何がいつのことだったかなんて記憶していない。形に残るものは何一つない。一定のストーリーだけは嫌でも記憶に残っている。その他の記憶は曖昧で、それでも不便を感じることはなくただ流れに身を任せて生活をしてきた。ただ一人、アイツのことだけは全部ちゃんと覚えているけれど。
これまでのことを教えてくれた別の世界のオレは、そう言って自分を嘲笑した。どうしてコイツはこんなに一人で抱えているのか。なんでその世界は時を繰り返すのか。色んな思いが胸の内を巡る。
変わらないもの、変わるもの 4
「何度も繰り返してるとさ、いつが終わりなのかって大体分かるんだよな」
そう言って話を纏められた。今回もそんな気がしていて、案の定意識が遠のいたかと思ったら此処に居たのだと、一番初めに戻った。何でこの世界に来たのかはオレにもコイツにも分からないけど、オレはこの偶然が起こってくれて良かったと思う。
だって、今まで誰も聞けなかった話を聞いてやることが出来たから。大したことじゃないかもしれないけど、少しでも抱えているものが軽くなったら良い。枯れていた涙が流れて、感情をちゃんと出せているのを見て、この出会いにも意味があったと思えた。
「色々と苦労してるんだな」
「もう慣れたぜ?」
嘘ばっかり。本人は慣れたと思ってるのかもしれないけど、オレから見れば全然慣れてなんていない。ただ繰り返される世界での対応を身に付けただけ。感情は麻痺して心も疲れ切っている。慣れているなんて言葉で片付けようとしてるけど、本当は助けを求めている。どこまで自覚があるんだろう。
「泣きたい時は泣いた方が良い。さっきみたいにさ」
「別に泣きたいなんて思ってねーよ。アレだって勝手に……」
「だから、泣きたい時には泣けって」
ぎゅっと抱きしめると、オレより少し小柄なコイツの体はすっぽり腕の中に納まった。何か言ってるけどそんなのは気にしない。泣きたいと思ってないのかもしれないけど、お前の心はそうじゃないって気付けよ。多分、気付かなかったんじゃなくて見て見ぬふりをしていたんだろうけど。
それも無理はない。今までこうしてやれる人が誰一人として居なかったんだから。でも、今はそうやって感情を押し込める必要なんてない。オレ達がいつまで一緒に居られるか分からないけれど、それは間違いなく限られた時間。それが過ぎればまたコイツは一人で抱える。今のうちに溜めていたものを吐き出せば良い。
初めは文句を言っていたけれど自然に声が消えていった。小さく揺れる体を目一杯抱きしめてやる。
「アイツじゃなくてごめんな」
暫くの間ずっとそうしていて、落ち着いたのを見計らってそんなことを言ってみた。そっと離れた自分は、やっとすっきりした表情を見せた。良かった、少しは楽になったみたいで。
「そんなことねーよ、ありがとう」
ついでにアイツとは何もないから、と念を押された。隠さなくても分かるんだけどな。お前がアイツのことをどう思っているか、なんて。大きな存在だろうとは思ってたけど、さっきの話を聞いてどういう存在なのか分かってしまった。今は何もないのかもしれないけど、昔はどうだったんだろう。何もないにしたって、お前のその気持ちは……。オレがどうこう言うことじゃないから口にはしないけど。
「いつでもお前の世界と此処が行き来できれば良いのにな」
「これって平行世界みたいなもんだろ? そんなこと出来たら逆に危なくねーか?」
「うーん……そういうもんか?」
「知らねーけど。別世界にやたら干渉するのってあまりよくなさそうだろ」
そう言われればそんな気はする。だからといって、今オレ達が出会っていることで二つの世界に何か影響を与えるのかといえばそうは思えないよな。でも本来なら交わることのない世界なんだから、やっぱりよくないんだろう。誰でも好き放題行ったり来たり出来たら大混乱になるだろうしな。
