『あ、久し振り。元気にしてた?』
出会った頃は毎日のように男を訪ねていた。学年が上がるにつれて会いに行く頻度が減っていき、小学校を卒業する頃には数年振りの再会だった。
会うのは決まってこの公園。男はオレの家など知らないだろうし、オレも男の家など知らなかった。いつもこの公園で会っていたから、ここに来れば自然に会えるのだと認識していた。数年振りにふらっと寄っただけだったのだが、そこに広がる光景は前回と何ら変わりない。
『毎日ここに来ていたのか?』
『うん? そうでもないけど。今日は真ちゃんに会える気がしたから』
そう言いながらふわりと男は笑う。そんな彼の笑顔が好きだった。いや、彼自身のことも好きだったのだろう。オレ達は親戚でも何でもない、ある日この場所で偶然出会っただけの間柄だ。いつの間にか親しくなって毎日のように男と過ごすようになって。忙しいからと来ることが減ってしまったけれど、前までは真っ先にこの公園に来ていたなと思い出す。
そういえば、いつからこの場所に来ることが減ったのだろうか。あんなにも毎日公園に通い続けていたのに。学校や習い事で忙しくなって減っていったのだが、その間隔は徐々に開いていって……。
『真ちゃん? どうかした?』
名前を呼ばれてはっとする。とりあえずなんでもないと返せば、それ以上追及されることはなかった。代わりに以前と同じように談笑をして、太陽が傾くといつものように男がそろそろ帰る時間だと教えてくれる。
もうそんな時間なのかと思いながらも家に帰ろうとした時。男に名前を呼ばれて立ち止まった。逆光のせいでその表情はよく分からなかったけれど、彼の言葉はしっかり耳に届いた。
『大人っぽくなったね』
それがいつかの話を持ち出しているのだと理解するのには数秒要した。そういえば、あの頃は早く大人になりたいとばかり思っていた。これもいつからか大して気にしないようになっていたけれど。こうしてみると記憶とは意外と曖昧なものなのだと気付く。大事な記憶は消えることなく残っているのだから気にする程のことでもないが。
その考えが間違っていたのだ。あの頃は気付けなかった。だけど今なら分かる。
今更後悔しても遅いけれど、もし叶うのなら。あの日に戻りたいとは言わないから、せめて彼がどうしているのかを知りたい。
夢うつつの世界 3
後悔先に立たずなんていう言葉があるが、それはまさにその通りだと思う。過ぎてしまったことはどうすることも出来ないのだ。過去は変えられない。未来を作っていくしかない。
「真ちゃん、ここなんだけどさ」
「ああ、それは先にこっちを計算してから解いていけば良い」
あ、そっか!と言いながら目の前の高尾はシャープペンシルを走らせる。ちなみに今二人が居るのは放課後の図書室。いつもなら部活に行っている時間なのだが、今日はオフであり体育館も使用が出来ないときた。それならストバスにでも行こうかという話にもなったのだが、先に課題を終わらせようということで図書室にやって来たところだ。
家に持ち帰っても良かったのだが、どうせなら終わらせた方が気が楽だということで二人は課題に取り組んでいる。こんな風に高尾の分からないところを緑間が教えながら順調に課題は進んでいる。
「そういやさ、前に言ってた夢の話。それが誰なのかって結局分かったの?」
次の計算式を書きながら投げられた問いに、緑間は動かしていた手を止めた。それに気付いた高尾も自然と手が止まる。
「まだ覚えていたのか」
「だって真ちゃん凄い気にしてたじゃん。忘れろって方が無理っしょ」
緑間が夢の話をしたのは今よりひと月も前のことだ。その話をしたのは一度きりだというのによく覚えていたものだと緑間は思う。高尾からしてみれば、あの緑間が曖昧な夢をそれほどまでに気にしていたというだけでも十分記憶に残る話らしい。
結論からいうと、夢に出て来た人物が誰なのかは未だに分からない。今でも夢は見るけれど、その部分だけは相変わらずはっきりしないのだ。思い出したいのに思い出せない。それは昔の記憶だからなのか、それとも他の理由があるのかさえも分からない。それでも、その人物が居るという確信はある。
「夢だからっていえばそれまでだけど、そうじゃないって思ってるんだよな……?」
分からないままの相手を探し続ける。探すといっても、明確な方法なんてない。やれることは前に話した時点で試していたのだから、それこそ自力で思い出す以外に方法なんてないだろう。
それでも、緑間はその相手が知りたい。ただの夢ではないと思っているからこそ、ここまでしているのだ。何の変哲もない夢だったのなら、昔の夢かと思うだけで流していただろう。繰り返して何度も夢に見ること、その夢が引っ掛かること。それらが、ただの夢で済ませてはいけないものだと警告している気がするのだ。
「夢だからで終わらせてしまえば、オレは取り返しのつかないことをしてしまうような気がするのだよ」
「何か重要なメッセージがあるってこと?」
