけど、先に風呂入ります?」

「なら食ってからにする。つーか、風呂まで沸かしてたのかよ」

「オレがやらなくても宮地サンがやったっしょ? だから問題ないじゃないっすか」


 それはそうだけれど、そういう話ではない。まぁ、こちらがやることが少なくなったという意味では悪くはないが。そんなことを言ったところで今更な話だ。作ってくれたり準備をしてくれたというのなら、一応は感謝しておこう。
 暫くして夕飯を作り終えた高尾は、テーブルの上に夕食を並べた。どうやら一人分だけ用意したようで、高尾の分はないようだ。それについて尋ねれば、あとで家でも作るからと答えられた。それならどうしてここで夕飯なんて用意したんだ、と言いたくなったがそれは飲み込んだ。


「んで、今日は鍵を返しに来ただけなのか?」


 夕飯を食べながら問うと、まぁと曖昧な答えと共に家の鍵を差し出された。高尾がこの家に居た間、先に帰ることもあるだろうと渡しておいたスペアだ。部活もある高尾がそう早く帰ることもないが、宮地も色々とやっていると遅くなることがある。このスペアが使われたこともあり、渡しておいたのは正解だっただろう。
 もしスペアを渡さずに高尾が先に帰ったとすれば、彼は家の前で大人しく待っていそうなものだ。漫画喫茶などで時間を潰すという方法もあるけれど、それを選ぶ気がしないのである。そんなことをして逆に夕飯を待たせても悪いからと、そう言うような奴だ。


「夕飯を作るならもう帰るのか? それとも何だ、またアイツと揉めでもしたか?」


 曖昧な答え方をしたことからそう言ったのだが、言葉に詰まったあたり何かしらあるらしい。けれど、揉めた訳ではないとはっきり答えられたからそれはないようだ。
 そうじゃないなら何なんだと考えるが、答えなんて分かる訳もなく。問題を抱えてる奴が目の前に居るのなら本人に言わせれば良いだけだと結論付ける。大体、こんな言い回しをしている時点で高尾も宮地に話を聞いて貰いたいと思っているのだ。また巻き込まれるのかとは思ったが、ここまで来たら今回も話を聞いてやることにする。


「それで、今回はどうしたって?」

「どうもしてないっすよ。というより、どうもしないからどうしようっつーか」

「は? なんだそれ」


 分かるように話せと言った宮地は悪くないだろう。宮地でなくとも同じことを言ったに違いない。これだけで理解しろという方が無理な話である。これだけで分かるとしたら、それこそ緑間のように付き合いの長い相手でなければ無理だろう。とはいえ、これは流石に緑間でも分からないけれど。


「正直、先輩に相談するのも変だと思うことなんすけど」

「なら帰って飯作ってやれよ」


 ばっさりと切ると、そんな冷たいこと言わないで欲しいと返される。相談すべき相手が違うというのなら他を当たれば良いだろう。思ったままに言葉にすると、宮地くらいしか相談出来る相手が居ないと言い出した。高尾の友好関係が広いことを知っているだけにそれはないだろうと口にしたが、そうなのだと重ねて言われる。
 一体どんな話をするんだと思いつつ、緑間にも相談できないとなれば緑間の話でしかない。加えて宮地に相談するのも変なことであり、宮地くらいにしか相談できないときた。数日前までは一緒に暮らしていたお蔭で、また新たな一面を見たりもした。何の相談をしたいのか、薄々ながら予想出来た。そしてやはり、予想通りの展開へと進んでいくことになる。


「やっぱりオレって子供っすかね」

「そりゃあな。十七だしまだ子供だろ」

「年齢的な話じゃなくて、もっと根本的な話なんすけど」

「お前のそのテンションで大人とかねーわ。でもお前は大人になってもそのテンションな気がするな。少しは落ち着きが出ると良いな」

「なんで冷たい目で見るんすか!」


 それと、真面目な話なんですけど!といっても、分かってるよと流されるだけ。本当に分かっているんだろうかと思いながら、聞いてくれるだけ有り難いかと思う。
 十七歳。今年の秋には十八になるとはいえ、世間ではまだ子供に分類される。実際にまだ子供なんだろうなとも思うし、子供という身分に甘えることもある。それでも、早く大人になりたいと思うのだ。というより、緑間と並べるようになりたいと思う。この年齢差はどう頑張っても縮まることはないけれど、少しでも近付きたい。せめて大人になって一緒に歩けるようにはなりたいと。


