『大人っぽく……これから本当の大人になっていくんだろうな』


 精神的なものだけじゃない。年齢的にも。
 今はまだ中学生に進級する年だけど、一年が経つ度に彼は大人の階段を一歩ずつ上って行く。ただでさえ年齢よりも大人びた子どもだったというのに、ここ数年で更に拍車がかかった。そこら辺の高校生よりもよっぽど大人びているのではないのだろうかと思う程に。


『大人になるのは良いことなのにダメだな、オレ』


 分かっていた。初めから覚悟していた。彼は元から大人びていたから、普通よりも早くにそれが訪れるだろうことも想像の範疇だ。実際、彼は予想通りに一般的な年齢よりも早くから変化がやってきたようだ。本人ではないから明確なことは分からないけれど、その行動がしっかりとオレに教えてくれた。


『それでもやることは変わらない、か』


 卒業するということは、出会ってからもう六年が経とうとしている。子どもの成長を間近で見ていると、時の流れは早いものだと実感させられる。
 それでも、オレのやることには何も変化はない。この先もずっと、それは変わらないのだろう。だから。




 





「……なぜお前がこんなところに居るのだよ」


 ここは近所にある公園。通りかかったそこに見知った姿を見つけて驚愕した。どうしてこんな場所に居るのか、公園に誰が居たっておかしくないといえばそうだ。だが、目の前に居る奴は数時間前に用事があるからと部活にも参加せずに帰ったのだ。
 しかし、ソイツはといえば「あ、真ちゃん」とそれは普通に話してくれる。「あ、じゃない」と言えば「そろそろ来ることだと思ってたぜ」などと返し、緑間の言葉を完全にスルーして話を進める。


「用事があるのではなかったのか」

「用事はもう終わったから。ここに居れば真ちゃんが来ると思ってさ」


 家路なのだから待って居れば当然緑間はやってくるだろう。寄るかどうかは別として、この道を通るのはまず間違いない。
 だが、そこまでして何の用事があるのか。このご時世だ。高尾も緑間も携帯電話くらい持っているし、急ぎの用でないのであれば明日だって朝から顔を合わせることになる。今すぐに、しかも会って話すことなどそうそうない。とはいえ、高尾が用事を終えてからわざわざ待って居たというのなら、それだけの用事があるのかもしれないが。


「それでオレに何の用だ」


 会って話すほどの用事とは何なのか。尋ねると、高尾はそっと視線を地面に落とした。
 用事があるからここまで来た。けれど、何から話したら良いのかと悩む。さっさと用件だけ言えばそれで終わりだが、その程度ならばこんな場所で待ったりしない。
 何から話せば良いのかと悩んだ末、高尾はポツリと呟くように声を発した。


「真ちゃんってさ、真っ直ぐだよね」


 どんな話が出て来るのかと思えば、それは用事というよりは普段の会話の切り出しと似たようなものだった。何か用件を伝えるというより、雑談でも始めるのかと思ってしまうような内容。高尾は特別な用があって待って居たとは言っていないが、始まりはそんな休み時間のふとした頭に浮かんだ言葉のようなものだった。
 それが悪いとは言わない。だが、高尾の話の意図が読めないだけ。そちらに視線を向けても俯いているせいで表情を知ることは叶わない。声はいつも通りだが、なぜだろうか。いつもと雰囲気が違うように感じる。この違和感は何なのか。


「急にどうしたのだよ」

「ん? 言葉のまんま。そういうトコは全然変わらないなと思って」


 昔から変わっていない。あの頃のまま、変わらずに大人になった。いや、あの頃も大人っぽかったし今は一応子どもに部類されるのだからその表現はおかしいか。けれど、そういうところは幼い頃から変わらずに成長したものだなと思うのだ。予想通りといえばその通り。
 心に並べた文字を語ることはせず、高尾は顔を上げてふわりと笑う。それから繰り返すのだ。やっぱり、“大人っぽい”よね、と。


「だってさ、オレ等が並んでても同い年に見えないじゃん? 身長もあるけど、雰囲気とかも含めて。なんかオレばっかガキっぽく見えねぇ?」


 続いた言葉は普段通りの高尾だった。話が唐突に切り替わるのも二人の間では珍しいことではない。いつも通り、ふと頭にそんな考えが浮かんだだけだろう。
 そう思えたら良かったのに、緑間にはそう思えなかった。どんなにいつもと同じ口調で語られようと物語っているのだ。本心を隠すことが上手い友人がまた誤魔化していると、理解してしまった。人より多くのものを映すその瞳が教えてくれている。


「高尾、お前は――――」

「気のせいだよ、真ちゃん。全部気のせい」

「何が気のせいだと言うのだよ」

「だから全部。何もかも忘れて良いんだよ。所詮夢なんだから」


 夢。今ここで向かい合っていること自体を夢だとでも言うつもりか。違う、夢とはそういう意味ではない。
 全て、気のせいで忘れてしまえば良い。
 高尾の言う夢は、以前緑間が話した夢。そんな実在するのかもどこに居るのかも分からない男のことなんて忘れてしまえば良い。所詮は夢、記憶の欠片が作った紛い物。絶対に居ると思っていたのだって気のせいなんだと高尾は話す。夢は夢でしかない、現実とは違うのだと。