だけど、それが出来ればコイツが辛くなった時にいつでも話を聞いてやれるのに。元々この出会いすらかなりの偶然なんだから無理な話だけど、コイツが辛いっていうのは痛いほど伝わってきたから。
「心配しなくても、オレはその世界でずっとやってきてるんだから平気だぜ」
どうやらオレが思っていることはバレていたらしい。オレにコイツのことが分かるのなら、その逆もしかりってことか。平気って言われてもこんな姿を見たら心配にもなる。
それでもオレに出来るのは今コイツの溜めこんでいたものを軽くしてやることくらい。力になってやりたいけど、別の世界に生きている者同士、仕方がないだろう。コイツが平気だと言うのなら、その言葉を信じて応援してやるべきなんだろう。
「あんまり無理すんなよ」
「そっちもな。無茶は良くないぜ」
そういえば最初に色々話したんだっけ。無茶をしているつもりなんてなくて、ただそうしなくちゃいけないからって体が動くだけなんだけどな。まぁ、仲間に怒られることもあるからコイツにそう言われるのもしょうがないのかもしれないけど。
「…………アイツにも会うか?」
こっちの世界とコイツの世界とでは違うのは分かっている。でも、会ってみたいというのであれば会わせてやりたいと思う。ポケギアで連絡をすれば良いだけのことだから。
だけど、目の前の自分は首を横に振った。多分そう答えるだろうと思っていたから「そうか」とだけ言った。同じといってもオレ達と同様で違う人間だし、コイツが自分の世界に戻った時に会うのは記憶がなくてもやっぱりアイツなんだ。
「記憶がなくてもオレにとってのアイツはアイツだ。それに、お前のトコの奴を取る訳にもいかないだろ?」
「どういう意味だよ、それ!」
問いに対して「さぁな」とだけ言って笑っている。全く、何を考えているんだか。なんとなく察したけれど、冗談で言ってるって分かってるから良いか。
こうやって話せて、感情も素直に表に出せているのだから、会ったばかりの頃より大分良い状態になっている。取り繕ったりすることなく、麻痺してしまったものが融解されていく。コイツが元の世界に戻っても大丈夫なのかと心配はあるけれど、こうした姿を見ていると少しは安心出来る。
「じゃぁ、バトルでもする?」
「ポケモンバトル? 良いぜ。これでもオレはチャンピオンだからな」
「オレだって、博士に認められた図鑑所有者の一人だぜ」
チャンピオンなんてそうそうなれるものじゃない。多くのトレーナーの中から選ばれた人間だ。そうなるだけあって実力は相当なものなんだろう。でも、オレも博士から図鑑を貰った所有者の一人なんだ。バトルだって先輩と修行をして大分腕は上がっている。こんな滅多とない機会にトレーナーが二人集まっているのにバトルをしないなんて勿体ない。
なんていうのは理由の一つ。オレ達は互いにポケモンのことが好きで、勿論バトルも好きだ。好きなことをやるとか、体を動かすことは良いことだから。
「手加減なんてするなよ」
「する訳ねーだろ。今まで一度だってしたことねーよ」
家を出て人の居ない場所まで移動して、ポケモンを出す。それからはただひたすらバトルに熱中していた。結果はどうなったかって、最後に勝ったのは向こうだったけどこれでも互角だったんだからな。どっちも六匹全員を使った真剣勝負だったんだ。
「やっぱり強いな。チャンピオンになるだけのことはあるよな」
「いや、お前もなかなかやるな。あんな激しいバトルなんてあんま出来るもんじゃねーし。それに、意外な戦法とか取ってくるよな」
「そんなに意外か? たまに言われるけど」
相手の意表を突くようなことをするのは基本だろ。オレの場合は、それにキューを使ったりポケモンの長所を使った連携とかを使っている訳だけど。ただ正面から向かっていくだけじゃ厳しいものもあるしな。その時の思いつきで色々やっている気がしないでもないか。でも、昔からこんな戦い方だからな。