「おそらくそうだろう。それが何かまでは、今のオレには分からないことだがな」
そう言いながら見せた表情に、高尾はどうしたら良いのか分からなくなる。そんな、辛そうな顔をされたらどうすれば良いのか。出来ることはしてやりたいけれど、今回はどうしたって手伝えることはない。本人すら分かっていない人物を高尾に探すことなど不可能に近い。
そんな顔をさせたくない。どうして自分には何も出来ないのか。どうしてたかが夢ひとつで、こんなにも悩むことになってしまったのか。その夢を見てしまうのは深層心理なのだろうか、ということまでは分からないけれども。この状況がもどかしい、と思っているのは事実だ。
「真ちゃん、諦めるって選択はないの?」
「諦めてはいけないことくらいあるだろう」
「それは、そうだけど……」
思い出せないのは、それだけのことだったからじゃないのか。別の視点から考えてみれば、そういう答えを出すことも出来る。一つの考えとしてそれを高尾は口にしてみたが、重要だと思っている緑間の考えを覆すことは出来なかった。どちらの考えも、考え方としては間違っていないのだ。
緑間がそう思うのならそれでも良い。だが、ここまで悩んでいるのを見ると話は変わってくる。気にしすぎだと片付けてしまいたい。気にしなければ良いと言いたい。そんなこと忘れてしまえば良いのに、と。
「高尾?」
「え、あ、何?」
考え事に没頭していると、緑間が不思議そうに高尾を見つめていた。慌てて何かあるのかと聞き返したけれど、特に何かあるのではなく急に黙った高尾が気になっただけらしい。また具合でも悪くなったのか、といつかのことを思い出して尋ねた緑間にそうじゃないから大丈夫だと伝える。
あの時はたまたま体調を崩していただけであって、病弱という訳でもないのだから普段は元気なのだ。まず、病弱であればバスケ部の過酷な練習についていくのも大変である。そもそも運動部になんか所属していないだろう。
「もし、その夢の人が分かったらさ。その時はどうすんの?」
これはただの疑問。いつか、その人物が誰なのか分かった時。これだけその人を探している緑間はどうするつもりなのだろうか。
「相手がどういう人物なのかにもよるだろう。たとえ相手が分かっても、会えるような相手とも限らんしな」
「それもそうか」
どこに居るのかも、下手をしたら生きているのかも分からない。そんな相手のことを聞かれても何とも答えられない。会えるのなら会いたい、くらいは思うけれどそれが叶えられる状況なのかは現時点ではさっぱりだ。
ただ、そんな状況でも一つだけ言えるのは。
「オレはそれが誰であろうと、その人が幸せに暮らしているのなら構わないのだよ」
幼い頃、自分に優しくしてくれたその人。あの頃に戻りたいとも、会いたいとも言わない。どうしているのかが知りたいとは思っているが、それもつまるところは元気にやっていて欲しいからだ。その人が今幸せに、笑顔で過ごせているのであればそれ以上は何も望まない。
どこか遠くを見据えて話す緑間の瞳を高尾はぼんやりと眺めた。その瞳が探している世界は、記憶に残る過去。姿も何も覚えていない、けれど確かに存在しているはずのその人。夢に出てくるその人を、彼はいつまで探し続けるのだろうか。
「信じてれば、真ちゃんがずっと探し続けてたら。きっと、見つけられるよ」
「そうだと良いがな」
このままその人物を探し続けるなら、いつかは思い出せるのではないだろうか。前に話をした時と同じ言葉を高尾は繰り返す。
そうやって追い続けるのなら、いつか……。
早く見つかれば良いのに。そう思う半面で、時が流れて忘れてしまえば良いのにとも思う。矛盾しているなんて分かっているけれど、悩んでいる相棒を目の前に高尾とて思うことはあるのだ。共通している思いは、一日でも早い解決だろうか。
「それより、いい加減課題を終わらせろ。いつまでも帰れないのだよ」
「あーそうだったな。さっさと終わらせてストバスに行くか」
話すことに夢中になっていた為、課題をやっていた筈なのに手がすっかり止まっていた。この調子ではいつまで経ってもバスケが出来ないだろう。早く終わらせようと次の問題に取り掛かる。
こうして過ごす一日。当たり前の日常だが、中学の時はまた違った日常がそこにあった。環境が違うのだからそれは当然で、高校生である二人にとってはこれが今の日常だ。大学生、社会人になればまた違った日常の中でお互いに生活していくのだろう。
当たり前にある日常というのは、同じものが永遠にある訳ではない。年を重ね、環境が変われば新たな日常が始まる。
それに気付いているのかいないのか。おそらくは気付いていながらも気にする程のことではないのだろう。それは、当たり前のことなのだから。
世の中に永遠なんてない。いつまでも変わらず続くものはない。この日常も終わりはいつかやって来るのだ。勿論、それはまだ先の話だけれど。
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