僕 8




 卒業生が母校に遊びに来るっていうのは、割りとよくあることだ。懐かしい校舎を歩いたり、まだ残っている当時の先生に会ったり。部活で後輩に顔を見せる、なんてこともあるだろう。


「一体何をしに来たんだ」

「さっきも言った通りだけど」


 それが納得いかないから再度尋ねたのだが、答えは変わらないらしい。先生に会いに来た、というのも卒業生が母校を訪ねる王道な理由である。しかし、この生徒にわざわざ訪ねられるのは予想外というか。訪ねて何の話をしようというのかという疑問が残る。
 学年も違い唯一の接点は部活動。その部活動では大いに関わっていたが、顧問を訪ねるくらいなら後輩を訪ねそうなものだ。実際、数週間前には後輩を訪ねて、久し振りにしごいてやっていたところだ。


「オレと何を話すと言うのだよ」

「何って、後輩のことだろ。この間前までずっとウチに居たけど」

「お前のところに行っていたのか。済まなかったな」


 知らなかったのかとは思ったが、高尾が話す訳もないかと思い直す。それは良いにしても、こう素直に謝罪されるとは思っておらず、面食らったような表情を見せた。何だと言われるが、何だも何もあるかと宮地は思う。
 というより、今回はその話をしに来たのではないのだ。いや、一概に違うとも言い切れないけれど。話の目的は後輩、高尾のことなのだから。


「つーか、何なんだよアイツ。んでもってアンタも何なんだよ」

「何と言われても困る。大体、高尾はまだしも何故オレまでその括りに入れられるのだ」

「それはアイツの話題が監督のことばかりだからですけど」


 言えば緑間は押し黙る。どんな話をしているんだと考えたところで分かる筈もなく。宮地からすれば、毎度毎度緑間の話を聞かされてうんざりである。真ちゃんが真ちゃんがとあまりに楽しそうに話すものだから、それを無下にすることも出来ず。高尾のお陰で、宮地はそれなりに緑間のことも知ってしまった。全く、どうしてこうなったのやらという感じである。


「……それで、高尾がどうしたのだよ」


 そろそろ本題に入るようにと方向を修正する。宮地の後輩の話、つまり緑間の弟の話である。わざわざ名字で呼ばなくても良い気はするけれど、あえて突っ込みはしない。部活でも基本的には名字呼びなのだ。逆は周知の通りだが。それでも、合宿の時だったり時々緑間が下の名前で呼ぶのを宮地も聞いたことがある。兄弟なのだから普段はそうなのだろうと気にするほどのことでもない。
 公共の場、というより学校という場所では緑間は高尾と名字で呼ぶ。公私を弁えているからである。下の名前では殆ど呼ばないから、二人の関係は学校中に知られている訳ではない。とはいえ、高尾があだ名で呼ぶのを聞いて仲が良いとは思われているし、クラスメイトやチームメイト。教師あたりなら二人の関係も知っている。大っぴらにはしていないのだからこんなものだろう。


「アイツが真剣に相談してくるんだよ。本人に言えって言っても、出来ないから相談してるっつーし」

「それがオレに関わる話だというのか」

「というより、アイツの相談は監督のことくらいですよ。毎回泣きそうな顔して訪ねてくるんすから」


 毎回ではないが、泣きそうというか辛そうだったり。いつだって緑間絡みの相談は真剣で、何かあったらと考えるのか辛そうな表情を見せる。普段の明るさはどうしたんだといいたくなるような姿になる。それも高尾和成という男であるのだが、最初は少なからず驚いたものだ。
 普段から見ている高尾と、滅多に見せない高尾の姿。繕っているとはいわないが、本心を隠すのが得意であるのは事実だ。何年も付き合っている緑間には良く分かっている。高尾に慕われている宮地も、これまでの付き合いで高尾のことはそれなりに分かっている。


「高尾が泣くとは思えないのだが」

「本当に泣いてはねーよ。いや、一回だけマジで泣いたか」


 緑間に嫌われたかもしれないと話した時、高尾は滅多に見せない涙を零した。宮地が見た高尾の涙は、それ以外に部活の大会ぐらいだ。一緒に居る期間が長いだけに緑間の方が多いは多いけれども、高尾はよく泣くような子でもなければ笑っていることの多い子どもだった。いつもニコニコ笑っていて、笑うことが多いという部分は今でも変わらない。緑間が見た高尾の涙も、部活を除けばその前に見たのは年単位で数えることになる。元からあまり泣く子ではなかったもののある日を境にめっきり泣かなくなった。勿論その理由を緑間は知っている。
 だから、緑間には高尾が泣くなんてことは考え難かった。それは宮地にしても同じだが、それだけ緑間のことが大切ということだろう。それを聞いて感じたのは、嬉しいような、悪いことをしてしまったような。後者の思いの方が緑間には大きい。そういう考えに至っているだろうことは分かっていたけれど、涙を流すほどにまで苦しい思いをさせてしまったかと思うと胸に痛みが走る。