 だが、それはあくまでも高尾の意見。夢だからで片付けてしまえば良いのにと思っても緑間にはそれが出来ないことはこれまでのことで分かっているだろう。それなのに、高尾はあえて口にした。
 それが意味することは緑間にも分からない。けれども、この一連のやり取りで分かった。意図的に話を噛み合わせないようにされているが、今この場所で二人が向かい合っているのは何かしらの話をする為。ここは変に追及するよりも高尾の言葉を待つべきだろうと判断する。

 二人の間に流れる沈黙。緑間が何も言わないことを選んだのだと悟った高尾は話を続ける。出来るだけ普通を装って。本人は隠せていると思っているのだろうけれど、その瞳は悲し気に揺れていた。


「たかが夢に悩むことなんてないだろ。忘れるのが真ちゃんの為だよ」


 どうしてそれがオレの為になるんだ、とは言わなかった。もう、緑間の中に答えは出ていたのだ。目の前の男は、記憶に残る人物と重なっている。気のせいかもしれないなんて思えなかった。時折見せるその表情が綺麗に合わさるのだ。
 聞きたいこと、言いたいこと、それらは沢山あるけれど今やるべきことは疑問を投げることではない。なぜ彼が、今、こんな話をしているのか。初めて夢の話をした時から何も見せなかった彼が、こんなにも分かり易く隠してきたものを表に出した理由。それを知らなければいけなかった。


「忘れることがオレの為だとは限らないだろう」


 それが緑間の為になるだなんてどうして言えるのか。言い終えて黙ってしまった高尾に投げ掛ける。しかし、高尾はふるふると首を横に振る。忘れないと駄目だと、忘れることこそが真ちゃんの為になるのだと。
 大体、夢を忘れろと言われても無理な話だ。忘れようとして忘れられることでもない。けれど、高尾は緑間に忘れて貰わなければ困るのだ。忘れて貰わなければ、元通りにしなければいけないのだ。


「昔の記憶なんて曖昧なものだろ? 夢だって曖昧な記憶だ。曖昧な記憶が生み出した幻想なんて追うべきじゃない」

「それをお前が言うのか」

「オレだから言うんだぜ?」


 もう隠す気もないのだろうか。違う、緑間が気付いたことに高尾も気付いたのだ。お互い口にはしなかったけれど、あれだけ一緒に居たのだ。きっかけがあれば結論に辿り着くまでにそう時間は掛からない。
 本当は適当に誤魔化そうと思った。だが、それは出来ないと分かっていたし、それでは意味がないということにも途中で気が付いた。何の為にここまで来たのか、その理由は緑間に全てを話す為。そう決めていたけれど、いざ本人を前にしたら達者な口がいつもの癖で悪い方向に作用した。

 分かっていたんだ。分かっていて、矛盾を抱えながらも隣に居て、色んな感情が混ざって……。ただの夢で流してくれれば良かったのに、どうしてこんなことになってるんだろうと考えて、予想外に進んで行く現実にどうしようもなくなった。
 そして、最後に残ったのは自分達は向き合ってちゃんと話さなければならないという事実だけ。


「やはり、お前があの男だったのか」

「久し振り? でもないな。学校で毎日のように顔合わせてんだし」


 疑問形ではないその言葉にこちらもそれとなく答える。もう気が付かれているのだからと、高尾ははっきりそう答えた。自分が夢の男と同一人物だと直接ではない形で告げた。


「あんま驚かないんだな。もしかして薄々気付いてた?」

「いや、話の内容とお前の様子でそうじゃないかと思ったのだよ」

「そっか、まぁそうだよな」


 普段の学校生活で勘付かれるようなことをした覚えはない。気付かれることはないだろうと思いながらも、細心の注意を払って生活してきたのだ。これでそうだと思っていたなどと言われたのなら驚きだ。
 だが、それは絶対ないという確信が高尾にはあった。念の為に注意はしていたけれど、思い出す筈がないと分かっていた。周りよりも一足先に大人に近付いていた少年は、確認するまでもなく人生の階段を上っていた。
 だから、着実に自分のことを忘れていた筈なのだ。それがまさか、夢という形で昔のことを思い出すことになるなんて。想定外の出来事に、話を聞いた時は内心焦っていた。それが夢だったお蔭で今日までなんとか隠し通せたけれど、と話した高尾に緑間は目を丸くした。


「忘れていた筈とはどういうことだ」


 隠してきたことには今更突っ込まない。けれど、忘れていた筈だというその言葉の意味が分からない。言葉自体は理解出来るけれど、どうして忘れていたのかが分からないのだ。会わなくて忘れてしまったというような言い回しではない。これでは忘れると決まっていたように聞こえる。
 聞こえるのではなく、実際には決まっていたことなのだ。緑間は知らなかっただろうが、高尾にはそれが分かっていた。だから、大人っぽい幼き子どもを見てあんな顔を見せた。


「本当なら忘れている筈だったんだよ。大人になったらオレ達は会えない。真ちゃんが子どもの間しか、オレはお前と一緒に居られないんだ」


 早く大人になりたいと話した男の子。周りの子どもよりも大人びていた彼。
 予想を裏切ることなくどんどん大人になっていった少年を傍で見ながら、その成長を喜びながらもいつも寂しさが心の底にあった。子どもである緑間としか一緒に居られないのに、このままだと通常よりも早くその時はやって来る。
 大人になりたいと、大人になっていく緑間。その成長を素直に喜べない自分が嫌だった。喜ばしいことなのに、それは別れへのカウントダウン。


「真ちゃん、オレが人間じゃないって言ったら驚く?」