次の日。いつもと同じ時間に高尾が迎えに行くと、二人は今日も一緒に遊びに出掛けた。
けれど、今日はいつものように皆の所へは行かない。彼がここで過ごせる最後の一日は、二人だけで過ごすと約束したのだ。
四つ葉のクローバーの奇跡 4
「確かこの辺にあったと思うんだけどなぁ」
やって来たのは広い草原。眼前には沢山の緑が広がっている。
その中を何やら探しているらしい高尾。今日は遊ぶという約束をしただけでそれ以外はまだ何も決めていない。よって、高尾が何を探しているのか分からずに少年はただその姿を見ていた。
それから暫くして「あった!」という声が聞こえてきて、傍まで近付いてみるとそこにはシロツメクサが咲いていた。
「シロツメクサをどうするんだ?」
「しんちゃん、オレが探してるのはそっちじゃないの」
何かを探していたのは分かっているが、その何かはシロツメクサではないのか。しかし、目の前の植物はどう考えてもシロツメクサだ。これを探していたのではないのなら一体何を探していたというのか。その答えは本人の口からすぐに聞かされることとなった。
「シロツメクサっていえば、クローバーでしょ!」
言われてから漸く高尾が探していたものを理解する。これを探していたということはつまり、四つ葉のクローバーを探していたということだ。そうでなければ、わざわざシロツメクサが生えている場所を探したりしないだろう。
よく見てみれば、このシロツメクサを中心に近くにはシロツメクサが生えているらしい。ぱっと見たところでは、葉は三つに分かれているものばかり。四つ葉のクローバーなんて珍しい物なのだから三つ葉が多いのは当たり前だ。ついでに、ここまでくればいくらなんでも彼が何をしようと言い出すのかは理解出来た。
「一緒に探そうぜ、四つ葉のクローバーを」
案の定、予想通りの言葉が続けられた。そして二人で四つ葉のクローバー探しが開始された。
念入りにチェックをしているものの手に取る葉っぱは三つ葉ばかり。相当な根気がなければ見付けることなんて不可能だ。
黙々と作業をしながら二人は色んな話をした。帰り道にしているような短い話ではなく、思いつく限りの沢山の話を繰り広げた。
夏休みのこと、宿題のこと、二学期のこと、この一週間のこと。夏休みはどうだったのか。宿題はもう終わったのかと聞けば当然のように終わったと返されて、凄いななんて言えば当然だと返された。二学期になれば運動会があるよな、どんな種目があるのかな。一年生の彼等にとっては小学校初めての運動会だ。
それから、この一週間は楽しかったか。
皆で一緒に色んな遊びをした。鬼ごっこ、氷オニ、ケイドロ、いろもの鬼といった類のもの。川に入って水を掛け合ったり、山の中を散策したりもした。たった一週間なのに、ここに来てから初めてのことをいっぱい経験した。
「オレさ、初めて会った時。しんちゃんの答えも聞かずに遊びに誘っちゃっただろ? あの時、しんちゃんは何も言わないから嫌だったのかなって思ってたんだ」
「別に嫌だなんて思ってなかった」
「うん。でも、ずっと頷いたりするだけだったからもしかしてオレ悪いことしたかなって。だけど、しんちゃんが名前教えてくれて、皆とも楽しそうに遊んでたから良かったなって思った」
七日前。見慣れない姿を見付けるなり声を掛け、つられるようにして一緒に遊んだ彼。大人数で遊べば楽しいと思って誘ったのだが、頷いたりするだけであまり話さないから本当は嫌だったのではないかと、実は遊んでいる最中に気になったのだ。もしそうなら強引に誘って悪かったと思ったのだが、名前を知り少しながら喋ってくれて。楽しそうに笑った顔を見て、ちゃんと楽しめているんだと理解して不安がなくなった。
普段から知らない子も誘って遊ぶのだがこういう反応は初めてだったから不安に思っていた。けれどそんな心配は不要だったと分かり、明日も遊ぼうと帰り道に誘ったのだ。それから毎日一緒に遊んで、結果的にあの時の行動は間違ってなかったんだと思える。
「大体、嫌なら最初からお前の手を取ったりしない」
あの時、差し出された手はしっかりと掴まれた。その瞬間から二人の間には友情が芽生え、それが周りにも広がっていったのだ。
彼が始めは口数が少なかったのは、単純に慣れていなかったからだ。あんな人数で遊ぶのも初めてだったし、あまり知らない場所で戸惑っていたというのもある。今はもう慣れて皆とも普通に話していた。高尾と比べると話している量は半分にもならないだろうがそれは性格の違いだ。尤も、あのメンバーの中で一番喋る高尾と比べれば誰だってそうなるだろう。
「それに、カズのお蔭で色々なことを知ることが出来た」
「オレのお蔭で?」
何かしたっけ、と言いたげな瞳に思わず笑みが零れる。高尾にとっては日常の遊びも、彼にとっては全てが新鮮だったのだ。どれもこれも一番初めに声を掛けてくれた高尾のお蔭である。一人だったらこんなに楽しく過ごすことは出来なかったし、色んな経験をすることなんて出来なかった。この四つ葉のクローバー探しだって自分からは絶対にやろうとは思わないだろう。