「…………高尾は、何か言っていたか」

「オレに話したことくらい、自分で整理して話してるだろ。言わないっていう選択肢がアイツにあるとは思えないけど」

「それは、そうだな」


 付き合いの長さに差はあれど、どちらも高尾と親しい関係にある。進路の話を先延ばしにしたり、というのは高尾に限った話ではない。基本的に、高尾は思ったことは口に出す方だ。流石にものによっては心の内に留めるが、例えば、人を好きだと言う気持ちを表現することは多い。宮地に対してもそうだし、緑間に対してはそれこそしょっちゅうだ。
 どうしてかといえば、言葉にしなければ伝わらないこともあるからだ。そして、言葉を伝えるとすれば伝えられる時にするしかない。あの時言っておけば良かった、と思ってからでは遅いのだ。緑間と喧嘩をした時は、会う勇気がなかなか持てなかったものの宮地に言われずともあれ以上長く放置する気はなかった。というのも、必ず来ると思っている日常が必ずそこにあるとは限らないことを知っているから。


「アイツに辛い思いさせんなよ」

「させるつもりはないのだよ。だが、おそらくオレは相当アイツに辛い思いをさせているのだろう」


 辛い思いをさせるつもりなど毛頭もない。そんな思いはさせたくないと思っている。けれど、実際はかなり辛い思いをさせているだろうという自覚は緑間にある。幼い頃から二人で過ごしてきたが、当時は高校生で勉強や部活をしていれば遅くまで残らずとも帰りはそれなりに遅くなる。高尾はいつだって笑っていたが、本当はもっと一緒に居たかったのだろうと思う。早めに帰っても、高尾は心配しなくて良いからと笑っていた。
 それは高尾の本心であり、緑間も時々早く帰ったりしながらも部活にも励んだ。最初のうちは毎日早く帰っていたが、数ヶ月もすればそんな生活が普通になっていた。高尾は寂しいや悲しいと言ったことはなかったが、感じたことがないということもないだろう。だから、高尾には辛い思いをさせてしまっているだろうという自覚がある。


「それでも、和成が笑っていてくれたから今のオレが在る。どんなことがあっても、オレは和成を守っていくつもりだ。心配されることはないのだよ」


 元生徒に言うような話ではないけれど、それでも緑間は言い切った。それは、宮地が高尾のことを考えて気に掛けてくれているからである。
 高尾も宮地のことを頼っているし、色々と世話になっているというのも分かっている。緑間と宮地の二人も学校生活で関わっていたのだから、少なからずお互いのことは知っている。だから、こういった話をすることが出来るのだろう。砕けた感じで話せるのも、二人の付き合いがあってこそだ。


「それなら放っておくなよ。アイツが来るのは構わないけど、相談事ばっかりじゃ気にすんなっつー方が無理な話だぜ?」


 挑発的に言ってみれば、分かっているとはっきり返される。高尾の一番傍に居るのは緑間なのだ。言われなくとも分かっている。これからも、とその先の言葉は心の内にしまっておく。
 それでも。


「これからも和成を宜しく頼む」


 高尾の周りには緑間だけではない。沢山の人が居る。そして、その中でも宮地は高尾が頼ることの出来る一人なのだ。これからも弟に付き合ってやって欲しい。それは教師としてではなく、高尾の兄として。緑間自身が宮地に伝えておきたかった言葉。
 そんなことは言われなくても分かっている。時には頭にくることもあるけれど、共に青春の一ページを過ごした後輩と過ごすのは楽しいのだ。たまにくらいなら相談事に乗ってやらないこともない。この先も先輩と後輩として、自分達の関係が続いて行くのだろうと思う。それが今考えられる未来の一ページ。