「オレ、真ちゃんのことが好きなんです」


 ずっと好きだった。大好きなお兄ちゃん。一緒に遊んでくれて、勉強を見てくれたり、バスケを教えてくれたり。なんだかんだで優しい兄が好きだった。
 あの事件が起って、辛くて悲しくて。一人で居ることに不安を覚えていた時期もあった。その時も兄は学校や部活で忙しいのに、高尾の為に出来るだけ早く帰って来てくれたり多くの時間一緒に居てくれた。出来合いの惣菜ばかりでも発育に悪いだろうからと、苦手な料理も頑張ってくれて色んなことをしてくれた。兄は元々大切な人で、憧れでもあって。
 好きだったのだ、兄として。好きになってしまったのだ、人として。


「そんなことはお前等を見てれば分かる。今更それをオレに言うとかどういう了見だよ」

「現状維持が一番だって分かってるけど、なんていうか、ちょっと寂しいんすよ。オレが成長するにつれて真ちゃんが離れていくのが分かるから。それにオレの好きは兄弟愛や家族愛とかじゃなくて」

「だから、分かってるつってんだろ。ってか、今まで気付いてなかったとか言うなら轢く」


 先輩に話すのもどうかと思っていたのだが、先輩くらいにしか話せる人が居なかった。だからそう前置きをしたのだが、これがまた予想外の返答がきた。
 そういう意味で好きだと気付いていたのか?それはいつからなのか。別に高尾だって自覚したのが今さっきとかいう訳ではない。かといって前からというほどの時間もないから、その点については触れないでおく。好きだという自覚なら前々からあったが、そういう意味で好きなのだとはっきり自覚をしたのはあまり遠くない日である。


「えっと……先輩はいつから気付いてたんすか?」

「オレが高校ン時。確信はなかったけどそうなんじゃないかって、周りも思ってたぜ」


 周りもというのはどのくらいの範囲で言っているのだろうか。疑問に思いながらも怖いから聞くのは止めておく。というより、それはつまり今も周りにそう思われている可能性があるということなのだろうか。それもそれでどうかと思うのだが、自ら墓穴を掘る必要はないだろう。聞かなかったことにして学校では普通に過ごそうと高尾は結論付ける。
 とりあえず分かっているというのならば、その辺の話は不要だろう。こんな話を先輩に振る後輩も後輩だが、かといって他の誰かに言うことも出来ない。引かないんですか、とは尋ねない。こう言ってくれている時点で、もう分かっていながら聞いてくれているということなのだから。


「今でも幸せなんすけど、それ以上を望むっていうのはやっぱりいけないことなんすかね」

「ってオレに聞かれてもな。別にいけないことじゃねぇとは思うけど」


 というよりは、それは望んでも良いことなんじゃないのか。向こうもコイツの幸せを願ってるんだろうし、何より傍から見てればそんなことを思っているのも片方とは思えない。それが単なる家族愛や兄弟愛の範囲とも取れなくもないけれど、他とは違う特別な感情を抱いているということに変わりはない。
 本人に相談出来ないのは分かるが、本人に直接言うのが一番早いだろう。流石にそんな無茶苦茶なことは言わないけれど。絶対に有り得ないが、宮地が高尾のような立場だったとしても本人に直接なんて無理な話だから。


「つーか、なんで緑間? 他にも幾らでも、っていうと言い方は悪ィけど。緑間じゃなくても良いんじゃないかとか考えたことってあんの?」


 これは純粋な疑問。高尾にとっての緑間が、緑間にとっての高尾が特別であることくらいは境遇を知っていれば嫌でも分かる。本人達が進んで話はしたりはしないが、聞かれればそれなりに答えてはいる。その境遇を知れば、普通の家族や兄弟以上の何かがあるのも納得出来なくはない。
 だが、ここまでくると話が変わってくる。気になったのは事実だが、この疑問については高尾だって自身に何度も問うたことだろう。それでも出した結論なんだろうなということは分かっている。それでも、やっぱり聞きたくなるというもの。案の定、答えはYesだった。そして、最初の質問の答えもやはりというか。