「カズ、ありがとう」
ずっと言おうと思っていたけれどなかなか口に出来なかった言葉。今日言わなければずっと言えなくなるだろうから今この場でちゃんと伝える。
一方、こちらは突然感謝の言葉を述べられて驚いていた。それもこれといって感謝されるようなことはしていないと高尾自身は思っているから。それは先程の会話で分かっていたけれど、それでも少年は彼に伝えておきたかったから伝えたのだ。
えっと……と、どうしたら良いのか困っている様子を見て「四つ葉のクローバーを探すんだろ」と言えば、少々経ってから「そうだな」と言っていつの間にか止まっていた作業を再開する。
「ところで、どうして四つ葉のクローバーを探しているんだ?」
探し始めた時から気になっていたことを尋ねる。なかなか見つからないからこそ幸せになれると言われている珍しいクローバー。それを探す理由と二人だけで探す意味は何かあるのだろうか。こういう時こそ大人数で探した方が見付けやすいというのに。
「しんちゃんも四つ葉を見つければ幸せになれるっていうのは知ってるよね?」
「話は聞いたことがある」
「今日でしんちゃんは帰っちゃうでしょ? それにいつ会えるかも分からない」
それは昨日、本人から直接聞いた話。改めて口にするとぎゅっと胸が締め付けられるように痛くなる。人生に別れなんて付きものだが、それでも悲しいと思ってしまうのは人として当然の感情だ。
重い空気を追い払うようにいつもよりも明るめな声で「だから」と続ける。
「だから、四つ葉があれば悲しくなんてならないと思って。四つ葉のクローバーは幸せを運んでくれるから」
別れは悲しくて辛い。もう会えないかもしれないという事実は変えられない。友達であることはいつまでも変わらないとはいえ、いつかまた会いたいと思ってしまうのだ。数日しか共にしていないとはいえ、二人にとっては互いは大切な友達だから。大きくなった時に覚えているかなんて分からない。それでも、また会いたいというのは今の二人に共通している想いなのだ。
幸せ、なんて抽象的なもので何を得られるのかは分からない。だけど、二人にとって今この瞬間は間違いなく幸せな時間だ。大切な友達と共に過ごせる時。この幸せをまた運んで欲しいと、そう願っている。
「オレはしんちゃんと遊べる今が幸せだから、四つ葉があればオレ達はまた会えると思うんだ」
それは子供らしい素直な考えだった。だからこそそう思えるし、本当にそうなるんだって信じることが出来る。信じていればいつかきっと願いが叶う。それを四つ葉のクローバーに当て嵌めて、無意識に実行しているのだ。
「ねぇ、しんちゃんは?」
どう思う? こうやって一緒に遊んでいる時間が幸せだと思ってくれる? 一緒に過ごすこの時を、また会いたいと思ってくれる?
真っ直ぐに向けられた視線に、逸らすことなく瞳を交じり合わせる。
「ボクも、カズと同じだよ」
今この時が幸せだから、その幸せをまた手にしたいと思う。
その答えに目の前の少年は柔らかな笑みを浮かべた。どこかから夕焼け小焼けのメロディが聞こえてくる。ああ、もう別れの時間がやってきてしまったんだと頭の片隅で理解する。
茜色の空の下、広い草原にたった二人。この音楽は家に帰る時間を知らせているチャイム。
結局、四つ葉のクローバーは見つからなかったな。そう思いながらゆっくりと立ち上がる。これが本当に最後の時間だ。当分会えなくなる友達と一緒に居られる、最後の時。
「離れていたって、オレ達は友達だからな」
そこには、いつもの無邪気な笑みを浮かべた少年が居た。つられるように微笑みながら「あぁ」と答える。そう、二人はいつまでだって友達だ。それはこの先も変わらない。
高尾は彼の左手を取ると、手に掴んでいたソレをそっと手に乗せた。それは、つい先程まで二人して探していた四つ葉のクローバーだった。
「最後に見つかってよかった。これでしんちゃんは幸せになれるから大丈夫だな」
一日中二人で探して見つからなかった四つ葉のクローバー。ダメだったのだとばかり思っていたが、最後の最後でギリギリ見つけていたらしい。手のひらには確かに四つの葉を付けたクローバーがちょこんと乗せられていた。
この四つ葉はきっと、彼を幸せを導いてくれる。またいつか自分達は出会うことが出来るんだと、そう願いを込めて手渡した。
遠くからは彼の両親が呼ぶ声が聞こえてくる。今日、この場所で遊ぶことは高尾がこっそり先に教えていたのだ。一秒でも長く一緒に居られるように。だけど、それもここまで。
「またな!」
次があると信じて、さよならなんて言葉は掛けない。必ずまた会うんだと、精一杯の笑顔を見せた。その言葉を繰り返して、少年は両親の元へと走って行った。
今までで一番楽しい時を共に過ごした友達。いつかどこかで、絶対にまた会えることを信じて。左手の中の四つ葉のクローバーをぎゅっと握った。
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