「言われなくても。あ、監督が嫌になったらウチに来て良いとは言ってあるんで」

「その時は扱き使ってやれ」


 あっさりそんなことを言った緑間が宮地は少し意外だった。そんなことはないとでも言うのかと思ったが、そう返って来るとは。だが、よくよく考えてみれば納得の台詞である。

 弟が弟なら兄も兄か。
 いや、アイツがこの人に似たのか?それ以前に似た者同士なだけか。

 こんなことを言えるのも緑間が高尾のことを分かっているからだ。喧嘩をしても帰って来て仲直りが出来たように、高尾が隣に居る当たり前の毎日を信じている。もしそれが壊れることになったとしても、その時はその時で受け入れるのだろう。けれど、信じているからこそそんなことはないと言葉にする必要はなかったのだ。


(結局こっちもコレだもんな)


 アイツは兄のこういうところを知らないんだろうな、と宮地は思う。知らないとも言い切れないが、緑間が高尾を大切に思っているその具合を計りきれていないのは間違いない。それは逆もしかりなのだろうが、ここで宮地の口から何かを言うことはしない。本人達でどうにかしろと思うし変に巻き込まれたくもない。
 というか、見ていれば分かるしある程度なら本人達も分かり合っているのに、どうして微妙に理解しあえていない部分があるのか。それが不思議でならないのだが、意外と本人達には分からないものなのだろうか。深く考えるだけ無駄な気がして思考を放棄するが、さっさとどうにかなれと思うのだ。


「今日は部活にも顔を出していくのか?」

「それも良いけど、部活までまだ時間あるんだよな。また今度、大坪や木村と一緒に来るわ」

「そうか。アイツ等も喜ぶだろう」


 こうして話している様子は普通に教師と生徒である。宮地は既に卒業しているから元、と前に付くけれども。ぶつかることがなかった訳ではないが、バスケというスポーツにおける実力なら互いに認めている。そんな二人の間に入っていたのは、やはり高尾である。
 そんな話をしているとチャイムの音が鳴り響く。どうやら五時間目の授業が終了したらしい。緑間には次の授業があり、宮地も放課後まで残る気はないのだから今日はここでお開きだ。


「真ちゃん! ってあれ、宮地サンも一緒っすか?」


 空き教室から出たところで聞こえてきたのは、二人が良く知っている声だった。廊下は走るなと言っているだろうと注意する緑間に分かっていると適当に流すのはいつものこと。
 お前等それオレがこの学校に居た頃から毎回やってんのかよ、と宮地が呟けば高尾は「毎回じゃないっすよ」と答えたもののすぐに「いい加減に学習しろ」と隣から怒られている。要するに毎回やっているのかと自然と答えが出た。このやり取りを見れば、呼び方のことで注意したりというのも未だに行われているんだろうと容易く想像出来る。実際にそのやり取りもしょっちゅう行われている。


「先輩、今日も部活に来てくれるんすか?」

「今日はパス。一時間も学校で時間潰してられねーから帰るところ」


 つい先程、緑間ともした会話をそのまま高尾にする。この後六時間目の授業を終え、掃除にHRと。後は掃除とHRだけだからというくらいならまだしも、授業を丸々一時間分もただ待っているのはキツイものがある。何か持ってきているならまだしも、最低限の物しか持ち歩いていない。
 だから今日はこのまま帰るつもりなのだが、高尾は「えー」と不満そうな声を上げる。だったら逆の立場でお前は待つのかよと尋ねてみると、本当かどうかは知らないけれど「はい」と回答が返ってきた。この場しのぎの答えな気もするが、高尾の場合は適当に時間を潰すなりして一時間くらいなら待つくらいしそうでもある。


「今度大坪達にも声掛けてまた来てやるから」

「本当っすか!? 約束っすよ、宮地サン!」

「ああ分かったよ。ついでに木村ン家からパイナップル持ってきてやる」

「ソレ投げる気っすか!?」


 ワイワイと楽しげに話す二人を見ながら仲が良いなと思う。高尾が一年だった頃からずっとこんな感じで、変わっていないのはどっちもどっちである。仲が良いのは結構なことだが、授業と授業の間の休み時間というのは十分しかないのだ。話をしていればその時間はあっという間な訳で。


「高尾、お前はここに何かをしに来たのではないのか」


 珍しく、でもないけれど。休み時間に会いに来たというのは何かあったのかと尋ねる。高尾の場合、何もなくても緑間に会いに来たとか言い出すこともあるけれども。何か用があったのであれば聞いておかなければいけないだろうと念の為に尋ねる。
 それを緑間に言われるまですっかり忘れていたらしい高尾からは「あ、そうだった」と思い出したような声が出た。お前は何しに来たのだよ、と心の中で突っ込みながらも「何かあるのか」と先を促す。