「お前に聞いたオレが馬鹿だったわ。マジお前緑間好き過ぎるだろ」

「ちょ、酷くないっすか!? これでもオレは真面目に悩んで――」

「あー分かってるよ。だからこうして聞いてやってんだろうが」


 それにしても、これは人選ミスじゃないかと思わなくもない。とはいえ、頼れる相手が宮地しか居なかったのだから仕方がない。
 頼られるのは先輩として嬉しいけれど、何といえば良いのだろうか。いつどんな時でも、常に高尾の中心は緑間で。その想いがどれだけ大きいかということは、慕われて近くに居た分だけ知っている。


「フられた時は慰めてやるよ」


 成績が良い宮地とはいえ、こういう時に掛けるべき言葉を弾き出すのはそう簡単なことではない。幾つもの語録の中から、かろうじて形になったのはこれだった。
 すでに告白前提の言葉に「オレまだ告るとは言ってないんすけど」という発言が聞こえたが知らないフリ。男なら当たって砕けて来いとアドバイスしてやると、砕けたら意味がないと真っ当な返しが来る。これでもコイツも頭良いんだったな、なんて関係ないことを考えるくらいの余裕はある。


「また家出したくなったら住まわせてやるし安心していってこい。家事してくれるのは助かるし、お前って何気に料理上手いしな」

「……せめてフられる前提で話すのをやめてくださいよ。料理なら頼まれれば作りますけど」


 もう告白前提ということは諦めたらしい。そんな話の中に紛れたさり気ない言葉にもしっかり答える。料理なんてものは、高尾にとっては普段からやっていることで特別なことではない。三食作っているくらいなのだから、それにプラスで作ることになっても大して変わらない。それに喜んで貰えるのなら高尾も嬉しいのだ。普段から世話になっている先輩に頼まれるのなら、喜んで料理くらい作る。流石に毎日というのは無理だが、時々くらいなら出来るだろうなくらいには考えた。


「お前のそういうところがムカつく」

「ぇえ!? なんすか今度は!」

「いっそフられてこいよ。その日くらいはオレが飯ご馳走してやるから」

「それが可愛い後輩に言う言葉っすか!?」


 冗談だってと付け加えても、冗談に聞こえないなんて言ってくれる。それは失礼じゃないか。言えば先輩が悪いなんて言うものだからいつものように返しておく。そうした会話の中で見える笑顔を見ながら、この笑顔がこの先も守られれば良いと思う。いつも笑っているこの後輩が悲しんでいると調子が狂うのだ。
 幸せを望むのは悪いことではない。人としては当然の欲だ。緑間と一緒に居ることが一番ならそれも良いだろう。そういった偏見を持っている訳ではない。ただし、いつかのように喧嘩をしたり泣かせるようなことがあるのなら許せないかもしれないけれど。宮地にとって、高尾は大事な後輩なのだから。


「ほら、話が終わったなら帰れよ。家でも飯作んだろ」

「それはそうっすけど。オレが帰っちゃったら宮地サン寂しくなるっしょ?」

「おらさっさと帰れ」


 ひっでぇと笑いながらも、本人もそろそろ帰る気ではあったらしい。これから家に帰って家事をして、残ってる宿題を片付けて。やることはまだまだあるのだからそう長居は出来ないのだ。宮地の家に来たのも部活が終わってすぐのことである。どうしてそんな日に来たんだと言いたくなるが、高尾が宮地に話を聞いて貰いたかったからに過ぎない。


「じゃあ先輩、また遊びに来ますね」

「今度は普通に遊びに来いよ」


 前回といい今回といい、なぜか普通に遊びに来ることの少ない後輩。次は何かを抱えることもなく普通に遊びに来れば良い。訪ねてきたところで追い返すような真似はしないのだから。
 分かりましたと答えてからもう一度お礼を述べて、別れの挨拶をそこそこに帰って行った高尾。自分で可愛い後輩と言うのはどうかと思うけれど、可愛い後輩であるのは事実だ。

 さてと、とりあえずどうするかな。
 夕飯を食べながら考える。課題を鞄から取り出すと一通り目を通す。それから近くの携帯を手に取り、素早く操作をして適当な場所に放る。


(ったく、何でこんな役回りをしなくちゃいけねぇんだ)


 今度また飯でも作らせるか、なんて考えながら食べ終わった食器を片づける。
 物語は少しずつ、しかし確実に動き出した。