バトルをし終えてから気付いたのは、コイツは表情豊かだってこと。バトルの最中で色んな表情を見せていた。心から楽しんでいるのは見ていれば分かるし、オレ自身もこんなバトルが出来て楽しかった。こんなに表情豊かなのにそれが麻痺してしまうなんて、相当辛かったんだなって改めて思う。
「ジムに挑戦してみたら結構いけるんじゃねーの?」
「そうか? でも今更ジム回るのもな」
「別にいつだって挑戦できるだろ」
それはそうなんだけどな。まぁ、けどいつか挑戦してみるのも悪くないかもしれない。ジムに挑戦するとなれば、もっと特訓しないといけないだろうけどな。
そんなことを話しながら辺りがオレンジ色に染まっているのに気付く。もうこんな時間になっていたのか。そろそろ帰った方が良いだろうけれど、コイツはまだ元の世界に帰る方法が見つかってないんだよな。
「なぁ、今日はどうするんだ? 何だったら家に来ても良いけど」
仮にここで別れたとしても、コイツは行く場所はないだろうから。それならスペースもあるし家に来た方がコイツも困らないだろうし、オレとしてもどこで何しているか分からないより安心出来る。いつ何するか分からないもんな。無茶しそうな気がして。何より一緒に居たいっていうのが一番の理由。
そうだな、と話しながら唐突に言葉が切れる。それが不自然で「どうした?」と尋ねると暫しの沈黙。それから小さく笑みを浮かべた真っ直ぐな瞳と合う。
「時間みたいだ。色々とありがとな」
別れの時が来たのだと伝えられる。何が起こっているのかは分からないけれど、多分コイツには分かっているんだろう。そう言ってから徐々に辺りに光が満ち、逆にコイツの身体が透けていく。そこで漸く、本当にお別れなんだと感じた。
「もう会えないだろうけど、オレはお前のこと。絶対に忘れないから」
「お前には本当、迷惑ばかりかけたな」
「だからそんな風に思ってねぇって。お前に会えて良かったぜ」
「あぁ。オレもお前に会えて良かった、ゴールド」
一緒に居ながらも一度も呼ばれていなかった名前。自分と同じ人間、けれど別世界の違う人間。
「あまり無理しないようにな。それと、アイツとも上手くやれよ」
「なんか聞いたような言葉だな。っつーか、それはお前もだぜ」
既に今日言ったことを繰り返してるのはオレだけじゃなくてコイツも同じ。最初にありがとうと言われた時より、今の方が良い表情になっている。コイツの表情がこのままこれからも消えることがなければ良い。辛い世界だろうけれど、もう感情が表に出せないなんてことがないように。オレはそう願う。
「元気でやれよ、ゴールド」
オレも一度も呼んだことのなかった名前を呼ぶ。「お前もな」と返してきた自分は柔らかな表情を見せていた。最後に「じゃぁな」と言うと一面が光に包まれて、次の瞬間にはオレ以外誰も居なくなった。それでも、確かについ先ほどまでは二人でこの場所に居たんだ。
「お前の世界で誰も覚えていなくても、オレはお前のことを覚えてるから」
だから、お前もそのことを忘れないで欲しい。会うことは叶わなくても、ちゃんと覚えている人間は居るんだってことを。
そう思いながら空を見上げる。いつかまた、こんな奇跡が起きたなら笑顔で会えれば良いな。
オレも帰ろうと足を返したところで、ポケギアが鳴り出す。表示された名前に意外だなと思いながら、その着信に出る。
「珍しいな。どうしたんだよ、シルバー」
『いや、大した用はないんだが』
お前が泣いているんじゃないかと思った。
……って、なんでいきなりそんな話になるんだ。疑問をそのままぶつければ、なんとなくというこれもまたコイツにしては珍しい回答が返ってきた。そして、それから話をしていくうちにオレの心にあった少なからずの心配は消えてなくなった。
大丈夫。もうアイツは自分の感情を出せなくなったりはしない。
アイツは一人じゃないから。
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