「今度の練習試合のことで確認しときたいことがあって」

「土曜日の試合のことか?別に構わないが、部活の時でも良いんじゃないのか」

「ちょっと気になることがあったから。必要そうならメニューも多少弄るだろうし、早い方が良いかと思ってさ」


 そう言われて断る理由はない。高尾も対戦校のデータくらい持っているが、気になる点があったのだろう。緑間に確認すればすぐに解決出来るからと、この休み時間に訪ねてきたのだ。どうして昼休みでもなくこの十分休みなのか、というのは深く追及しないでおく。
 それで何を確認したいんだと聞いて答えている様子を見ていると、コイツも主将としてちゃんとやっているんだなと思う。部活での姿を見ても分かることだが、こういう姿を見ることはあまりない。ポジションがポジションなだけに、一年だった頃から対戦校のデータを見ながらゲームメイクを考える姿は見ている。だが、主将としてチームのメニューを考えているといる姿はなんだか新鮮だ。


「お前もちゃんと主将やってるんだな」

「どういう意味っすか。先輩達から受け継いだバスケ部をちゃんと引っ張っていますよ」

「部活中の様子は見てたけどこういうのは新鮮だと思っただけだぜ。お前が何気に厳しいっていうのは後輩から聞いたしな」

「誰っすかそんなこと言ったの! オレは別に厳しくもないっすよ!」

「あれだろ。普段は笑ってばかりで親しみやすいのに、いざ部活が始まると厳しくてヤバいとか」


 そんなことないと高尾は否定するけれど、部活に顔を出した時に後輩から聞いてしまったのだから仕方がない。優しいけれど怖い、といった後輩の言葉を。
 とはいえ、後輩に対して甘くても困るのだからそれくらいで丁度良いのかもしれないとは宮地も思う。後輩に指示を出す高尾を見ながら、コイツってこんなことも言うんだなと初めは思ったということは内緒にしておく。まぁ、良い先輩であるのは間違いない。


「大体、それを言うなら真ちゃんだって厳しいっしょ! メニューとかきっちり組むし」

「練習を怠って試合に負けるなんてことがあっては困るのだよ。オレは人事を尽くしているだけだ」

「監督のメニューも凄かったな。だけどお前のメニューも相当って聞くけど」

「少なくともオレのメニューに上乗せするくらいのことは軽くするからな」

「普通に監督よりキツイじゃねーかよ」

「そんなことないですってば。その練習も増やしておかないとマズそうだっただけで」


 ただでさえ入学当初は強豪のメニューに苦戦をしたりもするというのに、よくやるものだ。だが、それもこの部員達と勝ち進んで行く為である。練習量は増えてキツくなるとはいえ、監督や副主将が止めないのも高尾のそんな気持ちが分かっているから。決してこなせない程の無理なメニューでもないから、この主将についていくのだ。
 冗談でお前の後輩じゃなくて良かったといえば、何でですかとすぐに食いつかれた。だからお前の後輩とか考えられないし、何よりお前が先輩とか嫌だと返してやれば今度は酷いと言われる。先輩と後輩がひっくり返ることはないけれど、高尾にしたって宮地が後輩だったらなんて考えられない。先輩はやっぱり先輩である。


「じゃあオレは帰るから。授業中はバレねーようにな」

「ちょ、それ今言わないでくださいよ!」

「お前がこそこそやっていることくらいバレているだろう」


 全員にではないだろうが、少なくとも緑間は気付いている。高尾も緑間に気付かれていることは注意されたことがあるだけに知っているが、他にも結構バレているのかと恐る恐る尋ねる。ある程度は気付かれているのではないかと答えられたのには焦るが、こんなのは一年の頃からずっとなのだ。今更変わることもないかと開き直ることにする。勿論、厳しい教師の前ではそんなことはしないけれど。緑間もその部類に入りそうなものだが、高尾からすれば入らないのだ。
 そんな教師と生徒らしいやり取りをする二人に小さく笑みを零し、宮地は背を向けて歩き出す。廊下で騒ぐなよと一応注意してやれば、またいつものような会話が聞こえる。

 全く、困った兄弟達だ。
 けれど、そんないつも通りの二人が一番かとこっそり思う。面倒だウザいなんて思うことがあっても、喧嘩しているより仲が良い方が良いに決まっている。
 後は本人達次第。だが、相談されたからには結果くらい聞く権利はあるだろう。そう思いながら懐かしの校舎を振り返った。